第2話 父はマネージャーになる

 状況が飲み込めなかったが、とりあえず隆弘とシュウも二人に名乗った。隆弘がシュウの父親だと聞いて二人は驚き、何やら相談していたが特にそれ以上は問われる事もなく、エルミーユがこの世界の事を説明してくれた。説明によると、ここは今まで居た場所とは異なる世界らしい。

 この世界では三百年に一度、勇者が異世界より光臨し悪を滅ぼし人々を平和に導くと言う。そしてシュウこそ、その勇者だそうだ。


「ここは俺達にとって異世界だと言うが、こうしてちゃんと会話が出来るのはどう言う事なんだい?」

「この世界には言語と言うものは存在していません。唇から意思を発し、心と心の直接コンタクトをしているのです。それが会話しているように感じているだけなのです」


 俺の質問にエルミーユはすぐに答えた。


「そんな事はどうでも良い。俺は今日大事な試合がある。どうしても行かなきゃならないんだ。どうすれば戻れるか教えてくれよ」


 シュウがエルミーユを問い詰めるように質問した。


「え? いやその……」


 エルミーユはシュウの質問が意外だったのか驚いたような顔をした後、口篭って下を向いてしまった。


「勇者様が戻れるのかどうか、私達には分かんないんです。過去の記録には悪を滅ぼした勇者様が違う世界に旅立ったと書かれていて、恐らく元の世界に返ったと言われているけど調べようがないので……」


 下を向いたエルミーユに代わりハンナが答えた。


「そんな無責任だよ! この世界の平和なんて俺には関係ない、今まで今日の試合の為にどれだけ努力してきたと思ってるんだ」


 シュウが怒鳴ったのでハンナも驚いたのか今にも泣き出しそうな顔をしている。


「ごめんなさい。私達、伝説の勇者様はこの世界を救う為に進んで来てくれているとばかり思っていました。勇者様の都合なんて考えもしなかったんです……」


 エルミーユは顔を上げ、目に涙を浮かべて謝った。

 俺達がここに来たのは彼女達に無理やり連れて来られたのとは違う。何か別の意思が働いているのだろう。その責任を彼女達に背負わせて責めるのは間違いだ。

 隆弘は意見しようとシュウの顔を見たが止めた。シュウの顔に後悔の色が見えたからだ。


「ごめん。君達が無理やり連れて来たんじゃないんだよな。それなのに何とかしろって言うのは言い過ぎたよ」


 隆弘は素直に謝ったシュウを見てなんだか嬉しくなった。いつまで経っても子供だと思っていた息子も確実に成長しているのだ。


「勇者様……」


 エルミーユとハンナの顔に明るさが戻る。


「俺がこの世界を救えば帰れる可能性あるなら、君達に手伝って欲しいんだ。頼まれてくれるかな?」

「もちろんです! その為に私達は今まで訓練してきたのだから」


 ハンナが笑顔で胸を張った。


「ありがとう。俺も全力で君達の世界を救う努力をするよ」


 シュウは隆弘が今まで見たことの無いような笑顔で二人に誓った。その笑顔は二人に安心を与えたようだ。


「君達は勇者に対してどう言う存在なんだ?」

「私達は身も心も勇者様に仕える為、生まれてすぐに修道院に預けられ鍛えてきました」


 隆弘の質問にエルミーユが嬉しそうに答えた。自分の生きて来た道が誇らしいのだろう。


「じゃあ、今まで勇者の為だけに生きて来たって事?」

「もちろんです。私達は勇者様だけの物。他の男性とは指一本触れた事もないし、話すのも今日が初めてです」

「指一本ねえ……」


 隆弘は、こんな清らかな乙女が居るんだなと感心した。なぜか急に触れてみたい気持ちに駆られ、エルミーユの肩にポンと手を置いた。


「え?」

「え?」

「え?」


 同時に三人が、意味が分からないと言った表情で隆弘を見た。


「え?」


 隆弘は三人の反応にヤバイ空気を感じた。


「いやああああああああ」


 今まで聞いた事の無いような悲鳴を上げてエルミーユがその場にしゃがみ込んだ。


「おっさん何するんだよ! 話聞いてなかったの? なんで初めて触る男がおっさんなんだよ!」


 エルミーユを心配して同じようにしゃがみ込んだハンナが、隆弘を見上げて猛烈に怒っている。


「い、いやその……」

「そりゃあセクハラだろうが! 母さんに言うからな!」


 シュウが隆弘にとって一番怖い事を言う。


「セクハラなんて大袈裟だよ! 頼むから母さんには黙っていてくれよぉ」


 本当に軽い気持ちだったのにとんでもない事になった。セクハラで訴えられる奴

等を馬鹿にしていたが、こんな気持ちなんだろうか。


「私はもう穢れてしまったああ。勇者様に仕える事は出来ませんんん」


 泣き崩れるエルミーユを慰めようとシュウもしゃがみ込んだ。


「君は穢れてなんかいないよ。ほら、これで大丈夫。もう消毒されたよ」


 シュウはそう言ってエルミーユの肩をさすった。


「勇者様ああ」


 エルミーユは泣きながらシュウの胸に飛び込んだ。シュウはどうしていいか分からず、助けを求めるように隆弘を見上げた。

 隆弘がゼスチャーで抱きしめるように指示すると二人はしっかり抱き会う。と、その瞬間、隆弘は冷たい視線を感じた。

 ハンナが怒りを露わにして隆弘をにらみ、自分の肩を隆弘に突き出している。自分も抱きしめて欲しくて肩を触れと言うのだろう。隆弘は引きつった顔で首を大きく横に振った。

 もうセクハラ犯にされるのは勘弁してくれよ。




 エルミーユが落ち着くと、俺達は彼女の移動魔法で山間部を抜け出した。移動魔法は精神力の消耗が激しく、短距離でしか使えないらしい。

 麓で彼女達が用意していた馬車に乗り込み教会のある町まで移動するとの事だった。

 幌のついた馬車をハンナが操り、エルミーユは移動時間を使いこの世界の事を説明してくれた。

 この世界の中心にはクレモデナと言う大きな大陸があり、ガンバーズと言う名の大きな山脈で東西に分断されている。今居る場所は西側に位置している。西側の地は三国に分かれているが、全て同じ宗教を国教としており争いは起こっていない。


「勇者様はまず、タバーラの国王に面会して勇者の証を授かってください」

「勇者の証?」


「はい、三国の国王が代々管理している紋章の欠片です。三つ揃えば勇者の力が最大限引き出せると言い伝えられています。またその紋章の所有者は全ての国軍の指揮権を与えられ悪との戦いに使えます」


 シュウの疑問にエルミーユが答える。


「そもそも倒すべき悪とは何なんだ?」

「それは……」


 隆弘の質問に、エルミーユは困ったような顔をして言葉を濁した。


「実は必ずこう言うものだと言うのは無いのです。時には魔王として直接人々を恐怖に陥れたり、時には善良な聖人を装い人々を洗脳して破滅に導こうとしたり……。ただ全てに言える事は、裏には必ず悪意に満ちた魔の存在がいます。歴代の勇者様達はそれらを打ち破り世界に平和を築いてくれました」

「なんか雲を掴むような話でピンとこねえな……」


 とは言え帰れる方法は今の所シュウが勇者としての役割を果たす事だけだからやるしかないか。




 途中で休憩や食事を挟みながら結構な時間を掛けて目的地の町に着いた。舗装も満足にされていない道をあまりスピードの出ない馬車で移動したのだから時間が掛かるのは仕方がないのだろう。

 途中に休憩で立ち寄った集落とは違い、着いた町はレンガ造りの家が立ち並び人々も多く賑わいがあった。

 町に着いてすぐ、教会に案内されて隆弘とシュウは祭司に紹介された。

 シュウに対する祭司の対応はまるで神が地上に降りて来たようで、その緊張が手に取るように分かる。宗教の教典が勇者の救世主伝説がベースなので理解はできるが、隆弘にとっては普通の息子なので違和感がある。

 隆弘達は個別に部屋を与えられ着替えも用意してくれた。何より嬉しかったのはこの世界にもお風呂があった。お風呂と言っても、溜めているお湯をかぶるだけの物だったが、それでも泥と汗で汚れた体には有難い。

 隆弘の中で持つ、古代ローマ人風の服を着て祭司が用意してくれた夕食会に出席した。



 

 音楽や大道芸など教会とは思えない、庶民的な出し物と豪華な食事で相手側の歓迎の意思が良く伝わった。隆弘が考えている以上に勇者と言うのは人々の尊敬の対象なのかも知れない。


「あ、あの……少しお聞きして宜しいでしょうか?」


 祭司が隆弘に、何か言いにくそうな様子で話し掛けて来た。


「え、俺に? 何でしょうか?」

「あの……何と申しましょうか……あなた様は勇者様のお父上とお聞きしましたが……」


 少し嫌な予感がする。


「ああ、ここにいるシュウがあなた達の言う勇者だと言うのなら、その通り俺は父親だが」

「そうでしたか……。あの……伝説によりますと……」

「祭司様、今その話をしなくても」


 祭司の言葉をエルミーユが遮った。

 隆弘の予感は当ったようだ。エルミーユも気が付いていたのだろうけど黙っていてくれたのだ。

 優しい娘だ。

 隆弘はエルミーユの心遣いを嬉しく思った。


「ありがとう、エルミーユ。だけど大丈夫だよ」


 隆弘はエルミーユに礼を言い、祭司に向き合った。


「祭司様、伝説には勇者の父親など出てこないのでしょ?」

「あ、いや……まあ、そのような事ですかね……」


 細身の祭司は気の毒なくらい汗をかいている。


「なぜ伝説に出てこない俺が今ここに居るのか?」


 隆弘は皆を見回してにやりと笑った。


「それは必要だからですよ。シュウはまだまだ半人前。俺がサポートしてやらなければ勇者なんて務まらないんです」

「何勝手な事言ってんだ! 俺はあんたなんか居なくてもちゃんとこの世界を救えるよ」


 シュウが怒って声を上げる。それを聞き、隆弘はなんだか楽しくなってきた。

 今朝までお互いに感情を露わにして怒鳴りあう事なんて無かった。こうして気持ちをぶつけ合える事が嬉しかったのだ。


「ほう、それは頼もしいな。是非とも俺に認めさせてみろよ。それまでは俺はお前のマネージャーだ。半人前の勇者様を助けてやるぜ」

「大きなお世話だ。いつまでも子供扱いしやがって。俺は一人で十分だ」


 怒るシュウと楽しそうに笑う隆弘。周りは訳が分からずポカンとしていた。




 夕食会も終わり、隆弘は部屋に戻ってベッドに横たわった。疲れているので眠りたいのだが中々寝付けない。

 長い一日だった。裕子は心配しているだろうな。

 隆弘は妻の顔を思い浮かべた。

 向こうの世界では、俺とシュウの失踪はどう言う扱いになっているのだろうか。今頃裕子は気も狂わんばかりに心配している事だろう。それを思うと気が重くなる。何とか連絡だけでも取れれば良いのに。

 隆弘は出来ないと分かっていても考え過ぎて憂鬱になった。救いは次男が居る事だ。

 あいつは頭が良い。母さんを支えてくれ。頼むぞ。

 隆弘は次男の顔を思い浮かべて願いを込めた。




 シュウは部屋に帰るなりベッドに倒れ込んだ。

 試合はどうなったのだろうか。自分が失踪した事で仲間に動揺を与えたんじゃないだろうか。

 いろいろな事を考えて、疲れているのに眠れなかった。

 コンコンとドアをノックする音がした。


「父さんかな」


 シュウは「はい」と返事をしてドアを開けるとハンナが緊張した表情で立っていた。


「ああ、ハンナ。どうしたの?」

「あの……勇者様にお話があるんですが、良いですか?」

「ああ、そう。どうぞ、入りなよ」


 初めて見た時から活発なイメージがあったハンナにしては様子がおかしかったが、シュウは特に気にする事なく部屋に招き入れた。


「え?」


 シュウはハンナの姿を見て驚いた。

 真っ白い生地の薄いワンピースを着ているのだが、ピッタリとしていて体のラインがはっきり出ているのだ。

 大きくは無いが形の良い胸や滑らかな腰のライン。下に何も着けていないのが分かる。


「あ、あの……」


 シュウの視線に気が付いたのか、ハンナは顔を真っ赤にして目を潤ませている。


「は、話って何かな……」


 シュウは動揺で声が上ずるのが自分でも分かった。


「私を抱いて下さい」


 そう言ってハンナが胸に飛び込んで来た。

 髪から漂う甘い香りが鼻をくすぐる。力を込めれば折れてしまいそうな華奢な体。

 シュウは理性が吹き飛びそうだった。

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