第8話 俺に、女装を教えて下さい

 梅雨明けの発表はされていないものの、雨が1日中降っている日が少なくなってきていた、7月下旬。

 高校のスポーツ大会とはいっても、南高津島全体で行うため、生徒会として大会に関するチラシ配布をしていた。正直なところ、そんなことをしなくても、2000人弱の島民には、いつのまにか大会の情報は広まっているものだ。

 それをしっかり行うことで、島民への理解を深めたい。そういった狙いがあった。


 その日のパートナーは、茜だった。

「茜、これで最後のたばだよね」

 さすがに全部を一日で配布するのは無謀ともいえるので、六日に分けて行った。

 俺は生徒会長だという理由で全日担当。それについていくのは、各日一人とした。一日目は夏菜子、二日目は理奈。そして、最終日は茜の順番である。これを二周した。

「はい。もう少しです、果鈴会長」

 茜は、笑っているとき以外の顔が絶対的に真顔だった。泣いたりとか、怒ったりしているところを、俺は見たことがないかもしれない。

 顔を見ると、茜は取りつくろうように笑顔を出すのだ。

 それが悪いとか、そういうことではなく、単純に無理をしているのではないかと心配なのである。

「茜ってさ」

「はい?」

「ちゃんと見ると、結構かわいいよね」

 なにも考えずに口からでた言葉だったが、我ながらひどいことを言ってしまった。

「あの、それすごく失礼な言い方だって気づいてます?」

 そこでスイッチが入ってしまったのか、茜は生徒会室に戻るまで、グチグチと俺への不満をぶつけていった。

 余計なことは言わないほうがいいと、俺は改めて心に誓った。


 チラシ配布や先生方への交渉も終えて、準備は最終段階に入っていた。というよりも、実は進行がかなり遅れている部分があった。

 本来であれば、これを真っ先に終わらせないといけないはずだった。

「夏菜子、用紙の提出状況はどんな感じ?」

 状況があまりよくないことは分かっていながらも、確認せざるを得なかった。

 夏菜子も聞かれることは分かっていたのか、ブラックコーヒーにミルクを入れ忘れて飲んでしまったかのような顔をしていた。

「……正直、まだ全然集まってないよ。みんな、この用紙があることすら忘れてるんじゃないかって思うくらいにね」

 用紙というのは、スポーツ大会のどの種目に参加したいかということを記入するものだ。そのため、用紙の提出がない場合、大会への参加権利が失われてしまう。

 意図的にそうしている生徒もいるかもしれない。しかし、これは各クラスに配布されている用紙なので、提出されなければそのクラス全員の責任となってしまう。さすがに、生徒会としての救済措置は準備しているけれど、できれば使いたくはない。

 さらに問題なのが、もうすでに何度か提出期限が迫っていることを案内済みだということだ。

 なんなんだ。生徒会への嫌がらせ行為なのだろうか。結果的に困るのは、そのクラスの人たちなのだけれど。

「もう大会まで1週間切ってるのにね。気が緩んでるのか、なんなのか。困ったなあ」

 集計作業もアナログな手作業で行うので、早めに提出してくれたクラスには、本当に感謝していた。見た目は地味だが、かなり大変なのである。

 夏菜子はすっかり諦めてしまったような表情で、お茶を飲んでいた。


「果鈴会長、ちょっといいですか」

 存在感を消しながら、いつのまにか茜が横に立っていた。少し驚いてしまい、なぜか足がつりそうになっていた。

「あのね、茜。もっと足音とか立ててくれないとびっくりするって、前言ったでしょ」

「ははは。すみません」

 少しだけ舌を出して、馬鹿っぽく笑っていた。この子、まったく反省していないようである。

「それで、どうしたの」

「とりあえず来てください」

「え? あの、え」

 俺は座っていた椅子から落ちそうになり、なんとか体勢を整えながら、茜に手を引っ張られて、生徒会室を出ていった。ちなみに、その際の夏菜子と理奈の目線には、異様なものを感じた。


 生徒会室の二つ隣にある空き教室に、俺は連れていかれた。いったい、ここでなにが行われるのだろうか。

 密室ではないものの、二人きりの放課後、自分たち以外に誰もいない空き教室。当然、なにも起きないわけがなく……。

「なんでこの世の終わりみたいな顔してるんですか、果鈴会長」

「ああ、いや。あはは」

 相手が茜なので、特段なにもないとは思うが、状況が異質なことには変わりがない。

 ひとまず気分を紛らわせるため、俺は作り笑いをするしかなかった。

「果鈴会長に、どうしても話しておきたいことがあって、ここに連れてきました」

「話しておきたいこと…?」

 俺がそう聞くと、それに合わせて茜は喉を鳴らした。

「わたし、聞いてしまったんです。ある話を女子トイレで」

 男子禁制、女子トイレ。なんの変哲もないトイレではあるが、そこに『女性用』と書いてあれば、それは女子トイレとなる。つまり、俺もそこへは立ち入れない。

 これは余談だが、俺は男子トイレを使っている。主に見た目において大丈夫なのかと聞かれることがあるけれど、それは自然の摂理。間違っても女子トイレなんぞは、使わない。

「なにを聞いたの」

 意味深な話し方をする茜に、俺はそんなに言いづらい話なのか、と頭が痛くなっていた。俺だけが呼び出されたということは、俺にだけ関係する話だろうという予測は、容易だからだ。

 すると突然、茜は下唇を軽く噛み始め、ゆっくりと口を開いた。

「その人たちは、リボンの色が違っていたので、おそらく上級生だと思うんですけど」

「うん」

「『スポーツ大会、やる気出ないね』って言ってたんですよ」

 そのたぐいの話は、耳にタコができるほど聞いた。間接的、直接的、両方ともに経験があった。そのためか、そこまでは正気を保って茜の話を聞くことができた。

「そのあとに『やっぱり、前の生徒会長のほうがよかったね。あの人のほうが好きだった』って。わたし、その話に耐えきれなくて、逃げるようにトイレから出たんです」

 そこで茜の話は終わり、なんともいえない雰囲気が、俺と茜を包んでいた。


 なんだそれ。

 茜の話を聞く限りだと、その二人にとっての『生徒会長』は、俺ではなく前生徒会長ということになる。つまり、俺は生徒会長として認識されていないということなのだろうか。

 もちろんだが、全校生徒に好かれるなんてことは、ほぼありえないことだ。それは、分かっていた。どうしても、人によって好き嫌いはある。しかし、こうして具体的な声を聞いてしまうと、思わず耳をふさぎたくなるような気持ちになってしまうものだ。

 あくまでも俺は俺であり、前生徒会長は過去の存在なのだ。たとえ望んだとしても、俺があの人のようになれるはずがない。

 その理由は簡単だ。俺と前生徒会長が、同一人物ではないから。


「なんというか、ごめんなさい。悲しませるつもりはなかったんですけど、一応言っておいたほうがいいかなと思って……」

 茜の顔が、今にも泣きそうな表情に変わっていた。

「大丈夫だよ。こちらこそごめんね、嫌な役回りさせちゃって」


 茜は泣かなかったが、ずっと沈んだままだった。ここで下手に声をかけると、ほかに面倒なことが起きると考えた俺は、しばらくのあいだは見守っていることにした。


 そのとき、俺は先ほど茜の口から出てきた、ある言葉を頭の中で巡らせていた。

『前の生徒会長のほうがよかったね。あの人のほうが好きだった』

 苦しかった。どうしても、俺では力不足なのだろうか。


 やはり、まだ俺のことを認識してもらう段階なんだと思う。インパクトが足りないのはもちろんのこと、知名度も当然ながら低かった。なにもかもが上手くいくはずがない、そんなことは分かっている。

 しかし、それでもなにか対策を立てなければいけないことも、頭では分かっていた。

 自分には、なにが足りていないのかが、それほどはっきりしていない。そこでとれる行動は、たった一つだけだった。


「これでいいの? 果鈴ちゃん」

 俺自身がつけることを躊躇ためらっていた、ウィッグを頭の上にのせて、夏菜子にセットをしてもらっていた。

「うん。あと、ポニーテールにしてほしい」

 俺がそう言ったあと、鏡越しに映る夏菜子の顔がとてもびっくりした表情になっていた。そんなに分かりやすく驚かなくてもいいだろ、夏菜子。

「ほんとにいいの?」

 石橋を叩いて渡るかのごとく、その日の夏菜子は慎重だった。以前にウィッグをつけた際に、少し強引に俺の頭にのせたことを後悔しているのか。いや、そんなことはないだろう。夏菜子は俺に対して、いい意味でも悪い意味でも遠慮がない。

 親しき中にも礼儀ありというが、夏菜子の場合は親しき中には礼儀なし、なんて言葉が似合いそうな性格なのだ。そんな人が、俺に対して遠慮してくるのだ。心配になるのは当然だと思う。

「どうしたの、夏菜子。なんか今日は、らしくないね」

 すると、夏菜子は無理に作った笑顔で、こう返してきた。

「え……うん。だって、だってさ…?」

 手を止めずに、夏菜子はテキパキとポニーテールを作っていた。それと同時に、俺の自毛が引っ張られているような感覚が、頭皮に伝わってきていた。

「果鈴ちゃんが……ううん。果鈴ちゃんは、自分から『女装する』なんていう人じゃなかったのにな、って思ってね」

 その瞬間、自分の中の時間が止まったことを、はっきりと認識することができた。

 頭の中が、空っぽになっていたのである。

「それって、どういう……」

「はい。できたよ、果鈴ちゃん」

 俺の言葉をさえぎって、夏菜子はそう言った。それはつまり、この話はもう終わりという意味なのだろう。

 それを裏付けるように、夏菜子は俺のもとを離れて、自分の椅子に座った。


 ポニーテールの位置は、前回よりも上がっていた。少しでも印象付けができるようにと、俺が頼んだ。これでインパクトをだせるかというと微妙なところではあるが、試してみる価値はあるだろう。


 俺は手元に大型封筒を抱えて、生徒会室がある文化棟とは反対側の、教室棟に来ていた。

「書類の受け取りに来ました」

 結局のところ、書類の提出率は改善せず、未提出のクラスを自分の足でまわることにした。いくらアナウンスしたところで、今の時点で提出していないということは、つまりそういうことなのだ。

 そのため、こうして夏菜子にセットしてもらったツインテールで、校舎内をうろつくことになった。

「はい、どうぞ」

 締切の期日が迫っていたことにも、提出がまだだったことにも触れず、俺はそっと手渡された書類を見ていた。

 なんだ。締切のことなんて、まったく気にしてないみたいじゃないか。

 もちろん、何十日も前に提出しろとは言わない。しかし、これではまるで、俺がせっかちな人間みたいだ。

 理奈や夏菜子たちの負担を考えれば、早めに受け取るに越したことはない。だけれど、生徒たちにとっては、そんなことなんてどうでもいいのだ。俺が来たから、仕方なしに提出した。それがすべてだった。


 その後も、未提出クラスを自分の足でめぐった。なかには、『遅くなってしまって、すみません』なんてことを言ってくれる人もいたが、ほとんどが事務的な対応だった。

「生徒会長って、こんなものなのかな……」

 確かに、以前の俺が抱いていた生徒会長へのイメージは『近いけれど、遠い存在』というものだった。それを取り巻く生徒会役員は、まるで別の次元にいるような、そんな感覚をもっていた。しかし、それを取っ払ったのが、先代の生徒会長だった。

 そのときは、どこかのクラスに入ると、みんなが寄ってくるほどの人気だった。皆が慕っていたし、信頼していたと思う。生徒会長の下で活動をすることが、同時に俺の活力となっていた。

 今は、どうだろう。あのときの光景が、まるで嘘だといってくるかのように、皆は俺のことを冷たい目で見てくる。それはつまり、俺は信頼するに値しない存在だという認識をもたれているのだろうか。


 ここから導き出される結論は、たった一つだった。


『始業式のときの盛り上がりは、白昼夢はくちゅうむだったんだ……』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る