第9話 それぞれの気持ち

「じゃあ次は応用編で、炎を球にして投げつける魔法行くね。一体にしか攻撃出来ないけどその分消耗は少ないし、威力も上げやすいわ」


 馬車を隆弘に任せ、ハンナはシュウに魔法のレッスンを行っている。ハンナ一人に負担を掛けたくないと、隆弘が馬車の操作を覚え代わってくれているのだ。


「命中精度を上げる為に何かコツがあるのかな?」

「ああ、それはね……」


 二人のレッスンを横で聞いていたエルミーユは居た堪れなくなり、馬車を操る隆弘の横に移動した。


「お、どうした? エルミーユ」


 隆弘は珍しく前の席に移動して来たエルミーユに声を掛けた。


「少し外の空気を吸いたくなったので。ここに座っていて良いですか?」

「ああ、もちろんいいよ」


 隣に座ったエルミーユは何も言わずに流れ行く風景を眺めている。

 エルミーユが連れ去られた事件があってから三日が経過していた。

 心配していたアレスによる妨害もなく、一行は行く先々で歓迎を受けている。目的地ターバラの首都バスキまでは、順調に行けば後二、三日の距離まで来ていた。


「のどかな風景だな」

「そうですね。所々大きな町がある以外、この辺りは農村地帯ですから。これからバスキに近付いてくると賑やかになりますよ」

「そうなのか。それは楽しみだな」


 隆弘は隣に座るエルミーユの横顔を見た。長い黒髪を今は一つに束ね穏やかな表情で景色を眺めている。その姿は、普段の物静かなエルミーユらしく何も変わりはなかった。

 あの日以来、シュウとエルミーユの間には何か見えない薄い壁が出来たようだ。恐らく口には出さないが、ハンナもそして本人達もそれを感じていると思う。

 原因は、エルミーユが怒りに狂ったシュウと、自分のイメージするシュウとのギャップに戸惑っているのだろう。

 隆弘は、それも仕方が無いと思った。

 シュウとエルミーユとハンナ、三人の関係はかなり異色だと思う。お互い惹かれあっているが、それは吊り橋効果だったり宗教からくる憧れだったり本人以外の所でプラス要素が含まれている。

 素の相手を知れば知る程ギャプに戸惑うことにもなるだろう。

 もし……隆弘は思う。

 もし、エルミーユがそのギャップに苦しむのなら、勇者のサポートから解放してあげたい。義務やしがらみだけで一緒にいるなんてそんな仮面夫婦のような二人になって欲しくはない。


「あ! お父様危ない!」

「あああ!」


 考え事をしているうちに前から来た馬車にぶつかりそうになった。


「お父様、考え事をしていたら危ないですよ」


 エルミーユは隆弘を優しく注意して笑った。

 こんな可愛い息子の嫁なんていないよなあ。シュウと上手く行って欲しいよ。

 隆弘はエルミーユの笑顔を見て心底思った。




 数時間後、一行は無事に本日の宿泊予定の町に到着。例のごとく勇者として大歓迎を受け、夜は個別に用意された部屋で過ごした。

 隆弘はベッドの上で横になったが、落ち着かなかった。

 ここ数日は一人部屋だが、三人の普段の様子から何も関係に進展はなさそうだった。

 隆弘からすれば、すごくもどかしい。かと言ってこれ以上父親の立場で深入りする訳にもいかない。それがすごくもどかしいのだ。


「あーもう!」


 隆弘は部屋を出てトレーニングする事にした。




 シュウはベッドの上で来る当ての無い人を待っていた。

 ここ数日は一人部屋なのに待っている人は訪れない。

 ここは自分から行くべきだろうか? いや、でもなぁ。

 こうやって堂々巡りで一向に動かない自分。

 エルミーユを助けた日から、二人の間がぎくしゃくしている。そう分かっていても何をどうすれば良いのか分からない。

 俺はこんなに馬鹿だったのかと自分が情けなくなった。

 とその時、ドアがトントンとノックされた。


「はい!」


 シュウは慌ててベッドから飛び起き、ドアを開けた。


「……ハ、ハンナ……」

「ごめん、ちょっと良いかな?」


 部屋の入り口に立っていたのはエルミーユではなくハンナだった。




 エルミーユは部屋着に着替え、備え付けの机で日記を書いていた。

 几帳面なエルミーユはその日の事を行動記録も含めてきっちり書いている。だが、ここ 数日はなかなか集中出来ず筆が進まない。

 エルミーユはペンを投げ出し、ベッドに寝転んだ。

 つい先程、ハンナが尋ねて来てシュウ様の部屋に行かないのかと聞かれた。一瞬どう返事をして良いのか分からなくて言葉が出なかった。

 今日はシュウ様の部屋に行くつもりはなかった。助けて貰った日以来、嫌いになった訳ではないけど、何故か距離を感じている。気持ちの整理が付くまでもう少し時間が欲しかった。

 でも私が行かないと言えば、ハンナはシュウ様の部屋に行くだろう。

 ハンナは初めて行った日以来シュウ様の部屋には行っていないようだ。それは行きたくないのではなく、次は私の番だから遠慮しているだけだと思う。

 もし、私が自分の意思で行かないとしたら、ハンナが部屋に行く事を止める権利はない。


「今日は行かない……」


 そう言うしかなかった。


「エルミーユが行かないのなら、私が行っても良いかな?」


 それはお伺いと言うより宣言だった。でもそれをずるいとは言えない。ハンナは十分私に配慮してくれているからだ。


「……うん……いいよ」

「ありがとう」


 ハンナはどんな顔をして良いのか分からないと言うような微妙な表情で笑った。

 今頃は、ハンナはシュウ様の部屋に……。




「エルミーユじゃなくてがっかりした?」

 ハンナは部屋に入りベッドの上に座ると、いたずらっぽい笑顔で聞いてきた。

「あ……いや、そんな事ないよ……」


 核心を突く急な質問にシュウは動揺を隠し切れずに返事をした。


「シュウは嘘吐くのが下手だよね。そんな時は私の目を見て「待っていたのはお前だよ」って言ってくれないと!」

「ご、ごめん……」


 謝ってから、しまったと心で舌打ちした。謝ると言う事は嘘と認めたも同然だから。

 しかし、ハンナはどう言うつもりで部屋に来たのだろう。今日は服装もただの部屋着で前のようなセクシーな物ではない。


「エルミーユはあの日以来戸惑っているみたいね」


 ハンナが真顔で言った。


「俺、そんなに怖かったのかな……」


 シュウはハンナの横に座った。


「後ろで見ていた私でも少し怖かったから、近くで見ていたエルミーユは怖かったと思うよ」

「そうか……」


 シュウは冷静さを欠いた自分に腹が立った。


「でもね、シュウ」


 ハンナはシュウの手を握り、目を見詰める。


「もし、私が捕まっていたとしたら、怖かったかもしれないけど、嬉しかったと思う」

「ハンナ……」

「だってシュウは守ってくれたんだから。私は後ろで見ていて悔しかったよ。どうして捕まっているのが自分じゃないんだって」


 ハンナが横から抱きついて来た。


「私、初めての夜にシュウと結ばれなかった事、今は良かったと思っている」

「え、どうして?」

「だってあれからも、どんどんシュウの事が好きになるんだもん。これからももっともっと好きになると思う。だからもうこれ以上好きになれないって位になった時に結ばれたい」


 ハンナが潤んだ瞳で見つめる。


「ハンナ……」


 シュウはハンナを抱き締めてキスをした。

 長いキスが終わり二人は見つめ合う。


「さあ、今日はそれが言いたかったの。もう帰るね」


 ハンナはシュウから背を向けて立ち上がった。顔が見えずハンナの表情は分からない。


「それから……エルミーユの事も待ってあげて。少し戸惑っているだけだから……」

「ハンナ……」


 シュウはハンナの背中に手を伸ばした。


「それじゃあ、おやすみ!」


 クルリと振り返ったハンナはいつもの笑顔になっていた。シュウは引き止める事が出来ずに見送った。




「エルミーユ! 起きてエルミーユ」


 いつの間に寝ていたのだろうか、エルミーユは自分を呼ぶ声で目が覚めた。


「誰?」


 ベッドから身を起こし辺りを見回す。

 部屋には鍵が掛けてあるので、誰も入って来られない筈なのに。


「エルミーユ……」


 ベッドのすぐ脇の空間に一人の人間の像が浮かんでくる。

 これは意識転送魔法……。


「ジョエル! ジョエルなのね」


 人間の像は今やはっきりと、ショートカットの赤い髪やふくよかな胸も実像化していた。


「久しぶりね、エルミーユ! やっと来れたよ」


 意識転送魔法で現われたのは、勇者エリオンに付き従う、聖シスターのジョエルだった。 


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