第19話 シュウとエルミーユの初めての夜

「ただいま! 今日は大漁だったよ」


 シュウが、魚が一杯入った籠を抱えて帰ってきた。


「うわ、凄い一杯の魚ですね! しばらく食べる物に困りませんよ」


 エルミーユは笑顔でシュウを出迎えた。




 二人が海岸に瞬間移動してから一ケ月経った。

 海岸近くの漁村の人達が、記憶喪失になったシュウに同情しいろいろ手助けしてくれた。

 今は無人になった小さな家屋を貸して貰い生活している。

 エルミーユはすぐに教団と連絡を取るつもりだったが出来なかった。この地はチェスゴー国内で、すでに人民はエリオンを勇者と認識しており、記憶を失ったシュウが名乗り出る事にはリスクが考えられたからだ。

 エルミーユはシュウの記憶を取り戻す事が先と考え、正体を隠し村人達の好意に甘え漁村での生活を続けている。




「旨い! エルミーユの作る料理はいつも旨くて食べ過ぎるよ」


 シュウがエルミーユの作った昼食を勢い良く食べている。

 小さなテーブルに向かい合い楽しそうに食事する二人。服装も漁村の人々からお古を譲り受けたりして、すっかり地元の若い夫婦のようだった。


「そうやっていつも美味しそうに食べて頂けると私も作り甲斐があります。それにシュウ様が毎日たくさんの魚介類を獲ってきてくださるので、いろいろ考えて作るのが楽しいです」


 エルミーユが嬉しそうに笑う。


「そうか、じゃあこれからも頑張らないとな。俺こう見えても、結構みんなに頼られているんだぜ。他の人よりパワーが有るから、網を引く時とか三人分働くから助かるって」


 こうした普通の会話が当たり前の生活に二人は慣れ始めていた。


「シュウ、お帰り! キャッチボールしよう!」


 レオがノックもせずに入り口のドアを勢い良く開けて入って来た。


「おお、良いけど、レオはご飯食べたのか?」

「……いや、まだ……」


 レオは恥ずかしそうに下を向く。


「じゃあ、一緒に食べよう。今日もエルミーユの料理は美味しいぞ」

「どうぞ、一杯食べてね」

「ほんと! ありがとう」


 レオは喜んで椅子に座った。

 レオは短いセピア色の髪の男の子だ。歳は六歳ぐらいで正確には分からない。両親も誰だか分からない孤児で、二年前に村の入り口に一人立っていたそうだ。村人達は放って置く訳にいかず、皆が少しずつ援助して空き家に住まわせて暮らしを助けている。

 レオは、シュウとエルミーユが村に来てからは二人に懐き、時々一緒に食事をしたり家に泊まったりしていた。村人達も子供のいない二人がレオの面倒を見てくれる事を歓迎している。


「さあ、ご飯食べたし片付けも終わったし、みんなでキャッチボールしようよ!」


 レオに急かされて、食事の後片付けを終えた後、三人で広場に行った。

 もちろんこの世界には野球はないので、ボールはシュウが木を削って作り、グローブはエルミーユが獣の皮を編んで簡単な物を作っていた。


「さあ、行くよ!」


 レオが力一杯ボールを投げる。シュウにとっては勢いの無い、山なりの緩いボールだが、その精一杯の姿が可愛く愛おしい。

 自分もこんな子供だったんだろうか。

 シュウはレオとキャッチボールをしていると隆弘の事を思い出す。小学生ぐらいまでは良く父とキャッチボールをしていたのだ。父も同じように自分の事を可愛く思っていてくれていたのだろうか。


「じゃあレオ、次は早い球行くぞ」

「いいよ、俺絶対逃げないから!」


 その後、エルミーユも交代でキャッチボールに参加し、三人は親子のように楽しんだ。

 帰る途中、レオはいつも口数少なくなる。二人と離れるのが寂しいのだ。


「レオ、今日も泊まりに来るか」

「ええ、良いの?」


 レオの顔が急に明るくなる。


「良いよ。今日も三人で寝ようか」


 エルミーユもレオの気持ちが分かっているので、反対する事無くレオに優しく言った。


「ありがとう!」


 レオはエルミーユに抱きついた。


「あのなあ、レオ」


 シュウは屈んでレオの高さに目線を合わせた。


「もう、帰らなくて良いよ。ずっと家に居れば良い」

「え? 本当に?」

「ああ、良いだろ。エルミーユ」


 シュウはエルミーユを見上げた。

 一瞬、エルミーユの心が揺れる。

 すぐに同意したいが、シュウが勇者としての記憶を取り戻し、ここを立ち去る時の事を考えるとエルミーユは簡単には返事が出来なかった。

 だが、幼い頃に両親と離れ離れになったエルミーユにはレオの気持ちも良く分かった。


「もちろん。私もそう言おうと思っていた所です」


 エルミーユはレオに優しく微笑み掛けた。

 結局エルミーユが選択したのはレオを受け入れる事だった。聖シスターとしての任務の為にレオを切り捨てる強さは、エルミーユには無かった。

 エルミーユの優しい笑顔がレオの心を揺さぶった。


「う、うう……」


 レオはシュウの首に抱き付き泣き出してしまった。頼れる人も無く、幼い心はいつも不安だったのだろう。抑えていた気持ちが一気に噴出したようにレオは泣き続けた。

 シュウはレオを抱きしめ立ち上がった。


「今日から俺達三人は家族だ。レオもエルミーユも俺が守るから」


 少し照れたように前を見ながらシュウが言う。エルミーユはシュウの腕に自分の腕を絡ませた。

 三人は日の暮れかかった道を家へと帰って行った。




 漁村の夜は短い。漁が深夜から始まるので、日が暮れると皆眠りにつき出歩く人はいない。

 シュウは日が暮れる前にレオの荷物を自分達の家に運び、三人での暮らしを始めた。

 初めての夜に興奮したレオがたくさん話をしていたが、やがて疲れて眠ってしまった。

 二つのベッドを隙間無く並べて、レオを真ん中に川の字になって三人は眠りに付いた。




「うぐ」


 シュウはお腹に異変を感じて目が覚めた。

 レオの寝相が悪く、シュウの上に乗ってきたのだ。


「大丈夫ですか?」


 シュウの声にエルミーユも起きてしまったようだ。


「ごめん、起こしちゃったな。レオが起きるといけないから、そっちに行くよ」


 シュウはレオを起こさないように、そっと自分のベッドを抜け出し、エルミーユの横に行った。


「レオは嬉しそうでしたね」


 眠れなくなったのかエルミーユが話し掛けて来た。


「勝手にレオを引き取るって言ってごめん。レオの気持ちを考えるとどうしてもそうしたかったんだ」


 私が本心では反対していると、シュウ様は思っているのだろうか。

 エルミーユはシュウの言葉のニュアンスからそう感じた。


「レオは凄く嬉しかったでしょうね。私も幼い頃両親と離れ離れになったので良く分かります。だからシュウ様がずっと家に居れば良いとレオに言ったのは凄く良い事だし、私も嬉しかった。でも……」

「……でも……。勇者としての事が気になる?」

「……」


 シュウの問い掛けに、エルミーユはちゃんと答えられなかった。


「俺は勇者じゃなきゃいけないのかな」


 シュウはエルミーユの方に体の向きを変えた。


「エリオンって人の事エルミーユも聞いているだろ。みんなその人が勇者だって思っているよ」

「シュウ様が勇者様です。それは間違いありません」


 エルミーユはきっぱりと言い切った。

 エリオンの事はエルミーユも聞いているが、それでもなおシュウが勇者だと信じている。

 レオに向けた優しさが魔王である訳が無い。


「俺は自分が勇者でなくても良いと思う。もし俺が魔王であったとしても、誰も傷付けたり不幸にしたりしない。エルミーユとレオが傍に居てここで家族として幸せに暮らす。それじゃあ駄目なのかな」

「……」


 三人で家族として幸せに暮らす。

 エルミーユは想像してみた。三人でいつも笑い合って穏やかに過ごす暮らし。今までの生活では考えられない位心休まる楽しい日々。


「俺は勇者じゃないと価値がないかな」

「そんな事はないです!」


 エルミーユが考え込んでいる事でシュウは不安になったが、即答で否定してくれた。


「勇者じゃなくても、シュウ様は優しくて頼もしい素敵なお方です」


 二人は暗くて見え難い中で見つめ合った。


「今日までエルミーユに何もしなかったのは怖かったんだ。『身も心も捧げる』って言っても勇者としての俺だから。本当の俺には価値がないとしたらって」


 エルミーユは何か考えていた。


「そちらに行って良いですか?」

「え? あ、うん」


 急に言われて戸惑うシュウの毛布にエルミーユが入って来た。

 息が掛かる距離に来たエルミーユから良い匂いが漂ってくる。シュウは抱き締めて良いのか分からず手が出せずに居た。


「私は自分が家族を持つなんて考えても見なかった。聖シスターになる為に親と離れた日から普通の幸せなんて考えられなかった」


 エルミーユが潤んだ瞳でシュウを見つめる。


「私が家族を持って幸せになって良いんですか? 優しいシュウ様や可愛いレオと一緒に幸せになって良いんですか?」


 シュウはエルミーユを抱き締めた。


「良いに決まっているよ。もう俺に敬語はいらない。様もいらない。お互い普通の男と女になって幸せになるんだ」


 エルミーユはシュウを見つめた後目を閉じた。

 シュウはゆっくりと、エルミーユの唇に自分の唇を重ねる。

 柔らかい感触を楽しむように唇を動かすと自然にエルミーユの唇も緩んだ。緩んだ隙間から舌先を差し込むと抵抗なく迎えてくれる。

 お互いの唇と唇、舌と舌がゆっくりと絡み合い「んっ」とエルミーユが小さな吐息を漏らす。

 長いキスが終わり、エルミーユの顔を見ると頬は赤く、瞳は潤んでいる。

 シュウが綺麗な長い黒髪を撫ぜると、エルミーユは顔をシュウの胸に埋めた。

 服を脱がそうと、シュウがワンピースの裾をたくし上げると、エルミーユは自ら服を脱ぎ出した。シュウも服を脱ぎ、二人は全裸で抱き合った。

 肌と肌が触れ合う、ただそれだけでとろけるように気持ちが良い。シュウはエルミーユの体を撫ぜた。どの部分も柔らかくきめ細やかで愛おしい。


「もう……」


 エルミーユが潤んだ瞳でシュウにお願いする。

 気を使いながら、ゆっくり優しく二人は重なり合った。




 甘く優しい時間が終わり、エルミーユはシュウの腕に抱かれている。


「シュウって呼んでみてよ」

「え?」


 シュウにそう言われても急には難しい。

 エルミーユは恥ずかしさと戦った。


「……シュ……シュゥ……」


 エルミーユはやっとそれだけ言うとシュウの胸に顔を埋めてしまう。


「これで俺達は対等の夫婦だな」


 シュウが満足げに言う。


「……」

「何か心配なの?」


 エルミーユが黙り込んだのでシュウは不安になった。


「私が独り占めしても良いのかなって……」


 エルミーユの頭にハンナの顔が浮かんだ。ハンナもシュウの事を好きな筈。罪悪感が心に広がった。


「俺が好きなのはエルミーユだけだ。だから俺はエルミーユだけの物だし、エルミーユは俺だけの物だ。気にしなくても良いよ」


 シュウの笑顔は優しかった。

 でも、シュウはハンナに会った記憶がないからそう言ってくれているのかも。

 そう思っていてもエルミーユは言葉に出来なかった。誰から恨まれてもこの関係を壊したくないと思い始めていたからだ。

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