第7話 目の前に現れた美少女……のような俺

 現状、俺は自分が女装をしているとは思っていない。これには理由がある。


 高校生は校則でメイクをしてはいけないと決まってはいるけれど、薄くメイクをしている子も中にはいた。しかし、俺はそういった類には興味がわかなかった。メイクをしなければ女じゃないのかということではなく、あくまでも俺個人の話だ。


 面倒くさいとかそういうことではなく、単純にわざわざしようとは思えなかったのである。


 髪の毛を伸ばそうとも思わなかった。父と母は常識さえ守っていれば、基本的に俺が自由に暮らしてもいいという考え方で育ててくれたため、特に制限された環境ではなかった。それでも俺は、髪の毛を伸ばさなかった。

 髪の毛が長い男の人はいるし、髪の毛が短い女の人もいる。そんなことは知っているが、そうしようとは思わなかった。


 それゆえに、悩んだ時期もあった。服を買いに行ったときに、興味がわくのは女性用と書いてあったのだ。もちろん、あえて男性用を組み合わせて着るコーディネートもしないことはないが、基礎は女性用の服だった。

 父は結果的に女装をしていた俺を受け入れてくれず、亡くなる直前まで喧嘩ばかりだった。


 優樹菜と一緒に暮らすことになってからしばらくのあいだは、その悩みを打ち明けられないままだった。結局バレてしまったが、あっさりと受け入れてくれた優樹菜には、本当に感謝していた。


 そんな俺の考えとは裏腹に、なぜか周囲の人たちは俺を『女の子のように見える格好』にさせたがるのである。これはいったい、どういうことなのだろう。


 考えごとをしていて意識が遠のいていたが、気がつくと俺の頭の上には、髪の毛の集合体が乗っていた。あまりに無造作に置かれていたので、事情を知らない人が見れば腰が抜けるだろう。それくらいに、おぞましい雰囲気があった。

「これ結構高いから、きれいに使ってね」

「どうしてこうなった」

 ウィッグというのは、馴染ませるのが意外と難しいようで、夏菜子と理奈は苦戦しながらくしでウィッグの毛をとかしていた。

 今のところ、視界に入っていたのは無数の黒い毛だった。

「ねえ、理奈ちゃん」

「夏菜子、どうしたんや?」

 素人にはよく分からないが、ウイッグを装着することよりも馴染ませることが重要だということは分かる。そして、それが大変だということも。作業を2人がかりで行っているからである。

 しかし、なぜだろう。2人の間で、火花が散っているような気がする。少しばかりも仲がいいとは思えなかった。

「今は休戦協定結んでるだけ、だからね」

 そこでほんの少しの間があった。

 生徒会室は一気に静まり返り、風できしむ窓枠の音が聞こえてくるほどだった。そんな中で、理奈はふふふと笑った。気味が悪いので、その笑い方は控えていただきたい。

「もちろんや。さっさとこれ終わらそ」

 いつのまに戦争が始まっていたんだと思ったが、よく考えるとさっき俺と理奈がほぼゼロ距離で近づいたあとから、理奈と夏菜子はなぜか気まずい雰囲気があった。

 ただ、俺1人では結論を出せない話なので、深く考えることはやめることにした。結局のところ、いくら考えても分からないことは分からないのである。


 それから少し経ち、前髪が整理されたことで、視界が開けていた。そして、2人はくしを机の上に置いた。とりあえず、終わったのだろうか。

「やっといい感じになってきたな」

 目の前に立って、俺のウイッグの具合を見ている理奈には申し訳ないが、すぐにでもウイッグを外してほしい気持ちでいっぱいだった。ウイッグと自分の髪の毛のあいだに湿気がたまっているのか、とんでもなく気持ち悪いのである。もはや大惨事だ。

「もういい? 外したいんだけど」

 ウィッグが想像よりも重たいということを、身をもって知った。重たいということは、それなりにウイッグの毛の量も多いということになる。かつ、蒸し暑い。これはもう、大変だという言葉以外に、当てはまる言葉がみつからなかった。

「だーめ」

 理奈がいじわるそうな顔をして、そう言い放った。

 俺としては、そろそろ解放してほしいのだが。

「暑いんだよ。もう満足でしょ?」

「それならそうと、早く言えばよかったのに。そういうときは、結べばええんやで」

「いや、あのね……」

 言葉の解釈違いというのは、思いもよらぬ悲劇を生んでしまう。

 だめだ。もう俺の声は彼女たちに聞こえていない。悲しいなぁ……。


 特に事前告知はなく、2人は作業を分担して進めていた。会話もなく、茜のクスクス笑いが聞こえてくるだけだった。いったい、どこに笑いの要素があるんだ。

 やがて2人は俺から離れて、こちらをじろじろと見ていた。様子を察するに、2人のしたいことは終わったようだ。心なしか、首元が涼しくなったような気がした。

「果鈴ちゃん、ポニーテールも似合うんだね」

 ポニーテール…? 言葉の意味が理解できず、無心で鏡の前に立つと、そこにはポニーテールになっている子がいた。その子も俺と同じような体型なので、もしかしてそっくりさんか? などと考えていた。だが、冷静になって考えてみると、それは間違いなく俺だった。

 夏菜子が自分のかばんからスマホを取り出して、俺のことを撮り始めた。それに続いて、理奈も同様にスマホで俺のことを撮り始めた。今の俺の姿は、自分の望み通りではないので、あまり残してほしくはないのだけれど。

 セーラー服と黒髪ポニーテールを組み合わせてしまうと、これはもう“女装”行為であると認めざるを得なかった。

「やっぱり、あたしの目に狂いはなかったよ。間違いなくかわいいし、似合ってる」

「長すぎて邪魔なんだけど」

 左右に顔を動かすたびに、自分のつけているウィッグの毛が目に入ってきた。こんなに不便な状況下で、女の子たちは生活しているのか。素晴らしいな。

「はいはい。落ち着いてくださいね」

 夏菜子がそう言いながら、俺を椅子に座らせた。そして、くしを使って髪の毛をより馴染ませようとしていたが、そういう問題ではないのだ。これは気持ちの問題だった。

 それはつまり、俺の気持ちが馴染んでいないということである。

「もう外してもいい? 飽きちゃった」

「あかんで。めっちゃ似合ってるから、写真撮って送ったるわ」

「すごくかわいいね、果鈴ちゃん。この調子で、わたしと一緒にコスプレとかしない? 絶対に人気が出る自信あるよ!」

 なにこれ、帰りたい。地獄の始まりか。

 幼馴染と副会長に、人形代わりとして遊ばれているようにしか思えなかった。俺はどうもおもちゃにされているようだ。

「今度こそ外してもいいか?」

 いい加減、俺の羞恥心が持たないと思い、ウィッグに手をかけた。そうすると、あくまでも冷静に理奈はこう続けた。

「いやいや、果鈴会長は肝心なことを忘れてるで」

 捨て台詞のように口にしたあと、夏菜子となにかをこそこそと話していた。しかし、この時点で嫌な予感がしていた。とても失礼な経験だが、この2人が考えて出した意見が、まともだった経験があまりない。

 そもそも、休戦協定以前にこの2人は仲がいいだろう。

「あのな、果鈴。あたし、ずっと気になってたことがあんねん」

「わたしも気になってたことがあるの」

 夏菜子と理奈の意見がまとまったのか、同じタイミングで話しかけてきた。

「なに?」

「ツインテールってしたことある?」

 ツインテール。またの名を二つ結び。

 結ぶ動作が少し面倒であることから、好き好んでこの髪型にする女の子はあまりいない。

 それに対して、ポニーテールは運動をするときや髪の毛が邪魔になったときに気軽に結ぶことができる髪型だ。別名は一つ結び。

 これは余談だが、男子が好きな髪型はポニーテールが圧倒的なのだそうだ。本能的に、ポニーテールにしてまとまった髪の毛の先が揺れているのをみると、目がいってしまうらしい。

 らしいといったけれど、例外なく俺もそのうちの1人だったりする。

「そもそもツインテールができるほど、髪の毛を伸ばしたことがなかったから」

 そう伝えると、理奈が薄く笑い始めた。

「それなら、問題ないなあ。今は、ツインテールができるくらいの髪の長さやから」

「わたしたちが作ってあげるからさ、果鈴ちゃんをツインテールにしてもいい?」

 有無を言わせずというのは、きっと今の状況をさす言葉なのだろう。

 そう。拒否権などなかった。初めから。

「仲良くしてね。2人とも」

「大丈夫や、今は休戦協定中やからな」

「そうね」

 すっかり息がぴったりな2人だった。

 仲が悪い原因を考えると、明らかにそれは俺だった。しかし、それを俺が心配しても仕方ないのだ。勝手に2人が俺をめぐって争い始めて、勝手に休戦協定を結んだのである。

 俺としては、引き続き勝手にどうぞ、なのである。

 そもそもの話『俺をめぐって』という部分だけで、もうすでに馬鹿馬鹿しい。


「終わったよ」

 そう声をかけてきたのは、夏菜子だった。その横で俺のことをまじまじと見ているのは、理奈だった。

「果鈴。あんた、ほんまに男なんか…?」

「はい。男です一応は」

「下、ついてるんか?」

「さすがにそれはそうだよ!?」

 冷静さがかけてしまい、思わず声がうわずってしまった。

「ふふ。理奈が嫉妬してる」

 やり取りに疲れた俺は、ひとまず自分の姿がどうなっているのかが気になり、先ほどまで見ていた鏡の前に移動することにした。


 鏡に反射して見えていたのは、かわいいツインテールの女の子だった。いつのまに生徒会室に入ってきたんだ? 俺がうたた寝しているあいだに、新しいメンバーが増えたのか。

 そう思いつつ手を振ってみると、女の子も同じように手を振り返してきた。いや、まったく同じように動かしてきたので、少し気味が悪いな。

 そこで違和感の正体に気づいた俺は、思わず笑ってしまった。なんと、それは俺だった。

「果鈴ちゃん、大丈夫?」

 現実を受け入れられず、逃避していた俺を現実に連れ戻してくれたのは、夏菜子だった。

「あんた、自分に惚れたんか」

「誤解を招くような発言はやめて!」

「果鈴会長、さすがにそれは変態のいきを超えてしまいます。控えておいたほうがいいですよ」

 いつのまにか読んでいた文庫本を閉じて、茜は俺のことをじっと見ていた。

「そんなこと思ってないから。というか、茜さん。こういうときだけ発言するの、あたしよくないと思うよ」

 俺の声など聞いていないのだろう。茜はただただ笑っていた。口数は少ないが、茜は一度スイッチが入ると、ずっと笑うような子なのだ。


 火のない所に煙は立たず。


 俺がツインテールにしたという情報がどこからか漏れてしまい、次の日の朝は教室に入ったあとに、クラスメイトから質問攻めされた。

 誰だ。情報漏洩ろうえいしたのは。

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