第6話 初めてのドキドキ、初めてのウィッグ
例外なく、動くことすらも
正確にいうと、季節というよりも時期だろうか。とにかく、生徒会室の中はどんよりとした雰囲気があった。要するに、梅雨の真っ只中である。
いくら生徒会といえど、漫画やアニメのように年中仕事があるわけではない。毎日毎日お祭り騒ぎイベント続きということは、現実には起こり得ないことなのだ。
だが、なんとなく生徒会に属している人間は、習性ともいえる行動がある。それは、用事がなくても生徒会室に集まるというものだ。
「なあ、果鈴会長」
「どうしたの?」
生徒会室という看板はついているものの、ほかの教室と比べて、なにかが変わっているわけではない。一般教室と同様に、エアコンはなく、あるのは貴重な予算で購入したらしい扇風機1台のみである。
そんな生徒会室の中央にある机の上でスライム状になっていたのは、副会長の理奈だった。
「ちょっと休憩してもいい? じめじめしすぎてやる気にならんわ」
「いいよ。休みな」
あまりに暇すぎたのか、理奈はまだ期限が1か月以上先の仕事を進めていた。
その反対側には、ひたすら資料作りに励んでいる茜がいた。作業に集中しているせいか、特になにを話しかけても反応がなかった。茜は元来こういう性格なので、特段気にしているわけではないが、無視されているようで少し寂しかった。
こういうときの茜と理奈は仲良く分担して仕事を進めているので、仲がいいのか悪いのかが本当に分からなかった。実は、かなり仲良しなのではないだろうか。
「はい、どうぞ」
お盆にのせてお茶を運んできてくれたのは、夏菜子だった。いつも通りの割烹着姿に、実家のような安心感がわいた。
「ありがとう」
わざわざ配慮してくれたのか、冷えすぎているわけではなくぬるすぎるわけでもなかった。こういった細かい点での
「今日は一段とじめじめしてるね」
夏菜子は生徒会室の机の上に置いてあったうちわを使って、首元に風を送っていた。
こういうと俺が変態に思われるかもしれないが、うちわであおぐだけではなく、制服の胸元を前後に動かしながら風を送っていたので、下着類が見えそうになっていた。無防備というか無意識というか、なかなか強烈な光景なのでやめていただきたい。
「夏菜子も髪結べばいいのに」
理奈は机に横たわりながら、そういった。だが、自分が髪を結ぶことはないと去年宣言していたので、きっと今年も理奈自身は結ばない。これは、彼女なりのこだわりなのだろうか。
「それもそうだね」
あっさりと受け入れた夏菜子は、かばんから水玉模様のポーチを取り出して、その中からヘアゴムを1つ出して手首につけた。あまりにも慣れた手つきで髪を結ぶ姿を見て、俺はあることを思っていた。
「もしかして、夏菜子って学校以外だと髪の毛結んでるの?」
「うーん。あんまりないかも。たまにだね、たまに」
たまにというわりには、結ぶ動作が軽快だ。
それにしても、夏菜子のポニーテール……とまではいえないが、髪の毛を結んでいる姿はとても新鮮だった。ほんの少しだけ、夏菜子のことをかわいいと思ってしまうくらいだ。
「最近は少ないけど、昔は、わたし髪の毛が長かったでしょう? そのときはよくポニーテールにしてたよ」
「そうだっけ」
一年前くらいの記憶すらも怪しいのに、それ以上前の記憶などないに等しい。
理奈を見ると、先ほどまで溶けたような姿勢をしていた机を離れて、ホワイトボードの前に立っていた。きっとこれは、なにかが始まる合図だ。
「はい。じゃあ、一応はメンバーがそろっているということで、定例会議を行います」
定例会議というのは、元々生徒会の中で意見の仲違いが発生しないように、定期的に意見の交換をしましょう、というものだった。しかし、今ではすっかりその概念は崩れ、ただのおしゃべり会に成り下がっていた。
ただ、あくまでも生徒会についての意見を出すことが条件となっている。関連していれば、結局のところはなんでも構わない、ということである。
理奈以外の全員が椅子に座ったところで、理奈がこう続けた。
「それでは、第112回烏森生徒会定例会議を行います」
「へえ、そんなに回数重ねてるんだね」
感心している茜には申し訳ないが、これは理奈の個人的趣味によるカウントである。決して正確な数字ではない。
「また適当に回数をカウントしたんだね、理奈ちゃん」
初めのうちは真面目に回数をカウントしていた定例会議も、いつのまにか理奈が勝手に決めるものとなっていた。それがいつからかという明確なことは覚えていないが、分かっているのは、俺が生徒会役員になったあとからだということである。
「はい、
本来は司会進行役を生徒会長が行うのだが、いまだに理奈が乗っ取ったままだ。前生徒会長時代はここまで乗っ取ってはいなかったにもかかわらず、俺に変わったあとはずっとこの調子だった。
「今日の議題は、果鈴ちゃんをどういう立ち位置にするか問題、について考えたいと思います」
「は?」
あまりに拍子抜けしてしまい、自然と声が出てしまった。
「ほう……。確かにそれは重要項目」
議題を聞いた瞬間に表情が切り替わった夏菜子も、相変わらずの単純さである。
理奈の話に感心している場合ではないと思っているのは、もしかして俺だけなのか。おかしいと思わないのか、俺以外のやつは!
今思えば、こうなってしまったのは俺が悪いのだ。始業式のあと、生徒会で定例会議の予定だった。だが、俺が始業式でとんでもない行為に及んだことで、定例会議で俺に関する話題ばかりがあがってしまった。
それ以降の定例会議は、ほとんどが学校とは直接関係ない話題が中心となっていた。
流れを変えたのは、そう俺である。
「わたくしこと
「いやいや、生徒会長に立候補させたのは理奈でしょ」
俺がそういうと、どこがツボにハマったのか、理奈は少しのあいだ笑っていた。
元をたどれば、理奈が俺を生徒会長にさせるために様々な手を使ったのは、なんとなく察しがついていた。初めから、理奈は生徒会長になる気がなかったのではないだろうか。はたまた、俺を生徒会長にさせるために行動したのではないか。
そんな風に考えるのが自然なほど、理奈は選挙活動に協力してくれた。
「まあ、ここまでは冗談として。あたしは、あることが気になっています」
「なんでしょう…?」
恐る恐る聞いてみると、理奈は右側の口角だけを上げて笑っていた。
なにその笑い方。怖いだけなので、ぜひやめていただきたい。
「果鈴は、そのあたりにおる女子高生よりもかわいいってこと」
「「確かに」」
夏菜子と茜が同時に発言したためか、生徒会室の中に言葉が響いた。
「そこであたしは思った。このままやったら、果鈴は“ただの女装した男子高校生”で終わってしまう」
改めて言葉に置き換えられると、背筋に寒気が走った。ここは羞恥大会ですか?
「それでいいし、なにもあたしはずっと女装するとは言ってないぞ」
理奈の発言に口をはさんだせいか、とんでもなく怖い目でこちらを
「あんた、それでも男なんか」
「は、え、ちょっと」
突然近づいて来たと思っていると、なにを思ったのか理奈は俺のあごをくいっと上にあげた。
「ほれ、なんか言ってみぃ」
どんどん近づいてくる理奈の
このまま、理奈は俺をどうするつもりなんだ。絶対にドキドキしないと思っていた彼女相手に、俺の心臓は激しく動いていた。心臓ちゃん、勘違いするなよ。
「ちょっと、理奈ちゃん!?」
夏菜子が理奈を俺から離すように、後ろから強引に抱きついた。夏菜子の力の入れ方が本気だったのか、理奈は回転していた。今度は、理奈と夏菜子が見つめあうような姿勢になってしまったのである。
茜は、少し音を立ててお茶を飲んでいた。この子はあくまでもマイペースを維持するようだ。
「夏菜子、どうしたん? もしかして嫉妬したんか?」
「いや……そういうわけじゃないけど」
「けど…?」
なんですか、この三文芝居。いや、夏菜子は本当に嫉妬していたのか…? それゆえに、理奈を抱き寄せた……。それはないか。
「急すぎます。もうちょっと段階を踏んでください」
「分かった。分かったから、離れよか」
この2人、俺と茜の存在を忘れてはいないだろうか。完全に、2人の空間ができつつあるように見えるのだけれど。
少し経ち、夏菜子が落ち着いてきたので、会議を再開することとなった。
「では、話を戻します。結論を言ってしまうと、果鈴にはまだまだインパクトが足りてないんや」
「それ、わたしすごく感じてまーす」
ここで突然、茜が同意してきた。てっきり会議そのものに興味がないのかと思っていたが、どうやら参加意思はあるようだ。
「そやろ? やから、あたしは考えた。どうすれば、果鈴をもっと目立たせることができるんか」
今更気づいてしまったのだが、この話の意図するところが見えた気がする。とどのつまり、俺が目立たない陰キャだということを言いたいのだろう。つらいなあ、人生。
「そこでまず、あたしと夏菜子と茜のあいだで意見の食い違いがないか確かめたいから、なにか案を出してほしいねんけど。なんかある?」
「……ちょっと待ってください。理奈副会長」
「発言を許可します。なんでしょうか、果鈴会長」
聞き間違えでなければ、理奈は『発言を許可します』と言ったぞ。今まで認められていなかったのか。
「あたしはその、意見を出す側ではないってことですか」
「当たり前です。質問は以上ですか?」
「ないです……」
反抗するのは、もうやめにしよう。無駄な体力を使うだけだ。
「では、案がある程度まとまった方から挙手をお願いします」
すかさず手を挙げたのは、茜だった。
「
「えっと、スカートの丈を短くするのはいかがでしょうか!」
さすがにそれは嫌だ、と言いたかったが、理奈ならここは分かってくれるはずだ。そう信じたい。
「うーん。一応は生徒会長やから、校則違反になるようなことは避けたいねんな。でも、確かにそれしたら、馬鹿な男子高校生からは人気が出るかもな」
よし、セーフ。副会長の看板は伊達じゃなかった。
ほとんどの男って単純だからなあ。もちろん、俺を含めての話だ。
「それもそうだね」
「茜、ありがと。夏菜子はなにかある?」
「いろいろ考えてたんだけど、声を変えるとかどうかな」
「つまり、今の男の娘っぽい声の特徴をあえて消すってことやな」
予想外の提案だったのか、理奈はうなっていた。その姿をみて、理奈が望んでいる答えではないと気づいたのか、夏菜子は再び発言した。
「あー、分かりました。ひらめきました。もういっそのこと、女の子になっちゃえばいいんじゃないかな」
実は少し前から手を挙げているが、指名されないので発言権がないということだ。今の状態でなにかを話すと、なにをされるか分からないのでやめておく。
「それは……違う。あくまでも“女装”した生徒会長というインパクトは残しておきたいねんて。もうそれも薄れつつあるけどな」
「やっぱりそうだよね」
「意見、出してくれてありがとうな」
意見を集める時間は終わったのか、理奈はホワイトボードに書いていたメモをきれいに書き直していた。
「そしたら、2人の意見を総合して考えると、あたしの中ではこれがいいと思うねんけど……」
メモ書きに使っていたホワイトボードの上部に、大きな文字でこんなことを書いていった。
『髪の毛の長さを長くする』
「これが一番単純で、インパクトのある行為だと思うんやけど、どうやろ」
そのあと、すかさず茜と夏菜子から拍手が起きた。いや、どの部分に拍手するような要素があったんだ。
「いいね。シンプルで分かりやすいと思います」
「わたしも、これいいと思うよ理奈ちゃん」
ちなみに、発言権が与えられない俺は、いろいろな感情が頭の中を回っていた。俺のことを人形かなにかと勘違いされていないだろうか。そう思うと、かなり心配になっていた。
「夏菜子、確かウィッグ持ってたよな。ロングのやつ」
「持ってるけど、あれ使うの? わたしのお気に入りなんだけど」
女子高生がウィッグを持っているのは、ごく自然なことなのだろうか。俺は夏菜子と付き合いが長いのでずっとウィッグを持っていることは知っているが、ほかの人が持っているということを聞いた覚えがない。
「嘘だろ? 拒否権すらないのか?」
発言権がないと思っていたのは、大きな勘違いだったらしい。正確には、俺の言葉を聞いてくれない目に見えないフィールドが張られているようだ。なんてことだ…なんてことだ…。
3人のペースに飲み込まれたまま、俺は夏菜子の私物である黒髪ロングのウィッグを装着することとなった。
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