第25話 二人の勇者

 舐めやがって。

 目の前に投げられた剣を見てシュウはそう思った。


「どうした? 拾えよ、お前と私ではそれでも足りない位の差がある」


 シュウが剣を無視して動く。

 エリオンに近付き右の拳を顔面に叩き付けたつもりだったが、その拳は空を切った。シュウは続けざまに拳を振ったが全て当らない。それどころか、エリオンがどのようにして避けているのかさえも分からない。

 続けざまにパンチを出しているとシュウは急に仰向けに転んでしまった。エリオンが足を引っ掛けたのでバランスを崩してしまったのだ。


「使えよ」


 いつの間にか手に持った剣をエリオンがシュウに差し出す。


「クソ!」


 シュウは剣を掴んで立ち上がり、エリオンに切りつける。だが、結果は同じでかすりさえしない。

 シュウが異世界に来て普通の人間との戦いに圧倒出来るのは、超人的な身体能力のお蔭だ。元々喧嘩にせよ剣の扱いにせよ完全に素人である。身体能力が同じなら、その道のプロ級なら赤子の手を捻るように倒せるだろう。

 シュウが虚しい当らない攻撃を続けていると、お腹に鋭い衝撃を受ける。シュウは後ろに飛ばされ仰向けに倒れた。エリオンがシュウの攻撃を掻い潜り、腹に蹴りを入れたのだ。


「ぐうう」


 猛烈な痛みにシュウはお腹を押さえる。内臓が損傷したかのような痛みだった。


「シュウ!」


 家で待っている筈のエルミーユとレオが駆け寄ってくる。心配で物陰から様子を伺っていたのだ。

 エルミーユは素早く治療魔法を唱えシュウの痛みを回復させる。


「リザベル!」


 エルミーユを見たエリオンは驚きの声を上げる。エルミーユがかつての恋人と瓜二つだったからだ。


「エルミーユ!」


 後ろで見ていたジョエルがエルミーユの名を呼ぶ。


「そうか、君は聖シスターの一人なのか……」


 エリオンが三人に近付こうとすると、シュウが起き上がり立ち塞がる。


「エルミーユ、レオを連れて逃げろ。俺が時間を稼ぐから、二人だけでも逃げてくれ」


 立ち塞がるシュウの顔をエリオンは裏拳で殴り、吹っ飛ばした。


「シュウ」


 倒れているシュウの元に駆け寄ろうとするエルミーユの腕をエリオンが掴む。


「君は聖シスターだろ。勇者はあいつではなく私だ。付いてくるが良い」

「嫌です、放してください。私はもう、聖シスターとか勇者とかどうでも良いのです。この子とシュウと三人で静かに暮らしたいだけなんです」


 エリオンはエルミーユの手を放し、シュウに近付き手のひらを向ける。

 シュウに向けた手のひらが眩い光で輝き出す。

 エルミーユの言葉はエリオンにとって衝撃的だった。聖シスターと言う役目でこの男と居るのなら理解は出来る。だが、役目を捨ててでも一緒に居たいと言う程、心が繋がっている事が許せなかった。


「君が私に付いてこないと言うなら、今すぐこいつを殺す」

「俺に構わず逃げろ、エルミーユ」


 エリオンの手のひらの光はさらに輝きを増し、今にもシュウに向かいそうだ。


「待って、シュウを殺さないでください」


 エルミーユは泣いていた。


「付いてくるのか?」

「はい、あなたに付いて行きます」


 エルミーユは頷いた。


「エルミーユ!」


 シュウは立ち上がったが、エリオンが手刀を首筋に入れるとその場に崩れ去った。


「シュウ!」

「大丈夫。気を失っているだけだ。君も少し眠っていてくれ」


 エリオンはエルミーユの首筋にも軽く手刀を入れ気絶させた。


「さあ、行くぞ」


 エリオンは気絶させたエルミーユを騎士に渡し、馬車に乗せた。


「エルミーユを返せ」


 立ち去ろうとするエリオンの足にレオがしがみ付く。だが、容易く騎士に引き離される。

 エリオンはレオが諦めたのを見て立ち去って行った。


「シュウ!」


 レオは気絶しているシュウにすがって泣いた。




 シエランを出て帰る途中の道でジョエルは考え事をしている。

 あの優等生だった、エルミーユが聖シスターも勇者も関係ないと言っていた。

 なぜ、エルミーユはそこまでシュウとの生活に魅力を感じたのか。ジョエルはその事が気になり、どうしても頭から離れなかった。


「あー、しまった。忘れ物しちゃった!」


 ジョエルは馬上で大きな声を上げた。


「エリオン様、ちょっとシエランに戻っても良いですか? すぐこちらに追い付くようにしますから」


 ジョエルは前にいるエリオンに声を掛けた。


「ああ、良いよ。こっちはゆっくり行くから」

「ありがとうございます」


 ジョエルは礼を言うとシエランに引き返して行った。


「止めなくても良いの?」

「え?」


 不意に後ろからレイラに声を掛けられ、エリオンは驚いた。


「ジョエルはもう戻らないわ。分かっているんでしょ?」


 レイラは尋ねてはいるが、自分の考えを確信しているようだった。


「ああ、でもジョエルがそうしたいなら、俺は止める気はない」


 エリオンは観念してレイラの考えを認めた。


「エルミーユは敵を見逃してでも手に入れたのに、ジョエルは自由にさせるのね」

「……」


 エリオンはレイラの鋭い指摘に言葉が出ない。川で水浴びした時以来エリオンはレイラに苦手意識があった。全てを見透かされている気になるのだ。


「不満かい?」

「いえ。私達の身も心もあなたの物だから好きにすれば良い。遠慮はいらないわ」


 こう言うレイラの言葉も、エリオンには本心かどうか分からなかった。




 シエランの広場を物陰から見ていた男が二人いた。


「もう、奴らは行ったか?」

「ええ、大丈夫みたいです」


 二人の男は物陰から出て、広場へと進む。

 一人は横幅も背丈も、普通の男より二周り程大きい。もう一人は対照的に、身長は普通だがひょろっとして頼りない。二人の男はタルミ卿とその腹心のターシアンであった。


「もう知りませんよ、こんな他人の領内まで来て勝手な事をして。正体がばれたらスパイ行為だと言われても言い訳出来ませんよ」


 ターシアンはぶつぶつ文句を言いながらタルミの後に続く。


「だから目立たないように俺だけで行くって言ったのに」

「一人でもお館さまが目立たない訳がないでしょうに。そもそも来なければ良かったんです」


 ターシアンはここに来る事に反対だったのだが、タルミが一人でも行くと言い張った為に付いて来たのだ。


「仕方がないだろ。あの高貴な老人から、ここでエリオンに倒されるターバラの勇者を救ってくれって頼まれたんだから」

「高貴な老人ってマジですか? お館さまは『お主は三国の王になる器の人間じゃ』ってあの小汚い老人におだてられて調子に乗っているだけでしょうが」

「おま、調子に乗ってるって!」

「ほら、騒ぐから皆が見ていますよ」


 倒れているシュウの周りには村人が心配して集まっている。


「ごめん、通してくれ。その男を助けに来たんだ」


 村人を押し退けシュウに近付く二人。倒れているシュウにレオがしがみ付いて泣き続けていた。


「坊主、この男の知り合いか?」


 タルミがレオに尋ねる。


「……お父さん……」


 レオは一瞬躊躇した後にそう答えた。それは嘘を吐いたと言うより願望が口に出てしまったのだ。


「子供にしては年齢がおかしいですね」


 ターシアンが小声でタルミに言った。


「坊主、倒れているのは本当にお父さんなのか?」

「うん」

「よし、じゃあ一緒に行こう。俺達はお父さんを助けに来たんだ。おじさんの屋敷に来れば良い」


 タルミはレオの言葉を否定せず、頭を撫ぜてそう言った。


「でも、エル……お母さんは?」


 あのシスターの事を言っているのか。エリオンに連れて行かれた以上、タルミにはどうする事も出来なかった。


「それは帰ってから考えよう」


 そう言うとタルミはシュウを肩に担ぎ上げ、レオの手を引いた。



 

 タルミ達は村の入り口に繋いであった馬に乗り出発した。タルミの領地と隣接している領地だが、屋敷に帰るには数日は掛かる。

 出発してすぐ、向こうからシスターが一人馬に乗ってやって来た。


「あれはエリオン様のお供の聖シスターではありませんか」

「おお、確かにそうだ。これはまずいな」

「私が何とか言いくるめます」

「任せる」


 タルミはこう言う場合はターシアンに任せるのが一番良いと経験から分かっていた。


「あ、あなた達は!」


 ジョエルは、タルミが馬にシュウを乗せているのに気が付いた。


「これはこれは、勇者様に仕える聖シスターの一人、ジョエル様ではないですか」

「あなた達は確か、チェスゴーの諸侯の一人、タルミ卿とその家臣の方ではありませんか。どうして、その者を馬に乗せているのです」

「おお、この男の事ですか? こいつは我が領内の罪人なのです。シエランの漁村に居るとの情報を得て来てみれば、すでに勇者様が退治された後でございました。放置されているようなので私どもの領内に運び、裁きを受けさせようと思います」


 ジョエルはターシアンの意外な答えに戸惑った。

 ターバラに降臨した勇者がチェスゴー内に居た事すら意外だったのに、まさかこの国内で犯罪まで犯していようとは……。

 ジョエルにはもう一つ腑に落ちない事があった。もし、この男が犯罪者だとしたら、あの優等生のエルミーユが、聖シスターの役目を放棄してまで添い遂げたいと願うだろうか。


「その者はどのような犯罪を犯したのですか?」


 ターシアンは、自分の前に乗せているレオをちらりと見た。

 確かこの子供はエリオン様が居る時には、シュウと名前で呼んでいた。


「誘拐にございます。実はこの子供は我が領内の商人のご子息なのです。この男は子供を手懐け誘拐したのです」

 かなり無理があるとターシアンは思った。話が本当だとしても領主と軍師が二人で来る事など有り得ないからだ。なんとか誤魔化そうと言葉を続けた。


「ところでジョエル様は、なぜここに戻られたのですか?」


 ジョエルは急に自分の事を振られて戸惑った。まさか正直に、エリオンと居るよりシュウと居る方が面白そうだから、とは言えない。


「わ、私は勇者様より、その男の監視を命ぜられました。私は意識転送魔法が使えるので何かあれば報告するようにとの事です」


 ターシアンはジョエルの理由を聞き、取り敢えずこの場を切り抜ける事を優先した。


「そうでしたか、それでは私達は領内に戻りますので、ご一緒すれば良いですね」


 ジョエルにしてもターシアンの提案に異論は無かった。これはこれで面白そうだからだ。


「それは有難い。勇者様にはタルミ卿のご好意必ず報告いたします」


 両者の利害が一致し、一向はタルミ領に向かい旅を始めた。

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