第27話 勇者への道
甘くとろけるようなキスだった。
シュウにはこれが夢だと薄々分かっている。エルミーユは今エリオンの元に居るのだ。自分とキスをしているはずはない。
だが、夢とは思えないくらいリアルな感触がある。
柔らかい唇。絡み合う舌と舌。漏れる吐息。
シュウはエルミーユの頭を右手で優しく撫ぜ、もう一方の手は胸へと伸ばす。
心地よい弾力の感触が手のひらに……。
「!」
シュウはいきなり夢見心地から醒めた。
「誰だ?」
慣れ親しんだエルミーユとは違う大き過ぎる胸がシュウのまどろみを醒まさせた。
「もう、レオくんが起きるでしょ」
ジョエルだった。
「お前がなんでここに居るんだよ」
シュウはヒソヒソ声でジョエルに文句をいった。
「ここをこんなにして怒っても説得力ないよ」
ジョエルがシュウの腰に手を伸ばし、硬くなった物を擦る。
「やめろよ、俺にはエルミーユがいるんだよ」
シュウは背筋がぞくぞくするような快感に抵抗し叫んだ。
「どうしたのシュウ……」
気が付くとレオが眠そうな顔をしてベッドの横に立っていた。
「何でもないから寝てていいぞ」
シュウはベッドから起き上がり、レオを横のベッドに寝かせた。
「ちぇ、つまんないの」
ジョエルは不満げな顔をしてベッドの上に座り込んだ。
シュウはジョエルを追い出し、部屋の鍵を掛けた。
タルミの居城に到着した日は時間も遅く、すぐ用意してもらった部屋で寝ていたら、いつの間にかジョエルが忍び込んできたようだ。
その翌日。シュウ、レオ、ジョエル、タルミの四人は食堂で朝食を食べていた。二十人程が一度に食事を取れる大きなテーブルに四人で食事している。
「今日は例の老人に会うんですよね」
シュウがタルミに尋ねる。
「ああ、朝食が終われば家に行くと伝えている」
「どんな人なんですか?」
シュウは老人に興味を覚えた。
「不思議な存在感を持つ人だよ。着の身着のまま何一つ荷物も持たずにこの城に現れて、いきなりシュウを助けに行けと言うし」
「俺の事を知っているのか……」
「にこにこと笑顔を絶やさないんだが、全く隙が無くて、武器を持っていても勝てる気はしなかったよ。おまけに話をすると、知識は豊富で三国の事情にも精通しているし、まるで仙人のような人だったな」
タルミの表情は心から老人に心酔しているようだった。
「俺はすぐに最高の客人としてもてなし屋敷も用意したのだが、山裾にある小さな家を貸して欲しいと言われてな。今はそこに住んでおられる」
「そんな人がなぜ俺を……」
「まあ、それは俺にも分からん。でも行けばシュウにもご老人の凄さが分かるさ」
そう言ってタルミは豪快に笑った。
「タルミさん。お願いがあります」
シュウは立ち上がりタルミに頭を下げた。
「今日その老人に会ったら、俺に馬とお金を貸して頂けませんか」
「さらわれたシスターを助けに行くのか?」
「はい。ターシアンさんが言う事も分かりますが、俺はここでじっとしている訳にはいかないんです」
うーんとタルミは腕を組んだ。
「レオはどうするんだ。連れて行くのか?」
「いや、我侭を言うようですが、ここで預かっていただけませんか。戻ってこられたら必ず恩返しはします」
戻ってこられたらか……。それなりの覚悟はしているのだな、とタルミは感じた。
「俺も一緒に行く!」
「絶対にエルミーユを連れて戻るから、レオはここで待っていてくれ」
絶対とは言ったがシュウにはそこまでの自信は無かった。だが、ここならレオが不幸になる事はないと思えた。
「まあ、取り敢えずご老人に会ってから考えよう」
タルミは行かせてやりたい気持ちと無駄死にさせたくない気持ちとの間で心が揺れて、返答を先延ばしにした。
食事が終わった四人は馬車に乗り、老人の家に行く事になった。
馬車にはターシアンも同乗している。話し振りからターシアンは老人に対抗心を燃やしているようだ。
馬車は山裾にある、木造の小さな家に着いた。庭に面した小さな門の前でタルミが叫ぶ。
「ご老人、タルミがシュウを連れて参りました!」
しばらくして、入り口の戸が開き小柄な老人が出てきた。
老人は中世の西洋風なこの世界では違和感のある、黒い作務衣風の服を着ている。
頭は一本の毛も生えていないが、代わりに白く長い髭を生やしていた。
「タルミ殿、本当にありがとう。これで……」
老人はシュウ達を見て驚き、話を途中で中断してレオの前まで歩み寄った。
「この子は?」
老人はレオを見て驚いていたのだ。
「この子は俺の息子でレオと言います」
「この子がお前の息子じゃと……本当か?」
「俺はそう思っています」
老人はしげしげとレオの顔を眺めた。
「レオ、お前はお父さんの事が好きか?」
老人はレオの瞳を真っ直ぐに見つめて、そう問いかけた。
「うん」
レオがこくりと頷く。
老人はレオの言葉を聞くと急に大声で笑い出した。
「よし、良く分かった。ならば何も言うまい」
「俺とレオに何かあるんですか?」
シュウが不安げに尋ねる。
「二人とも良く聞きなさい。これからお前達にはさまざまな困難が待ち受けているだろう。だが、お互いを信じ助け合えば必ず乗り越えて行ける。この世界の未来はお前たち二人に掛かっているのだ」
「俺達二人に……」
老人はレオの頭を撫ぜて笑顔を見せる。
「レオには難しかったかな」
「俺、お父さんと一緒にがんばる!」
「よし、良く言った。じゃあ早速、真の勇者になる為に修行を始めるぞ。シュウ、レオ付いて来い」
老人はそう言って家に戻ろうとした。
「いや、ちょっと待ってください、ご老人。シュウを連れて来たらお名前を教えてくれると約束をしたではないですか」
タルミが老人を慌てて止める。タルミは老人を名の通った偉人だと思っているのだ。
「ワシの名は郷田徳次郎だ。さあ、行くぞ」
徳次郎は家に入ってしまった。
「ゴウダトクジロウ?」
日本人なのか? あの老人は……。
シュウがそう考えていると横でターシアンが呟いた。
「教祖様だ……あの老人はゴーダ教教祖である、初代勇者様だったんだ……」
ターシアンの言葉でシュウも気がついた。
今まで意識していなかった教団の名前は初代勇者の名前で、あの老人がそうだったんだ。
「あのおじいさんが初代勇者なの? でもその時代は九百年前だよ」
ジョエルが驚きの声を上げる。
皆は徳次郎が消えた扉を呆然と眺めていた。
さっそくその日からシュウとレオの修行の日々が始まった。
「シュウお前はこれを付けろ」
庭で、徳次郎はシュウの目の前に鉄で出来たリストバンドを投げた。
「これは……」
シュウは首を傾げながらも、リストバンドを両手首に付けた。
「おおお!」
シュウは急に自分の体重が何倍にもなったかのように感じ声を上げた。
「それはな、ワシが作った魔力を封じる念を込めた腕輪じゃ。今回は特別に五倍の重力を感じるように追加しておる」
「こんな物があるなんて……」
シュウは気を抜いたら地面に這いつくばりそうになるのを必死に堪えていた。
「魔力を封じる腕輪なら結構作ったからな。どこかで悪用されているかもしれん。だが、お前の勇者としての力を出せばこんな物はただの飾りにしかならん、すぐに慣れるわ」
徳次郎は愉快そうに笑った。
「じゃあ、これで裏山にある泉の水をこの瓶に一杯になるまで汲んで来てくれ」
徳次郎はシュウの前に木の桶を一つ置いた。
「分かりました」
シュウは桶を手に取り山に向う。
「レオも一緒に行ってこい。お父さんを助けてやれ」
「はい!」
レオは元気良く手を上げて返事し、シュウを追い駆けた。
「さて、ワシは家で休憩するか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私はー?」
家に戻ろうとする徳次郎をジョエルが引き止める。
「もう、徳次郎さん私が居るの分かっていて無視したでしょ。私にも修行を振ってよ」
「なんだ、お主も修行がしたいのか? 変わっておるの、仕方ないの付いてこい」
徳次郎はそう言うと家に入りベッドの上にうつ伏せで寝転んだ。
「ワシの腰を揉んでくれ」
「えー、それが修行なの」
「やれば分かる」
ジョエルは徳次郎の腰を揉んだ。
「うう……何これ物凄く硬い」
「イメージじゃ、イメージ。硬いと思うと余計に硬くなる。頭の中でだんだん柔らかくなるイメージを作りながら揉む。魔法と同じなんじゃ」
「魔法と同じ……」
確かに魔法にはイメージが大切だ。しっかりしたイメージを頭に描いて使う魔法は威力が増す事は知られている。これはそのトレーニングなのか。
ジョエルは納得し、イメージトレーニングしながら揉み続けた。
まあ、マッサージで修行する必要はないんじゃがな。本人が信じてやるならそれもよかろう。
徳次郎は心の中でほくそ笑んだ。
「大丈夫?」
水の入った桶を持ち、歩くのがやっとのシュウを見て、レオが心配そうに声を掛ける。
「大丈夫だよ、早く戻ろう。瓶に一杯に入れないといけないからな」
心配掛けたくないと笑顔を作るが、少しでも気を抜くと地面に這いつくばってしまいそうだった。
その時、シュウの視線の先に二、三頭のゴリラのような獣の姿が映る。ずんぐりとした肉厚な体に野獣の体毛、手には棍棒を持っている。
その野獣はゴブリンであるが、この世界に来た当時の記憶をなくしているシュウには分からない。
「シュウ、あれは何?」
レオが怯えてシュウの足にしがみ付いてくる。ゴブリン達も二人に気が付いたようで、仲間と指差しながら騒いでいる。
やばい、とシュウは感じた。
今の自由に動けない状態であいつらに襲われたら……。だがレオはなんとしても守らないと。
シュウは初めて守らなければならない命の重さを感じた。
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