第22話 氷のレイラ

 チェスゴーの首都ザルツダムの王宮内に在る謁見の間。グレゴリ王の前には跪くエリオン、左にルーファス教皇、右には勇者の証を持つアーロルフ卿がいる。左右の列には諸侯が開会の合図を待っていた。


「これより、チェスゴー王国による勇者の証の授与式を執り行います」


 ルーファス教皇の宣言で授与式は始まった。

 王はアーロルフ卿から小さな箱に入った勇者の証を受け取り、一同に見えるように左右にかざした。


「勇者エリオン殿前へ」

「はっ」


 教皇に促され、白い鎧姿のエリオンは立ち上がり、王に一礼して前に進んだ。


「エリオン殿、チェスゴーはもとより三国全ての平和の為に、悪と戦い尽力してくれますか」


 王がエリオンに問い掛ける。


「はい、私の魂が尽きるまで平和の為に戦います」


 王は勇者の証をエリオンに差し出した。


「では、この勇者の証をお受け取りください」

「はい、謹んでお受け致します」


 エリオンは勇者の証を受け取ると、王に一礼し後ろを振り返り勇者の証を左右にかざした。 


「これによりチェスゴー国内ではエリオン殿が正式な勇者となりました。尚、特例ではありますが、本日この場をもって我が国軍はエリオン殿の指揮下に入ります。エリオン殿の命は我らが王の命。逆らう者は反逆者となりますので各人ご注意を」


 アーロルフ卿は、そう高らかに宣言すると諸侯達を見回した。

 事前に通告していたので表立った抗議の声は上がっていない。だが、諸侯達の顔には明らかな戸惑いの色が見えた。

 困ったものだ、とアーロルフは思う。

 勇者の証を授けるのに異論は無いが、軍の指揮権まで今の段階で与える必要はあるのか?

 三国の証が揃い、紋章となった段階で各国軍の指揮権を与えるのが本来の姿なのだ。我が国だけ前のめりで良いのだろうか。

 アーロルフはちらりと王を横目で見た。

 王も年老いた。この国力の低いチェスゴーを他国から守り抜くのは無能では果たせない。その才も、歳と勇者の一番の後見人と言う蜜には勝てないのか。もし、本物でなかった場合、我が国へのダメージは計り知れないのに。

 アーロルフはエリオンの背中に視線を移す。

 願わくばこのエリオン殿が本物の勇者であって欲しい。ターバラに降臨した者が教皇暗殺の手配者になった事を考えると、私の心配など杞憂に過ぎないのかもしれんが。

 アーロルフは小さくため息を吐いた。




 授与式も終わり一同は城下町でお披露目の行進をしている。

 先頭にアーロルフ卿率いる鎧姿の王直属の騎士団百騎が、一糸乱れぬ隊列で石畳の道を行進している。

 その後ろに白馬に跨った三人。白い鎧姿のエリオンと直後の左右にシスター服姿のジョエルとレイラ。美しい三人の姿に、道沿いを埋め尽くす観衆は感嘆の声を上げる。

 その様子を直後の馬車に乗るグレゴリ王はご満悦の表情で眺めていた。

 王の後ろには教皇の乗る馬車。その後ろには、手勢数騎を引き連れた各諸侯達が隊列を組み行進している。


「しかし、やってられねえよな」

「お館さま、声が大きいですよ。謀反の疑いを掛けられても知りませんよ」


 馬上で不満一杯の表情を浮かべ愚痴を漏らすタルミ卿を、軍師でもある腹心のターシアンがたしなめる。


「この歓声を聞いてみろよ、聞こえやしねえよ。お前はどう思うんだ? 証を渡すだけに留まらず、早々と軍の指揮権まで渡しちまったんだぜ」

「私は懸命な策だと思いますよ。対抗馬と目されるターバラの勇者は、スラレス教皇殺害の罪で聖シスターを人質に取り逃亡中。エリオン殿が三国で勇者と承認されるのは間違いないでしょう」


 痩せっぽちで鎧の似合わないターシアンは、教師が出来の悪い生徒にはなすように説明する。


「エリオン殿が勇者で間違いがないのなら、早くから後見人的な立場になるのは間違いではありません。今回も起こるであろう何らかの混乱を鎮めた後に、この世界に残るように説得し我が国の将軍にでもなって貰えば……」


 自分の考えに酔ったように話すターシアン。これがこの男の悪い癖だった。


「ターバラもダラムも我が国に手を出すことは出来ません。勇者を敵に回して戦争するなど、国民に説明出来ませんからね。国力の弱い我が国にとってはこれ以上無い安全保障です」


 持論を述べて満足したのか得意げな顔をするターシアン。


「エリオンが本当の勇者ならな。お前もハマルの後始末に行って分かっているだろ? 魔族とは言え何の罪も犯していない者を女子供含めて皆殺しにしやがったんだ」


 タルミはハマルの領民が皆殺しにされた現場を思い出し、怒りに震えた。


「勇者って言うのはよ、勇ましい者だろ。本当の勇者があんな事出来るか? 俺はエリオンが勇者だと絶対に認めねえ」


 ターシアンは怒るタルミに何も言わなかった。

 これがこの男の一番良い所なのだ。情に厚い熱血漢。領民の為なら自分の命すら顧みない。それが、全ての領民からタルミが愛されている理由なのだ。

 タルミの思惑はどうあれ、勇者の証の授与は滞りなく行われ、チェスゴー内ではエリオンが勇者だと承認された。




 王宮の城下町にある川のほとりに建てられた屋敷を、エリオンは私邸として与えられ、二人のシスターと共に住んでいた。

 勇者の証の授与式が行われた夜。

 エリオンの寝室からベッドの軋む音と女の喘ぎ声が聞こえる。やがて女は絶頂に達し静かになった。

 全裸で仰向けになってベッドに横たわるエリオンに、しなだれ掛かる金髪の美しい女。

 女には短い二本の角と細長い尻尾があり、全身には刺青のような黒い模様が浮かんでいた。姿は人間に近いが一目で魔物だと分かる。


「良いのかい。勇者ともあろうお人が私みたいな魔物と寝ても」

「取引とはお互いに得る物があってこそ、成立する。アリア、君はもう受け取った筈だよね」

「本当にムードが無い奴だよね。あんたは」


 アリアと呼ばれた魔物は、エリオンから離れゴロンと仰向けに寝転んだ。


「ターバラの勇者が見つかったよ。このチェスゴー内にあるシエランって言う小さな漁村にいる。どうやら記憶を無くしているようで、聖シスターの一人と夫婦のように暮らしているよ」

「チェスゴー内か。それは好都合だ」


 エリオンが上半身を起こす。


「放って置いても問題はないと思うがね。魔物と寝るあんたよりよっぽど無害だよ」

「アリアの方こそどうなんだ。俺に魔族の情報を渡しているのは裏切りにならないのか」

「私は人間も魔族も関係ないよ。強い精を貰えればそれで良いんだから」


 俺から見ればお前も魔物だがな、とエリオンは思った。


「さあ、貰うものは貰ったし、行くよ」


 そう言うとアリアは一瞬で消えてしまった。

 アリアはターゲットの寝室に自由に出入り出来る瞬間移動を得意としている。肉体で虜にした魔物達を使い情報屋として活動していた。その顧客は人間や魔物に関わらず、強い精を持っているのが条件だった。




 エリオンは私邸の傍に流れる川で水浴びをしている。アリアとの情事の跡を清めているのだ。常人には耐えられない程の寒さが逆に心地よかった。


「誰だ!」


 エリオンは不意に現れた気配に驚いた。油断が無かったとは言えないが、全くその気配に気付くことが出来なかった。

 その気配の主はレイラだった。

 青く長い髪に赤い瞳。透き通るような白い肌が月明かりに映し出される。一糸まとわぬ美しすぎるスレンダーな体を、レイラは隠す事無く立っている。その自然な姿はこの寒さをまるで感じていないようだった。


「あなたも体を清めに来たの」


 レイラは全裸だと言う事を感じさせないくらい自然な動作でエリオンに近付いてくる。


「ごめん。君が居ることを知らなかったんだ」


 エリオンは慌てて体を横にし、視線をレイラから逸らした。


「構わないわ。私の心と体はあなたの物。見たい時に見て抱きたい時に抱けば良い」


 レイラはエリオンのすぐ傍まで来ていた。

 エリオンは気を使い視線を逸らすのが、無意味な事に思えてレイラに向き直った。  


「レイラ、それは違う。君の心と体は君自身の物だ。俺は無理に手を出す事はしない。全てが終われば君は君の幸せを掴めばいいんだよ」

「私には自分の物に出来る心や体なんてもうない」

「そんな……」

「なぜ、私達を抱かないの? 私達に魅力を感じないから?」

「いや、そうじゃない。違うんだ」

「あなたは悲しい目をしている」

「え?」

「チェスゴーの大地のように……」


 そう言うとレイラは岸に歩き出した。


「君に何が分かると言うんだ!」


 エリオンは心を掻き乱されていた。

 こんな事では駄目だ。どんな事にも心を揺らさず、強くならないといけない。


 リザベルの為に。


 エリオンは激しく自分を戒めた。

 レイラは岸に着くと体を拭き薄い部屋着に着替えた。


「私の心と体はあなただけの物だから。これからもずっと」


 川にいるエリオンに向い、そう言うとレイラは私邸に帰っていった。

 エリオンは何も言わずにその後姿を見送った。


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