第18話 もう一人の勇者

 チェスゴーの首都ザルツダムの王宮内に在る謁見の間で、玉座に座るグレゴリ王の前にエリオン、レイラ、ジョエルの三人が跪いている。横には国内の諸侯が並び様子を見守っていた。


「何? お主は辺境の小さな集落を殲滅するので、ワシの騎士団千騎を貸せと申すのか」


 グレゴリ王は玉座から身を乗り出し、目の前に跪くエリオンに問いただした。


「はい、おっしゃる通りでございます」


 エリオンは跪いたまま何の感情もこもらない声でそう返答した。


「誰か、ハマルと言う集落の事を詳しく知る者は居ないのか」


 グレゴリ王は謁見の間の左右に並ぶ、諸侯に声を掛けた。


「王様、ハマルは私の治める領内にある集落でございます」


 歴戦の戦士を思わせる大きな体格の諸侯が手を上げて答えた。


「おお、タルミ卿か。そこはどの様な場所なのだ?」

「はい、ハマルは五十人程の集落で必要最小限以外、他の地域との交流はありません。ですが、税も滞りなく他の集落とのトラブルも聞きません。問題があるとは思えないのですが」


 タルミ卿は自分の領地が勇者エリオンより壊滅対象に指定された事を警戒しているようだ。


「勇者エリオンよ。ハマルの領主はこのように言っておる。皆が納得出来るような理由を聞かせてくれないか」


 グレゴリ王は顔を伏せたままのエリオンに問うた。


「魔族にございます」


 エリオンの言葉で諸侯達の間にざわめきが起こる。


「きさま、我領民が魔族だと言うのか!」


 熱血漢のタルミ卿は掴み掛からん勢いで立ち上がった。


「口を慎め、タルミ卿。エリオン殿は勇者だ。いずれ三国の兵を統べる御方だぞ」

 タルミ卿を、その向いの列の一番王に近い位置に座るアーロルフ卿が止める。

「まだ、勇者候補だ! 今の段階で勝手な発言は認めん」


 グレゴリ王一の側近であるアーロルフ卿の言葉にもタルミ卿は一歩も引く気配は無かった。

 そんな諸侯達のやり取りを、あくびを噛み殺し、心で文句を言いながら聞いている者がいる。エリオンの右後ろで跪いているジョエルだ。

 もう、いい加減にしてよね。最終的にはエリオン様の言う事を聞かない訳にはいかないんだから。

 チェスゴーの民衆はこの地で勇者様が復活したってお祭り騒ぎだし、この集まり自体が国内の諸侯達にエリオン様をお披露目する為なのに。主役の頼みを断る訳にはいかないでしょ。

 結局ジョエルの考え通り、グレゴリ王の鶴の一声で、エリオン率いる騎士団千騎のハマル遠征が決まってしまった。




 エリオン率いる騎士団がザルツダムを出発して二十日が過ぎた。ザルツダムからハマルまでは順調なら二週間あれば十分だが、道中で町や村の歓迎があり思うように進めないでいた。

 ジョエルは馬上であからさまに不満そうな顔をしている。

 思うように進まない行軍が原因だが、一番の不満はその進まない行軍をエリオンが気にも留めていない事だった。

 エリオンは申し分ない勇者だと思う。

 絵画から抜け出してきたような容姿。沈着冷静な態度。圧倒的な魔法や身体能力。全てを兼ね備えている。

 チェスゴー内で人間を困らせている、低俗な魔物の群れを圧倒的な力で退治し、ジョエルとレイラはいつも手出しする暇さえない。

 日に日にエリオンの勇者としての評価は上がり、グレゴリ王から勇者の証を賜るのは時間の問題だと噂されている。

 だが、今までの過程はジョエルの求めていた、勇者に身も心も捧げ付き従う聖シスターとは違っていた。

 名の通った大物の魔物と対決、苦戦する勇者をサポートする四人のシスター達。海へ山へ冒険の毎日。夜になれば逞しい勇者の腕に抱かれ、甘い一時を過ごす。

 そんな妄想が一つとして叶えられない。ジョエルの度重なるアプローチにも関わらず、一度も抱かれてはいないし、魔物との戦いでも呪文の一つも唱えていない、お飾りで居るだけなのだ。

 ジョエルは横に並んで馬に乗るレイラをチラリと見た。レイラは無表情で静かに馬を操っている。

 レイラはどう考えているのだろうか? 自分と同じように、夜エリオン様の部屋に忍び込んだりしているのだろうか?

 ジョエルはレイラと殆ど会話をしないから考えている事が分からない。レイラは他の二人と比べ一番相性が悪かった。

 これが、エルミーユだったらな。

 ハンナは明るい良い娘だが、きつい所がありジョエルはよく怒られていた。その点エルミーユは優しいので、ジョエルの気まぐれも笑って許してくれるのだ。

 ジョエルはもう一度チラリとレイラを見たが、相変わらず無表情のまま話し掛けられる雰囲気は微塵もなかった。


「退屈そうだね、ジョエル」

「ひゃあ! そ、そんな事ないです」


 前を見たままのエリオンが、急にジョエルに話し掛けた。後ろにも目があるのかと思うぐらいのタイミングで話し掛けてくるので、ジョエルは度々驚かされる。 


「退屈もすぐ終わるよ。もうすぐハマルだ」


 エリオンの言葉通り、その後すぐハマルに到着した。




 ハマルは質素な木造の家屋が点在する静かな集落だった。

 北の国チェスゴーの中でも北方に位置するハマルはまだ秋になったばかりだと言うのにどこか寒々しく感じる。 

 後ろに騎士団を従え、馬を降りたエリオン、ジョエル、レイラの三人がハマルの入り口に立つと、一人の老人が進み出てきた。


「私はこのハマルの代表者です。このような大勢の兵士を連れてどんな御用なんですか?」


 エリオンは無言で老人の前に立ったと思った瞬間、老人の首がゴロリと地面に落ちた。

 余りに一瞬の出来事だったので、その場に居た全員が起こった出来事を理解出来なかった。エリオンが目にも留まらぬ速さで剣を抜き老人の首を刎ねたのだ。

 老人の後ろで様子を見ていたハマルの住人から悲鳴が上がる。


「エリオン様!」


 ジョエルはエリオンに近づく。

 ジョエルは、静かに佇むエリオンの足元にある老人の首に気が付く。


「ワーウルフ……」


 老人の首は狼に変化していた。

 エリオンは右手を上げると静かに前に倒した。

 事前に馬を降りて待機していた騎士たちが、五人一組で住人を取り囲む。女性も子供も区別なく剣を突き立てて行く。中には獣人化して抵抗する者も居たが、多勢に押され倒される。

 一方的な殺戮にジョエルは嫌気がさして目を背けた。


「ジョエル、ちゃんと見ないといけないよ」


 本当にこの人は後ろにも目があるんじゃないか?

 ジョエルは少しうんざりした。


「はい……」

「目を逸らさない。それが死に行く者たちへの償いだ」


 その時、「うわあ」と騎士の悲鳴が聞こえた。エリオンが悲鳴の方を見ると、二メートルはゆうに超える大型のワーウルフが騎士を薙ぎ倒している。


「下がれ」


 エリオンが静かに指示する。

 すでに大型のワーウルフ以外は全て殺されてしまった。騎士達はワーウルフとエリオンの間に道が出来るように下がった。

 ゆっくりと近づいて行く二人。


「何故だ。我らは人間に迷惑を掛けず静かに暮らして居たのに」


 ワーウルフがエリオンに問うた。

 エリオンが返事の変わりに、金色に輝く右の拳を前に出す。


「うおおお!」


 ワーウルフが駆け出し、一気に距離を詰め、エリオンに鋭い爪を持つ右腕を振るった。

 エリオンはワーウルフの爪を難なくかわし、右の拳を胸に叩き込んだ。


「光滅却(ホーリーナックル)」


 ワーウルフは拳の当たった胸から蒸発するかのように霧になり消えて行く。


「お前達が魔物だから。それだけだ」


 エリオンはワーウルフが消え去った跡を見下ろし、そう答えた。

 住人の居なくなったハマルに冬を思わせるような冷たい風が吹いた。




「いいのか? 本気で行くぞ」

「ああ、いいぜ。だが今の兄貴じゃ傷一つ付けられねえぜ」

 街道から少し外れた人目に付かない草むらで、隆弘と魔獣化したアルテリオが向かい合っている。

 スリンを旅立ってから三週間が過ぎた。三人は目立たぬように服装も普通の旅人らしく着替え、馬車で移動している。

 道中、隆弘は戦いに備えアルテリオ相手に稽古をしていた。

 隆弘が両手に握った剣を振り上げて、アルテリオに向い突進する。


「うおりゃ!」

「金剛力(ハードモード)」


 アルテリオの体が石のように黒く変色する。

 隆弘がアルテリオの体に振り下ろした剣はガキッと言う音と共に折れてしまった。


「ああ……」

「兄貴はパワーに頼り過ぎなんだよ」


 アルテリオが獅子の顔でガハガハ笑う。


「クソッ!」


 隆弘は折れた剣を捨て、アルテリオの腹に渾身のパンチを入れた。


「痛ってー!」


 だが、拳を押さえて苦しんでいるのは隆弘の方だった。


「じゃあ、今度は俺の番だな」


 と言うとアルテリオは軽く腕を振って隆弘を吹き飛ばした。


「気持ち良いー。兄貴をこんなに痛め付けたの初めてだ」

「凄く楽しそうで何よりだな」


 喜ぶアルテリオの後ろに勇者化した隆弘が立っていた。



「二人ともご飯できたよー!」


 村娘姿のハンナが、鍋のフタとお玉片手に二人を呼ぶ。


「ふぁあい」


 調子に乗ったアルテリオは隆弘にボコボコにされていた。




「もう、勇者化を解いても一部魔法は使えるようにする。アルに弄ばれちゃかなわんからな」


 隆弘は肉を頬張りながら少し怒ったようにそう言った。


「そんな事出来るの?」

「出来るよ。同じ人間だし、やり方が分かればな」

「そんな面倒な事しなくても、ずっと勇者の兄貴でいりゃあ良いんじゃねえか」


 馬車の横に折りたたみ式のテーブルを出し三人は食事している。


「そうだな……。今はシュウも居ないしその方が良いかな」

「あ、あの、私は反対だな」


 隆弘が考え込んだのを見てハンナが意見を言った。


「勇者のお父さんも頼りになって好きだけど、普通のお父さんもいつも一生懸命頑張っているから好き。どっちかだけになったら寂しいよ」


 ハンナは顔を少し赤くしてそう言った。

 隆弘はハンナが、もう一人の自分を頼り無く思うのではなく、ちゃんと良い所を見ていてくれているのが嬉しかった。


「ありがとう。どちらも俺だからな。そう言って貰えると嬉しいよ」


 隆弘はハンナの頭を撫ぜた。


「じゃあ、コツを言うから伝えてくれ。詠唱もいらない初歩の物だが、勇者にしか使えない強力な魔法だからな」

「勇者にしか使えない魔法か……」


 ハンナが感心したように言う。


「光滅却(ホーリーナックル)」


 隆弘は右の拳を目の前に出した。


「頭の中に目を開けられない位の光をイメージする。その光を拳に移動させる。拳が金色に輝き出したら、殴る」

「それだけ?」

「それだけ。これだけで使えるようになるから。初歩だが勇者専門魔法なので強力だから気を付けるように言っておいてくれ」


 そう言うと隆弘は一瞬気を失い、普通の隆弘に戻った。

 隆弘はコツを聞き訓練し、勇者専門魔法、光滅却(ホーリーナックル)をマスターした。

 その後も、中央の国ダラムに居るアルテリオの知り合いの所まで三人は旅を続けた。

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