第30話 憧れか愛情か
「リザベルさんとの日々は素晴らしい思い出なのでしょうね」
エルミーユはエリオンに抱かれたまま、優しく言った。
「す、すみません」
エリオンはエルミーユから体を放した。
エルミーユの優しい口調が逆にエリオンを冷静にさせたのだ。
「私は本当にリザベルさんの生まれ変わりかも知れません。でも今の私は紛れも無くエルミーユと言う人間なのです」
エリオンの表情が辛さに歪む。
エルミーユに言われなくとも、そんな事はエリオンも十分に分かっていた。
「それでも、傍にいて欲しいのです……」
エリオンが搾り出すように言った後、沈黙が訪れた。
「……すみません」
エルミーユは困ったような表情で頭を下げ、馬車に戻って行った。
「話は終わった?」
エルミーユが幌の中に入るとレイラが聞いて来た。
「ごめんなさい。起こしてしまったみたいね」
エルミーユは慌てて毛布に包(くる)まった。
「私がリザベルさんに似ていれば良かったのに」
暗い中で二人とも寝ているので、エルミーユにはレイラがどんな表情でそう言ったか分からなかった。
「もしかして、エリオン様の事が好きなの?」
レイラの真意が分からず、エルミーユが聞く。
「違うわ。私ならどこにも行かずにずっと傍にいる。それが使命だから」
「使命か……」
もし私がチェスゴーに行き、シュウと会わずにエリオン様に会っていたとすれば、どうなっていたのだろうか。使命感だけで傍に居て、それでもエリオン様は幸せなのか。
それは違うと思う。エリオン様はリザベルさんといた時の安らぎを求めているのだ。
シュウと知り合わなければ、私はエリオン様を愛していたのだろうか。
それは分からない。でも今更考えても意味の無い事だ。私はシュウとレオの二人と心安らぐ日々を過ごしたのだ。もうあの日々が無かった事には出来ないし、したくはない。
エルミーユはシュウとレオの姿を思い浮かべた。
二人に会いたい。
今、自分が望む事はそれだけだ。
せめて夢の中だけでも……。
エルミーユは二人の姿を頭に焼き付けながら眠りに就いた。
「だからそうじゃないって言ってるのに」
「お前がこうしろって言ったじゃないか」
今日の野宿の場所が決まり、アルテリオとモニカが夕飯の支度、隆弘とハンナが宿泊の準備をしている。アルテリオとモニカが、料理の事で言い争いをしていた。
「またあいつら喧嘩してるよ」
テーブルを準備している隆弘が呆れた顔をして呟いた。
「でも、アルさんとモニカさんって仲が良いよね。ああして喧嘩していてもほら、もう仲直りしてる」
横にいたハンナが言う通り、二人はいつの間にか仲直りしていちゃつきだしている。
「いいなあ……」
ハンナが二人の様子を、羨ましそうな顔で見詰めながら小声で呟いた。
「絶対に俺がシュウの所に連れて行ってやるから。もう少し我慢してくれ」
隆弘はハンナの肩に手を置いて慰めた。
「お父さん……」
ハンナは隆弘を見て寂しげな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。でも最近自分の気持ちが良く分からないの……」
「自分の気持ち?」
「シュウと離れ離れになってもう三ヵ月近く、一緒に居た時に感じた好きだと言う気持ちは嘘じゃないけど、段々その記憶も薄れて来た……」
ハンナはどこか遠くの方を見詰めるように淡々と語り始めた。
「初めてまともに外に出て、運命の人と会い、その人に優しくされて好きになって……。毎日のように訪れる冒険の日々を過ごして夢のようだった」
隆弘はハンナの言葉を何も言わずに黙って聞いている。
「本当にシュウの事が好きだったのか。自分が夢見ていた暮らしが嬉しかったのか。少し冷静になった今はどちらの気持ちが本当か、自分でも良く分からなくなったの」
ハンナの言葉は今の素直な気持ちだろう。隆弘にはハンナの気持ちが十分に理解出来る。
元々隆弘はハンナとエルミーユがシュウに対して持っている好意は、理想や憧れや錯覚が強いと思っていた。
男から隔離され、勇者が自分の運命の人と教え込まれた聖シスターの養成所。そんな風に育って来てシュウに会ったのだから、好きと言う気持ちが本心なのか植え付けられた気持ちなのか分からなくて当然だ。
「それで良いんじゃないか。またシュウに会えば何か分かる事があると思うし、もし好きと言う気持ちが勘違いであっても気にする必要はない。男と女の関係なんてそんな間違いしょっちゅう有る事だからな」
隆弘はハンナに笑って見せた。
「ありがとう。少し気が楽になるよ。でも……」
「でも?」
「もし私がシュウと別れてしまったら、お父さんはお父さんでなくなるんだよね」
「あ……」
確かに息子の嫁だからお父さんであって、もしシュウの嫁でなくなったら赤の他人になるんだよな。
確かにそうなのだが、こんなに自分を慕ってくれる可愛い女の子が娘でなくなるのは隆弘自身も残念だった。ただ、だからと言ってハンナに自分の気持ちを殺してまでシュウと付き合って欲しくは無い。
「それはそうだけど、ハンナは自分の気持ちを一番に考えれば良い。もしハンナが望んでくれるなら、俺はいつまでもハンナのお父さんで良いから」
隆弘の言葉を聞いてハンナはパッと明るい笑顔になった。
「本当に? 良かった……なんかすっきりしたよ。早くお父さんに相談すれば良かった」
ハンナはそう言うとフフッと笑った。
その笑顔の可愛さに隆弘は一瞬ドキッと胸が高鳴る。息子と同世代の女の子なのに俺はロリコンか、と自分を非難した。
「あー、兄貴達さぼってるな。料理は出来たから早く食べようぜ」
誰のお蔭で俺達の手が止まったと思っているんだよ、と隆弘は文句の一つも言いたくなったが、遅れているのは事実なので急いで用意を整えた。
「美味しそうね。私の分も有る?」
用意が整い、さあ食べ始めようとした瞬間、馬車の上から声が聞こえた。
「アリア!」
馬車の幌の上に座っているのは、モニカの姉のアリアだった。
「どうしたんだ、急に来て」
隆弘は幌から降りて来たアリアに席を譲り、自分は予備の椅子を出して座った。
「夕飯ぐらい安いと思うわよ。情報を持って来たんだから」
「情報って?」
「あなた達が向っているシエランにはもう息子さんはいないわ。エリオンと戦って負けてしまったの」
「ええ! それでシュウは大丈夫だったのか?」
隆弘は心配してシュウの安否を尋ねた。
「それは大丈夫。シスターが、自分がエリオンに付いて行く事を条件に息子さんの命を助けて貰ったからね。今はチェスゴーの貴族の所で暮らしているよ」
「そうか、命があるなら良かった」
隆弘は一先ずホッとした。
「次にエリオンがあなた達に会いたがっているの」
「エリオンが俺達に? 何の用だ?」
「ダラムの王に謁見する条件が、指名手配中のあなた達を捕まえる事らしいの。エリオンがあなた達の居場所を聞いてきた時に知ったの」
「じゃあ、エリオンはもう俺達の居場所を知っているって事か」
シュウが負けたって事は、エリオンは相当強いのだろう。俺達で倒せるのだろうか。
「それは無いよ。私はもう情報屋から足を洗ったからね」
「ええ! 姉さん本当?」
モニカが驚いて声を上げた。
「本当だよ。私も本当に愛せる男を、旅をして捜すんだ。でも一人じゃ寂しいから一緒に行っても良いでしょ。ね、勇者さん」
アリアが情報屋から足を洗ったのは良い事だ。出来る限り応援してあげたい。
「良いんじゃないか。なあ皆」
「ありがとう。さすが優しいね」
アリアは隆弘の腕に抱き付いて来た。
「でも、お父さんを誘惑したら駄目だからね」
ハンナが怒ったように言った。
「それから、エリオンから伝言を頼まれたの。時間と場所を指定して会いたいと」
どうすべきか。罠かも知れないし。
「きっと待ち伏せしたり、卑怯な手を使われるぜ。無視した方が良いんじゃないか」
アルテリオが言う事は尤もかもしれない。でも忘れている事がある。
「そう言えばシスターがエリオンに付いて行く事が、シュウを助ける条件だったよな。今もそのシスターはエリオンと一緒に居るのか?」
「うん、居るよ。特に乱暴されたりはしていないみたいだけど」
「そうか。なら決まりだ。エリオンに会おう。エルミーユが一緒に居るなら助けないとな」
隆弘は会う決断をした。エリオンの考えが分からない時点で危険な賭けだが、エルミーユの事を考えると仕方が無い。
「アリア。エリオンに時間と場所を指定するように伝えてくれないか。それと、シスターに傷一つでも付けたら俺はお前を許さないと言っておいてくれ」
「分かった。お安い御用よ」
アリアが間を取り持ち、隆弘達とエリオンはダラム内にある町で会う事になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます