第16話 教皇の正体

 エルミーユは海岸の波打ち際で目を覚ました。


「ここは……」


 そこまで言葉に出してエルミーユはハッと意識が無くなる前の事を思い出した。


「シュウ様」


 エルミーユは慌てて周りを見回したが、何の事はないシュウはすぐ隣に倒れている。


「シュウ様!」


 エルミーユは、うつ伏せになっていたシュウを仰向けにして意識を確認する。気を失ってはいるが、脈はあり命に別状はない。これぐらいならステータス回復魔法で十分だ。


「光治癒(ヒールライト)」


 手のひらをシュウの額に当て、エルミーユは呪文を唱えた。手のひらから溢れた光がシュウの額に注がれる。


「ん……」


 シュウが小さく呻きながら目を覚ました。


「シュウ様! 大丈夫ですか?」


 心配そうに声を掛けたエルミーユの顔を、シュウはキョトンとした表情で見ている。 


「……あの……君は誰? 俺はなぜこんな所にいるんだ?」


 シュウ様が記憶を失っている。

 エルミーユは衝撃を受け、シュウにこれまでの事を質問する。結果、シュウは異世界トリップして以降の記憶を喪失していた。

 エルミーユの出来る限りの治癒魔法を試したが効果がない。


「ごめん。いろいろ試してくれたけど、記憶は戻らないみたいだ。俺はどうすれば元の世界に戻れるんだ?」

「大丈夫です。私にお任せください。きっと記憶を戻して見せます」


 そうは言ったが、エルミーユには具体的に何かアイデアがある訳ではなかった。




 隆弘、ハンナ、アルテリオの三人はスリンの町で、サガロ島の魔物のアジトから拝借したお金で服装や装備を整えた。

 スラレスに面会を申し入れて、明日会う事になっている。スラレスから教会に宿泊するように誘いを受けたが、相手の思惑が分からない以上隙を見せたくはないので、町の宿屋に泊まる事にした。


「スラレスの野郎、明日会ったら首を引っこ抜いてやるぜ」


 宿屋の食堂にある丸いテーブルを囲み、三人は食事を取っている。

 アルテリオは山のように広げられた料理を手当たり次第に平らげながら、憮然とした表情で言った。先代勇者の意思を継ぎ、魔物でありながら人間との共存を目指してきたアルテリオにとって、スラレスの裏切りは許容出来る事ではないのだろう。


「おい、アル」


 隆弘がアルテリオに、「ハンナに気を使え」と目で促す。


「あ……ハンナお嬢、悪かったよ」

「いえ、気にしなくて大丈夫ですよ。アルさんのされた事を考えれば当然ですから……」


 そう言って笑うハンナの顔は、無理をしているように隆弘には見えた。


「明日どうする? 俺とアルだけで行こうか?」


 隆弘はハンナの気持ちを考えてそう提案した。


「ありがとう、でも大丈夫。私も行くよ。自分でけじめを付けたいんだ」


 隆弘は思い詰めたハンナの表情を見て危うく感じたが、本人が大丈夫と言う以上止める事はしなかった。




 翌日、三人はスラレスと面会する為に教会へと向った。


「教皇様より執務室に案内するように仰せつかっております」

 

 教会に入ると下働きよりそう告げられた。

 スラレスが面会の場所を、大勢の兵士を配置出来る広い場所でなく、狭い執務室にした事を隆弘は不思議に思った。

 案外スラレスはこちらの事を全く警戒していないのかもしれない。まだ、俺達を島まで送り届けた船は、スリンに帰って来てはいない。スラレスは何も情報を受け取ってはいないのだ。最悪戦う事になろうとも、こちらに有利な状況に出来そうだ。

 隆弘は心の中でほくそ笑んだ。

 下働きに連れられて、三人は執務室に通される。


「これは、どう言う事ですか? 勇者様はどうされたのですか?」


 スラレスは三人の姿を見るなり挨拶もせずにそう問いただす。だが、そのとがめるような口調とは違い表情は冷静そのものだった。


「話すと長くなるが、いろいろ事情があって、はぐれてしまった。シュウとエルミーユの行方については教団のネットワークを使い、捜索をお願いしたいと考えている」


 当然聞かれる質問なので、隆弘は事前に考えていたように答えた。


「死んでしまったと言う事はないのでしょうね?」


 相変わらずスラレスの表情に変化がない。

 シュウの身を案じているのか、逆に身の不幸を期待しているのか。


「それはないと考えている。はぐれた原因はシュウの能力が関係する事で、恐らくは自己防衛能力も同時に発動している筈だから」

「言い方からすると、お父上も生死を確認出来ていないのですね。はぐれた原因の詳細は聞かせて頂けるのでしょうね」

「もちろんだ」


 隙がない。

 ポーカーフェースにも程がある。

 隆弘はスラレスとの会話に疲れを感じていた。相手の心理や出方が分からない中で不必要な事は言えないからだ。


「その後ろにいる男性はどなたですかな?」


 スラレスが人間の姿に変身しているアルテリオの事を訊ねてきた。スラレスが会ったアルテリオは元の姿だったので、変身している今の姿では正体に気が付かないのだろう。


「アル」

「おう」


 アルテリオは打ち合わせ通り元の魔物の姿に変身を解いた。元々天井が高い部屋だったが、アルテリオは頭が窮屈そうだった。


「久しぶりだな、スラレスさんよ」

「お、お前は……」


 スラレスの表情からは何も読み取れないが、その口調は驚いているようだった。


「どう言うつもりだ! 殺してこいと言っていた相手を連れてくるなんて」


 スラレスの丁寧な口調に変化が現れる。


「どう言うつもりも何も、あんたに聞きたい事があってな。あんた魔物を連れてきてアルテリオを罠に嵌めたらしいな。聖職者が魔物と行動を共にして、人間と共存しているアルテリオを殺そうとするなんて、お前こそどう言うつもりなんだ?」

「くっ……」


 初めてスラレスに苦しげな表情が浮かび上がる。それは隆弘にとって意外だった。スラレスは感情が表情に表れる事はなく、自分の意思でそれらしい表情を浮かべているだけだと思っていたからだ。


「なんだ、ちゃんと表情が出るんじゃねえか」 


 そう言われてスラレスはハッと自分の表情に気付いた。


「きさま……」


 もう、スラレスは表情をコントロール出来なくなり、怒りの表情が表に出ていた。


「初めからそうしておけよ。その方が人間らしく見えるぜ」

「証拠はあるのか! 魔物には自由に顔を変えられる者もいると聞く。アルテリオを罠に嵌めたのが私だったと言う証拠はあるのか?」


 確かにアルテリオを嵌めたのが本物のスラレスだと言う証拠はない。


「お父様!」


 その時、今まで黙って聞いていたハンナが口を開いた。


「ハンナ様、あなたは聖シスターなのですよ。あなたは家族も友人も全て捨て、その意思や体は全て勇者様に……」

「そんな都合の良い言葉で誤魔化さないで!」


 スラレスは調子を取り戻し、説教をしようとしたが途中でハンナが遮った。


「お父様、私の五歳の誕生日に何が有ったか答えて」


 ハンナはスラレスに詰め寄った。


「何を言っているんだ、ハンナ……。そんな昔の事すぐには思い出せないよ」

「嘘だ!」


 ハンナは大声できっぱり言い切った。


「本当のお父様なら忘れる筈がない。あなたは偽者だ!」

「何を言うんだハンナ。お、思い出した。家族皆で幸せに過ごしたんだ」


 ハンナは既にスラレスが自分の本当の父親でない事を確信したらしい。隆弘には分からない家族間の事情があるのだろう。


「|炎の閃光(ファイフラッシュ)」


 ハンナは躊躇なく、スラレスの顔に閃光弾を放った。


「グワァ」


 悲鳴を上げ、顔を手で抑えてしゃがみ込むスラレス。その手の間から何やら粘り気のある液体が流れ出していた。


「ゆる……さん……ぞ」


 今までとは明らかに違う音声でそう言うと、スラレスがゆっくりと立ち上がる。

 スラレスの顔は驚く程変化していた。頭髪が全てなくなった頭、顔は大きな目が一つと耳まで裂けた口だけ。それは殻を剥いたゆで卵に誰かが趣味の悪い落書きをしたかのようだった。


「もっとお前達を魔王様の為に利用しようと考えていたのだが、ここまでか……」

「お前は誰だ?」


 スラレスの正面に対峙しているハンナが問う。


「クックック……わが名はタイオン。魔王直属部隊の一人だ。人間界の中枢に入り込み邪魔者を排除するのが私の役目。正体を知られたからにはお前ら全員死んで貰う」


 タイオンは表情の無い顔でそう言った。


「お父様をどこにやったんだ!」

「それは言う必要もないだろう。もうすぐお前もそこに行くのだから!」


 タイオンはそう叫ぶと手から、赤い糸を何本も束ねたような物を噴出した。


「危ない!」


 間一髪、隆弘はハンナを抱き寄せ糸から逃れた。


「私の魔技「|夢見る赤い糸(ドリーミングキャッチ)」からは逃げられないぞ」


 隆弘、ハンナ、アルテリオの三人は、タイオンと戦闘態勢に入った。


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