第4話 お姉さまに会いに来たんです!

 例のスポーツ大会の運営準備に取りかかるため、夏菜子は会計係として、予算交渉をしにでていた。

 茜は用事があるらしく、今日は欠席。あいつがいない日は、生徒会室は静まり返っていることが多い。


 そんな状況に耐えかねたのか、ずっと黙って作業をしていた理奈が、ぶつぶつとつぶやき始めた。

「ねえ、女装して学校に通うのはどういう神経をしていればできるの」

「それをあたしに聞くのか?」

 その質問をする理奈もかなりの無神経さであるが、それをいったらいろいろとおしまいである。


 初めて女装をしたのは、本当に今思えばくだらないことだった。

 罰ゲーム以前にも、俺は女装をしていたことがあるらしい。


 小学生くらいのときの俺は、女子とは話すこともままならない性格だった。このときはまだ両親が健在で、よく心配されていた。

『あらあら、それは困ったわねえ』

 話を聞いてくれていたのは、主に母だった。父とは、昔からあまり話す機会がなかった。そもそも、俺が父のことを苦手に感じていたのだ。

『ぼく、もっと普通になりたいのに、なれないよ』

 周りと比べても、同じような人はいなかった。当たり前のように男子は女子と、女子は男子と話していたのだ。それを見ていたせいで、俺はより孤独を感じていた。

『果鈴は繊細だものね』

『せんさい、ってなに?』

 母はその問いには答えず、そっと抱きしめて頭を撫でてくれた。


 それから数日後、父と母はあるものをプレゼントしてくれた。

 誕生日でもないのに、突然なんだろう。そう思いながら袋を開けてみると、そこにあったのはとんでもないものだった。

『これ、女の子用の服だよね?』

 中に入っていたのは、あろうことかセーラー服。当時流行っていたアニメのキャラがセーラー服に由来する服装をしており、それに似た服を着ている女子は多数いた。そして、なにを思ったのか、プレゼントにそれが選ばれてしまったのである。

『似合ってるじゃない』

 反抗する間もなく、俺はその格好に着せ替えられていた。

 これが、俺の初めての女装だった。


 あとで買ってきた理由を聞くと、『女の子になれるには、まず果鈴が女の子みたいになればいいかなって思ったの』という答えが返ってきた。ぶっ飛んだ発想にもほどがある。


 当初は家にいるときにだけしていた女装も、だんだんエスカレートしていった。近所に出かけるとき、友達と遊ぶとき、もちろん家にいるとき。もはや、女装をしていない時間のほうが、少なくなっていた。

 季節が変わっていくとともに、俺が持っている女装用の服も増えていった。最終的には、男物の服がどこにあるのか探しづらくなるほどだった。


 女装を始めたときの目標であった、女子と話すことはすでに達成済みだったが、その事実を両親には伝えていなかった。それを伝えると、もう女の子の服は買ってもらえないと子どもながらに分かっていたからだ。

 それは嫌だという気持ちが、心の中にあった。


 その状態がしばらく続いたある日、俺は父に呼び出されていた。

『なあ、果鈴。いつまでその格好を続けるんだ?』

 終わりが来るとは思っていた。いつまでもこの格好を続けられないと、頭の中では分かっていた。しかし、こんな風に責められるような言い方をされるのは、気に食わなかった。

『なんでそんな言い方されないといけないんだよ。元々は、父さんと母さんが買ってきたものじゃないか』

『もう3年近く前の話じゃないか。あのときとは状況が違う』

 その言葉ですべてが分かった。この人はきっと、俺ではなく周りの目を気にしているのだと。ただ、そうと分かっていても、なにも返事をすることができなかった。


 元から父とはあまり仲良くなかった俺は、強硬手段にでた。子どもだからこそできる、最大限の反抗だった。話せないと分かっているなら、意思を行動で示すしかなかった。


 その日の俺は、学校用となってしまった男物の服に袖を通さなかった。

『いってきます』

『果鈴さん、いってらっしゃい。…って、その格好で学校行くの!?』

 後ろから俺を止めるような声と、怒鳴り声のような声が聞こえた。しかし、俺はそれらを無視するように、走って学校へと向かった。


 学校に行くと、周囲の目線が集まっているのがすぐに分かった。人の目が怖いというのは、きっとこういうことをいうのだと察した。

 渡り廊下を進み、教室に入ると、一気に教室の中が静まり返ってしまった。こうなると状況を説明せざるを得ないと感じ取った俺は、教壇の前に立ち、ゆっくりと深呼吸をした。

『みんなおはよう。多分、ぼくの格好でおかしいなって感じてると思います』

 俺のあとに入ってくる同じクラスの人は、入ると同時に動きが固まっていた。何が起きているんだと、そう思っていただろう。しかし、俺も全く同じことを思っていた。

『なぜなら、ぼくが女装してるからだよな!』

 そこで、俺の心の中にあった変なスイッチがオンになった。もうこうなると、口が勝手に動くだけだった。

『立花果鈴は、今日からこういう格好で過ごすことにしました。だから、みんなも新しいぼくをよろしくお願いします』

 手のひらからは汗が止まらなかった。のどはもうかわききっていた。


 そのあとのクラスメイトの反応は、様々だった。接し方が今までと変わらない人、より親密になった人、疎遠になってしまった人。

 当時の俺は、人間関係が崩れることよりも、自分がようやくみつけた『一番居心地のいい格好』をやめることのほうが恐ろしかった。それゆえに、こんな強硬手段をとったのである。

 ちなみに、そのあと母が学校に呼び出されたのは、言うまでもない。


 小学校で卒業を迎えるまでは、女装行為を続けた。やめるにやめられないというのもあったが、過去の自分に負けるのが悔しかったのだろう。つまり、父への最大限の反抗の続きだった。


 中学生になり、制服が導入されたため、俺は学校での女装行為をやめた。女子用の制服を買って着るという手もあったが、まずそんなお金はなかった。唯一相談ができる母に提案してみたが、いろいろな理由をつけられて却下された。

 ここで、俺はある結論に至った。それはもう女装をやめよう、ということである。

 これ以上無理をして女装をする必要は、いったいどこにあるのか。それが分からなかった。今がいい機会だと割り切り、俺はサイズの合わなくなった男物の服を買い換えてほしいと母に言った。


 女装をやめてから約3年後。優樹菜と一緒に暮らすようになってから、ある程度の時間が過ぎていた。だが、そこで俺の秘密を打ち明けていなかった。

 実は、俺は女装をやめることができなかったのである。

 正確にいうと、小学生のときのように、女装をして外出することはなかった。つまり、家の中では女装を続けていたのである。意地になって続けているだけだと思っていた女装。しかし、それはいつのまにか、自分の中の要素の一部となってしまっていた。


 そうした、いびつな日々はあっけなく終わった。


「え…? お兄ちゃんなの?」

 いつものように、なんの違和感もなく自分の部屋で勉強をしていたところに、優樹菜が入ってきたのだ。

「……そうだよ」

 どうしよう、という不安よりも、ついにこのときが来たか、という諦めのほうが勝っていた。

 一方、優樹菜は我を忘れたかのように、俺のことをじっとながめていた。

「お兄ちゃんって、本当はお姉ちゃんだったりする?」

「しないよ。俺は俺だ」

「じゃあ、お兄ちゃんは女の人になりたい人なの?」

 それは、俺自身も答えを見つけられていないことではあった。

 俺は単純に、好んでいる服装が“偶然”女性用の服だったというだけで、女の人に憧れなどはない。強いていうなら、メイクの仕方を学ぼうか迷っているところ、というふんわりとしたものだった。

 決して、女の人になりたいわけではなかった。

「そういうわけでもない。ただ、趣味で女装してるだけだよ。…幻滅したか?」

 優樹菜は、直接的に俺の父と母との関わりがあるわけではなかった。そのため、ここで俺が小学生のときの話をするのは、変な気遣いをされそうなので、あえて避けていた。

 何かがあることは察してくれたのか、優樹菜はその部分には触れずに、ある質問を投げかけてきた。

「普段から女の子の格好してるの?」

「自分の部屋にいるときは、してることが多いかな」

 そう答えると、優樹菜は不満そうな表情をして、こう続けた。

「なんでもっと早く教えてくれなかったのよ!」


 優樹菜は、俺の女装趣味を全面的に受け入れてくれた。何も否定せず、かといって過剰な肯定もしなかった。

 あくまでも、女装しててもいいよ、というこれまたふんわりとしたものだった。

 受け入れてくれただけでなく、服や小物などの提供もしてくれた。正確には、優樹菜のおさがりであったり、買ったが使わないものなどだったが、それでも十分嬉しかった。

 女装が発端となり、優樹菜と会話をする時間も、次第に伸びていった。


 一口で女装といっても、それは俺の人生とは切っても切れない関係になりつつあった。

 それを理奈に説明してみたが、明らかにつまらなそうな顔をしていた。

「そんな話があったんやな」

 理奈は、興味なさげにそうつぶやいた。感情を隠そうともしないところが、なんとも理奈らしかった。

「思ってたよりも、深かっただろ?」

「いや、全然そんなことないで」

 本当に興味がわかなかったのか、理奈は作業に戻っていた。

 だが、そのすぐあとに、なにかを思い出したかのように顔を上げて話しかけてきた。

「というか、気づいてしまったんやけど」

「なに?」

「あんたが始業式のときにしてた演説、原型は小学生のときにあったんやな」

 あふれそうになっていた緊張感をほぐすために行った、あの儀式。時を超えて、始業式での演説のときにも同じことをした。

「まあ、一応ね。あれは、そのときハマってたアニメのセリフを使ってるんだよ」

 タイトルは忘れてしまったが、確か『お姉さま』というあだ名がついていたキャラの有名なシーンのセリフだった。

「あたしも見てたよ。あのセリフ言ってたのって、『お姉さま』だよな」

「うん、そうそう」

 ストーリーすらもおぼろげなその作品は、なぜかそのシーンが色濃く頭の中に残っていたのだ。それゆえに、わずかな記憶の欠片から思い出すことができた。


 そこで、生徒会室のドアをノックする音が聞こえて、ゆっくりと開いた。そこにいたのは、見慣れない制服を着ている女子高生らしき人だった。

「すみません、生徒会室ってここであっていますか?」

「そうや。ここは烏森高校の生徒会室やで。あたしは、生徒会副会長の桜葉理奈さくらばりな。あんたは、どこのどちらさん?」

「申し遅れました。昨日まで、桜ヶ丘女子高校に通っていました。中津春花なかつはるかです。今日から、烏森高校に通うことになりました」

「ということは今日、船でこっちまで来たんか。大変やったやろ」

 船でこの島へ来るには、高速船でも3時間近くはかかる。フェリーだと半日近くだ。とても簡単に来れるものではないのは、確かだった。

「まあ、そうですね。でも、懐かしい景色ばかりで、ほっとしました」

 妙な言葉の使い方に、俺は質問をせざるを得なかった。

「以前に、ここで住んでいたことがあったんですか?」

 そう聞くと、謎の女の子はこちらを見て不思議そうな顔をし始めた。あまりにも不審なので、一歩下がってしまった。それに気づいたのか、気づいていないのか、女の子は言葉を選ぶようにして、こう続けた。

「あの、間違えていたらすみません。あなた『お姉さま』ですよね?」

「…え?」

 ここで、俺はあることを思い出していた。そう、小学生のときのあだ名が、女装当日にした某セリフの影響で『お姉さま』になってしまったはずなのだ。そして、それは約1年ほど続いた。

 つまり、この子はその当時の俺を知っている人物ということになるのか…?

「わたし、お姉さまに会いに来たんです!」

 そういって抱きついてきた、謎の少女。俺の胸元には、柔らかな弾力のある感覚があった。

 そして、そのとき生徒会室のドアが開く音がしたが、すぐになにかが落ちる音がした。

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