第8話 激怒する勇者と北の地の勇者

 シュウは部屋の中で緊張していた。

 もしかしたら今夜エルミーユが部屋に来るかもしれない。ハンナが部屋に尋ねて来て以来の一人部屋だったからだ。

 もし来たら嬉しいかと聞かれたら、やはり嬉しい。でもまたあの時のように我慢するのは辛いと言う気持ちもある。

 そんな事を悶々と考えているとコンコンとドアをノックする音がした。

 来たか!


「誰?」


 緊張で声が上ずるのを感じた。


「お手紙を預かって来ました」


 何だよ。

 シュウは自分ががっかりしているのに気が付いた。結局は期待しているのだ。


「ご苦労様です」


 手紙を受け取り、中を開いた。


「ぐっ」


 怒りで手紙を持つ手が震え声が出ない。

 エルミーユを人質に取るなんて。

 あの可憐なエルミーユが縛られ心細い思いをしていると思うと髪の毛が逆立つようだ。

 シュウは部屋を飛び出した。




 ハンナがあの夜の事を話し出す。

 自分の純潔を捧げようとした夜の事を話すのは勇気がいる事だろう、と隆弘は考える。

 思えばハンナにはそう言った事を相談する人間がいない。普通ならエルミーユに話すのだろうが、シュウの事となるとお互いが当事者過ぎて話せないのだろう。

 ハンナでもエルミーユでも自分の事を信頼して話してくれる事には精一杯親身になって応えよう。それが、シュウに身も心も捧げる為に生きてきた、二人に対する感謝の証になるから。




 ハンナが顔から火が出そうな位恥ずかしい気持ちを抑え、胸に飛び込むとシュウは抱きしめてくれた。

 勇者様に抱かれ全てを捧げられる。

 ハンナは夢にまでみた瞬間が訪れ幸せの絶頂だった。

 だが、そんな幸せの絶頂からすぐに引き戻された。シュウがハンナの肩を両手で掴み自分の胸から突き離したのだ。


「ごめん今日はハンナを抱きたくない」


 シュウはとても我慢しているようにハンナの目を見ず下を向いていた。


「どうしてですか? 私には抱きたくなる程の魅力が無いのですか?」


 ハンナは今にも泣き出しそうな顔をしている。


「違うそうじゃないんだ。ハンナは今まで見た事の無い位可愛く清らかな女の子で、今すぐにでも抱きしめて欲望を満たしたい。でも今ハンナが見ているのは勇者としての仮面を被った俺なんだ。本当の俺じゃなく、勇者としての俺に抱かれたいだけなんだよ」

「そんな……」


 ハンナはシュウの言う事を百パーセント否定出来なかった。今日見たシュウの人柄は好ましい物だったが、勇者でなければ抱かれたいと思っただろうか。


「頼む。ハンナの事を大切にしたいから、本当のシュウと言う人間が好きになった時に抱かせてくれないか」

「勇者様……」

「今から俺の事をシュウと呼んでくれ。敬語も使わなくていい。普通の男と女としてこれから好きになって欲しい」


 突然そう言われてもとハンナは戸惑ったが、元々の気軽な性格と想像していた勇者よりシュウがあまりにも普通の男性だったので、その方が良いかと受け止めた。


「……うん、分かった。でも一つだけお願いしてもいい?」

「何?」

「今夜は一緒のベッドで眠って朝まで抱きしめて欲しいの」


 その夜、シュウは約束通り朝までハンナを抱きしめて寝た。ハンナは初めてを捧げる事は出来なかったが幸せな一夜だった。




 シュウ、お前は勇者だ。立派だ、お前は本当に勇者だよ。

 隆弘は話を聞き終えるとシュウの事を崇める気持ちにさえなっていた。

 やりたい盛りの高校生がこんなにも可愛い女の子と一夜を明かして、抱き締めるだけの紳士的に過ごせるなんて……。

 隆弘は翌日の二人の様子の全てに、納得の行く答えを見つけた。


「その夜は幸せで嬉しかったんだけど、もしかしたら私に魅力がないから抱かれなかっただけなのかもって、もしかしてエルミーユならそのまま抱かれていたのかもって。考えれば考える程不安になって……」


 男子禁制の場所で育ったんだから男と言う物が分かっていないのだろう。シュウの行為がどんなに相手の事を大切に思っての事か。


「ハンナの気持ちは良く分かったよ。不安な気持ちも分かる。でも心配しなくても良いよ。俺が絶対に保障する」


 隆弘は一旦そこで区切り、ハンナの目を見つめた。


「シュウはハンナの事を心の底から大事に思っている。だからこそ軽い気持ちで一つになりたくないんだよ。だから心配する必要は何もない」

「でも、私はどうすれば良いの。日に日にシュウの事が好きになるよ」


 ハンナが切なそうに訴える。


「その気持ちが抑えられなくなった時が二人の準備が出来た時だよ」

「そうか……」


 俺がいくら説明しても切ないんだろうな。

 隆弘はハンナの気持ちを思うと自分まで辛くなる。ハンナとエルミーユ。どちらもシュウと一緒に幸せになって欲しいと願った。


「ありがとう。お父さん。こればっかりはエルミーユにも相談出来ずに辛かったんだ。吐き出せて楽になったよ」

「ハンナとエルミーユは息子の嫁で義理の娘だが、本当の娘のように感じているよ。俺で良ければ何でも相談してくれ」

「うん、ありがとう」


 ハンナは話をする前と違い安らかな表情をしている。隆弘はそろそろトレーニングに向おうかと思った時、教会の下働きの男がハンナを探しに来た。


「ハンナ様、大変です。エルミーユ様と勇者様が……」


 男はハンナにシュウが読んだ手紙を持って来たのだ。


「あいつ一人で行きやがったな」

「私達も行こう」

「そうだな」

 隆弘とハンナはすぐにシュウの後を追った。




 薄暗い洞窟の中。所々置かれた松明の光だけが辺りを照らしている。フード付きのローブを頭から被った怪しげな者が十人程、それぞれ手に槍を持ち入り口付近に陣取っている。

 少し奥の高い場所で、打ち付けられた杭に眠っているエルミーユが縛られていた。傍らには他と同じローブの者が槍を手にいつでもエルミーユを串刺しに出来る体勢を取っている。


「約束が違うぞ! 勇者を始末するだけだろ。俺を放せ、エルミーユ様に危害を加えるな」


 ローブの集団の傍に縄でで縛られたアレスが転がされている。アレスは中心に居る、ボスらしき、他より少し背の高い者に怒鳴った。


「うるさいよ、お前は」


 ボスはアレスを蹴り上げた。


「勇者の血と肉を手に入れられれば。私達一族の悲願が達成される……。魔族の中で虐げられた屈辱を晴らせるのだ!」


 ボスは自分の言葉に酔うように話した。


「エルミーユ!」


 洞窟の中にシュウの大声が響く。

 魔族の者達は槍を一斉にシュウに向ける。


「シュウ様……。あっ!」


 シュウの声で目を覚ましたエルミーユは縛られている自分の姿に驚いた。


「エルミーユ!」

「シュウ様!」


 お互いを見詰め呼び合う二人。


「いいか、そこから動くんじゃないよ。動けばあの娘は……」

「お前!!」


 ボスの言葉を無視して、シュウはエルミーユに槍を向けている者を指差し叫んだ。


「お前が槍を向けているのは俺の大切な人だ! もし、針の穴一つ分でも傷を付けたら俺はお前を許さない!」


 シュウの体から真っ赤なオーラが滲み出ている。怒りの形相が鬼気迫り、どんどんエルミーユに近付いているのに誰一人手を出せない。


「この世界を救うなんて関係ない。俺の標的はお前になる。地の果てまで行っても捕まえ、目の前でお前の大切な人を生きたまま切り刻んでやる。女子供でも容赦はしない。お前が血の涙を流すまで苦しめてやる!」


 エルミーユに槍を突き付けた者は恐怖で息をするのもはばかられ、がたがた震えていた。


「いくらなんでもやり過ぎだな。あれじゃあ、どちらが魔物か分からねえぜ」

「完全に自分を見失っているね」


 隆弘とハンナは後から着いて、岩陰で様子を伺っている。

 シュウはエルミーユの傍まで来て、魔物を睨み付けた。


「失せろ。もう一度俺の前に姿を見せれば必ず殺す」

「は、はいいい!」


 魔物は怯えて仲間の下へ逃げていった。


「お前らもだ! 失せろ!」


 完全にシュウの気迫に呑まれている魔物の一族は、蜘蛛の子を散らすように逃げ

ていった。


「大丈夫か?」

「はい……」


 シュウはエルミーユの縄をほどいた。


「さあ降りよう」


 エルミーユの手を引こうとシュウが手を差し出した。


「……はい」

 

 エルミーユはほんの一瞬躊躇した後にシュウの手を掴んだ。


「ったく、やっぱりめんどくさい事になったな」


 中に入って来た隆弘はアレスの縄をほどいた。


「父さん来ていたんだ」


 エルミーユを助けたシュウが隆弘とハンナの所にやって来た。


「お前は魔王だ! 勇者があんな残酷な事言う筈がない、お前は魔王だ!」


 自由になったアレスはシュウを指差し罵った。横に居た隆弘は「うるせえ!」と一喝してアレスの頭を殴った。


「教団に訴えてやる。国王にもな。お前は勇者じゃない魔王だってな」


 アレスは捨て台詞を残して去って行った。

 隆弘の言うめんどくさい事になるのは誰の目にも明らかだった。


「大丈夫?」


 ハンナがエルミーユを心配して声を掛けた。エルミーユの顔は血の気が引き、かなり具合がわるそうだった。

 シュウがエルミーユを背負い、四人は教会に戻った。




 北の国チェスゴーの年老いた王グレゴリは玉座に座り、目の前に跪く一人の男と二人の少女を見て満足げな笑顔を浮かべた。


「さあ、そうかしこまらんでも良い、立ち上がり顔を見せてくれ」


 王は玉座から降り、自ら手を添えて少女達の前で跪く男を立たせた。


「では失礼して」


 男が立ち上がると、その身長は王より頭一つ上に来た。女性のような長い金髪、端正な顔立ち、鎧に包まれた体はボクサーのように無駄な肉を削ぎ落とした精悍さを備えていた。


「後ろの二人も遠慮はいらん。立ちなさい」

「はい」


 王に促され、少女達は同時に立ち上がった。

 一人は青い瞳に青く長い髪、修道女風の服装の上からもスレンダーな体が分かり、無表情な顔と合わせて冷たい印象を抱かせる少女だった。

 もう一人は赤いショートカットで、大きく愛嬌のある大きな瞳は好奇心の塊のようにキョロキョロと良く動いた。スリムな体だが、ふくよかな胸は服の上からも分かるくらい存在を主張している。

 タイプは違うが二人とも道行く人が振り返るくらいの美少女だった。


「おお、こうして三人が並ぶと絵画をみているようじゃ」


 王は三人の美しさに魅了されたように言った。


「勇者エリオンよ。さっそく村をゴブリンの集団から救ってくれたらしいな。礼を言うぞ」

「人々を助けるのは勇者の役目。礼には及びません」

「この北の地チェスゴーに勇者が復活した事を誇りに思うぞ。普段からダラムやタバーラから辺境の地扱いを受けている民も喜んでおる。これからの活躍も期待しておるぞ」

「勿体無いお言葉。このレイラとジョエルの二人と力を合わせましてご期待に応えられるよう全力を尽くします」


 勇者エリオン、青い瞳のレイラ、赤い髪のジョエルの三人は王に向かい深々と頭を下げた。

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