第39話 悲しい目

 ダラムの山奥の洞窟に二つの影が佇む。


「ガイアスが死んだな」


 大柄な影が、もう一方の女の影に言う。


「自分からどうしてもと言うので任せてみればこの有様。やはり力だけの馬鹿は魔王直属部隊には必要ないわ」


 女の影は冷ややかに言う。


「のん気に批判している場合ではないぞ。サザランドを落とされたら魔王様に顔向け出来ん」

「大丈夫。もう次の手は打っているわ」


 女の影は闇の中でにやりと笑った。




 エリオンとレイラは何の変哲も無い小さな村に着いた。

 何も聞いてはいないが、レイラはこの村が目的地だとエリオンの態度で分かっていた。

 村に一軒しかない宿屋に入るなり、「明日は行く所があるから」とエリオンは言う。付いて来いとも、付いて来るなとも言われていないが、言葉の響きにはレイラを寄せ付けない冷たさがあった。

 二人で同じ部屋に泊まる。だが、手さえふれ合わない、それどころか会話さえ無い無意味な冷たい同室だった。




 次の日、朝早くにエリオンは宿を出た。

 一人取り残されたレイラはする事も無く村の中を歩く。特に見るべき物もなく、子供達が野原で花輪を作っているのを近くの切り株に座りなんとなく見ていた。

 無邪気に遊ぶ子供達は楽しそうで、こんなに近くに居るのに自分とは別世界の住人のようにレイラは感じた。

 何を思ったのか、子供達の中から一人の女の子が花輪を手に歩いて来る。境界線を越え、別世界の子供が自分の世界に入って来た。


「お姉ちゃん、頭を出して」


 女の子が可愛らしい笑顔で言う。

 レイラは女の子の意図が分からなかったが、頭を下げ前に出した。


「はい」


 女の子は手に持った花輪をレイラの頭に乗せてくれた。


「どうして?」


 レイラは女の子が自分にしてくれた事の意味が分からなかった。


「お姉ちゃん、悲しそうな目をしていたから」


 悲しそうな目……。

 自分はそんな目をしていたのだろうか。

 悲しそうな目と聞いて、レイラはある女性の顔を思い出す。いつも悲しそうな目をしていたその女性は、レイラの母シェリルだった。




 シェリルは夫に先立たれ、五人の子供を一人で育てていた。

 末っ子のレイラは甘えたい盛りだったが、夜遅くまで家族の為に働く母の事を思い、自分の感情を殺し良い子を演じた。

 シェリルはいつでも優しくレイラを抱き締めてくれたが、その目には常に悲しみが浮かんでいた。レイラは母に心から笑って欲しかった。自分が負担で母が悲しいのかとまで考えた。

 五歳の時に母の知り合いから聞いた聖シスターの募集に自分から希望して参加した。

 自分が居なくなれば母の負担が減る。もし、聖シスターに選ばれたなら母が笑ってくれるかも。

 幼心にそう考えたのだ。




 レイラは自分が一番望んでいた事は母の笑顔だと思い出した。同時になぜ自分がエリオンから離れられないのかも分かった。エリオンは母と同じ悲しい目をしているのだ。

 今自分は母やエリオンと同じように悲しい目をしている。そんな自分が二人を笑顔に出来る筈は無い。

 いつの間にかレイラの瞳から涙がこぼれていた。


「おねえちゃん、どこか痛いの?」


 女の子が心配そうに尋ねる。


「ううん、違うの。おねえちゃん大事な事を思い出して嬉しいの」


 レイラは女の子を抱き締める。


「ありがとう。この花輪を大事にするね」


 レイラは心の底から笑っていた。 




 エリオンは、かつては村であった廃墟を訪れた。

 もう六百年の月日が経ち、ここが村だったと言う事も分からないくらい荒れている。

 エリオンは記憶を頼りに村であった場所を歩く。リザベルと過ごした場所を一つ一つ頭に描きながら。

 村の外れに位置する場所でエリオンの足が止まった。目の前には大きな岩がある。その岩肌には、今では何が書いてあるのか分からないが、文字らしき物が刻まれている。

 エリオンが気を巡らせると、人差し指の先が光り出す。それで岩肌の文字の上をなぞり改めて読めるように書き直した。


「我が最愛なるリザベルがここに眠る」


 エリオンは一字一字声に出してなぞった。

 と、その時。エリオンは背後に人の気配を感じた。


「誰だ」


 エリオンが振り返るとそこにはリザベルが立っていた。


「まさか……リザベル!」


 エリオンの頭の冷静な部分が、そんな事は有り得ないと警告を発したが、中心部分はその警告を受け付けない。

 元々背後に来るまで気配に気付けない事が、エリオンが普通の状態でない事を表していた。隆弘に負けてからのエリオンは、明らかに通常持っている能力を失っている。


「六百年の時が過ぎてもまた会いに来てくれたのですね」


 とリザベルの姿をした者が言う。


「俺は一日だって君を忘れた事はないよ。リザベル」


 警戒心を失くしてしまったエリオンが言う。


「嬉しい」


 リザベルがエリオンの胸に飛び込む。

 二人は強く抱き合いキスをした。


「うう……」


 エリオンは急に強い目眩を感じる。


「ぐあっ」


 とうとう堪え切れずに膝を折り、エリオンは四つん這いになった。


「大丈夫? エリオン」


 そう言うリザベルの顔は笑っている。


「心配しなくても私に従えば大丈夫よ。あなたは|偽装の顔(トリックフェイス)に騙され|奴隷の接吻(エムズキッス)に罹っただけだから」


 リザベルがエリオンの頭を撫ぜた。だがその姿をもし他人が見たら、金髪の美しい青年の頭を修道女の服を着た老婆が撫ぜているように映る筈だった。




 レイラは宿屋の部屋で椅子に座り、女の子から貰った花輪を笑顔で見つめている。

 こんなに心が軽いのはいつ以来なのだろうか。

 レイラは自分の目的を見つけた。それは誰かから強制された物ではなく、自分自身で見つけた生き甲斐と呼べる物だった。

 私はエリオン様を笑顔にする。そして二人で故郷に帰ろう。きっとお母様も笑顔で迎えてくれるわ。

 その時、コンコンと部屋のドアがノックされた。


「はい」


 レイラが立ち上がり、ドアを開けるその前に外側からドアが開いた。

 部屋に入って来たのは、修道女服の老婆とエリオンだった。


「あなたは聖母様……どうしてここに?」


 レイラは老婆が誰か知っていた。聖母と呼ばれる老婆は、聖シスターの教育係で責任者のカーラと言う女性だった。


「どうしてじゃありません。あなた達現役の聖シスターが、しっかり勇者様をサポート出来ていないのでわざわざ私が出てきたのですよ!」


 カーラはきつい口調でレイラを責めた。


「ここに居るのもエリオン様のデーターを調べた結果、ここに来る事が分かったからです。あなた達がちゃんとしていれば私はここに居ない筈ですよ」

「すみません」


 レイラは反論せずに謝った。そうした方がカーラの小言が早く終わると知っていたからだ。

 レイラは、部屋に入ってから一言も口を開かないエリオンの顔に視線を移した。

 おかしい。エリオンの目から悲しみが消えていた。いや悲しみだけじゃない、喜びや怒りや笑いなど一切の感情が感じられなかった。

 何かある。

 レイラは直感的に感じた。

 どうするべきか。

 レイラはすぐに心をコントロールして冷静に考えた。

 エリオン様の様子が変わったのも気になる。もう少し状況を把握する方が良いだろう。


「とにかく、私達はサザランドに戻らなければなりません」


 と、カーラが言う。


「サザランドにですか?」

「そう、チェスゴーの貴族の一人が私の居ない間に謀反を企て、ついにはダラム国内に侵攻して来ました。私は謀反軍からサザランドを守る為に行かないといけません」

 エリオンがこの部屋に入ってから初めて口を開いた。だが、相変わらず目には何の感情も浮かんではいない。


「分かりました。エリオン様に従い、私もサザランドに向います」


 エリオンが昨日までの投げやりな態度と違い勇者として行動しようとしている事に、レイラは違和感がある。

 だがレイラは、今は騙された振りをして情報収集をしようと考えた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る