(約1900文字) その五 勝つために捨てたプライド
こんどこそ殺った!
ボーイがそう確信したとき――
しかしナイフの切っ先は少女の心臓を刺し貫くことなく、その寸前で完全に停止していた。そう……『何もないはずの空間』の、真ん前で。
『人間にしてはそれなりの実力がある方だと思いますよ。このわたくしと、こんなに長い時間戦ったんですもの。その褒美といってはあれですが、教えてあげます。わたくしの力は厳密に言えば、『空気を自由自在に操ること』』
「……⁉」
その瞬間、目に見えない巨大な塊がボーイの頭上から降り注ぎ、まるでハンマーが釘を打ち付けるように、彼の身体をイグサが生い茂る草原の地面へとたたき落とした。
「……ガア……ッ!」
魔人としての耐久力と生命力によって、辛うじて生きてはいた。しかし片腕と肋骨が何本か折れている。これ以上の激しい戦闘は難しいように思われた。だがそれでも、己の欲望を叶えるために、ボーイは全身に力を込めて、駆け回る激痛を無視して、立ち上がる。
……うわあ! ……なんだなんだ⁉ ……人間がいきなり空から落ちてきやがったぞ……⁉
周囲で声がした。今回の代理戦争において、ボーイと少女以外に参戦していた、ライフセイバーのような身なりをした数人の者たちだった。ポールの周囲にいる彼らの手には投げ斧が握られていて、その足元には掘り返したような小さなくぼみがあった。
今回の代理戦争開始直後のノリノリの声は説明していなかったが、ポールを中心として、ボーイが召喚された場所とは線対称にあたる反対側の地面に、いくつもの投げ斧が乱雑に突き立てられていた。
ライフセイバーたちはそれらの投げ斧を引き抜き、自分が真っ先に勝利するために、その投げ斧でポールが埋まる地面を掘り返していたのだった。
そんなことはボーイは知る由もないし、たとえ知っていたとしても、まあどうでもいい。彼が関心を寄せるのは……ボーイは頭上に浮かぶ少女を見上げる。
少女は風を巻き起こして、自身の身体にまとわりついていた無数のじゅうたんの破片を完全に取り払っていた。ボーイを見下ろして、言う。
『まさか、あなたも風を起こせたのですね。それによって、わたくしが放った風とは完全に逆方向に吹く風をぶつけて、相殺した。そうですわね』
「…………」
律儀に答える必要はない。ボーイは黙ったまま、自分を見くだすように空中に浮かぶ少女を、憎悪を込めた目でにらみつける。
ボーイが行使したこの風の魔法、厳密には『酸素を生み出す魔法』である。
名を『オーツー』……O2……『Oxygen Object』の略だ。
『ござ魔法』はイグサを生み出すことができる。そしてそのイグサは植物であり、光合成によって二酸化炭素を吸収して酸素を生み出すことができる。この連想的応用によって、『ござ魔法』は酸素を生み出すことに成功した。
あとは簡単だ、その酸素の密度や濃度、体積、指向性などの諸条件を操作することによって、風として撃ち出すことを可能とした。
自分を牢獄へとぶち込んだクソガキも、この風を使っていた。やつはあくまで異能の応用とかほざいていたが、そんなことはどうでもいい。まさか憎悪する風使いに対抗するための手段が、自分が最も憎悪する風に頼ることになろうとは。
これを皮肉と言わずして、何と言う。
もちろん、考え付いた当初は、憎悪するクソガキと同じ力を使うなど、ボーイのプライドが許さなかった。
しかしそれ以上に、再びあのクソガキ、もしくは風使いと、相まみえたときに、またしても敗北するのが死に等しいほどに屈辱的だった。
だからこそ、ボーイはプライドを捨てた。
プライドを捨てて、この『風』の力を使うことにした。敗北の屈辱ではなく、勝利の愉悦に浸るために。
――すべてはただ、勝利のために――
なのに、プライドを捨てたのに、それなのに――勝てない――
憎悪に燃える瞳を向けるボーイへと、空中に浮かぶ少女は手をかざす。
『ネタは割れました。わたくしは風の化身、あなたが起こす風ですら、わたくしの支配下に置くことができます。この意味が分かりますね』
「…………」
それはすなわち、もはや二度と、少女に風の魔法は通用しないことを意味する。むしろ、自分が放った風によって、ボーイ自身が傷付くことになるだろう。
『たった数分とはいえ、このわたくしと渡り合ったその功績をたたえて、名乗りましょう。わたくしは風の大精分霊――
「…………」
ボーイは答えない。黙ったまま、無言のまま、沈黙を貫いたまま……空に浮かぶ風の精霊の少女を、憎悪の炎が満ちる瞳で見上げたまま。考える、思考する、模索する。自分があのクソガキの少女に勝利する方法を。
そして閃いた。
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