(約2100文字) その四 展開される無数の魔法陣


『……そんな安い挑発に乗るとでも思っているのですか』

 挑発、まさしくそれは挑発に違いなかった。少女が冷静さを失ってボーイに突っ込んでくれれば、それこそ彼の思うつぼ。瞬時に拘束して、脱出する暇を与えずに刺し殺す。

 そして乗らなかったのならば……。

「そんじゃア、俺から行かせてもらうぜエ」

 足元に展開した魔法陣から空飛ぶじゅうたんを出現させて、果物ナイフの切っ先を差し向けながら、高速度で少女まで迫っていく。

 暴風が打ち消されるとしても、方法はある。対する少女は両手をボーイへと振りかざし、その手のひらから、あらゆるものを切り刻む風の刃を撃ち放った。

 ジャンプすることで、ボーイはその風の刃群を回避する。切り刻まれたじゅうたんなど意に介さず、空中で身動きの取れないボーイへと、少女は再び数多の風の刃を降り注がせる。

『これで終わりでしてよ』

「それはどうかな」

 瞬時にしてボーイの足元に魔法陣が出現し、現れたじゅうたんを足場にして、ボーイは今度は横へと跳ぶ。散り散りになったじゅうたんを完全に無視して、ボーイは両手を広げた。その両手のひらの先に、周囲を覆いつくすほどの魔法陣を展開させる。

 魔法陣の多重展開。いやこれは、多重と呼ぶにはあまりにも数が多すぎる。それらの魔法陣から姿を現したのは、無数とも思えるほど大量の、空飛ぶ魔法のじゅうたん。

 足場がないのなら、作ればいい。それがボーイの考えだった。

 少女を取り囲む無数のじゅうたんを跳び移りながら、ボーイは彼女の背後へと回っていく。

 無数のじゅうたんは足場になるだけでなく、少女の視界まで覆いつくしていて、彼女はボーイの姿をとらえきれないでいた。

(った……ッ!)

 少女の背後のじゅうたんを蹴って、彼女の完全な死角からボーイがナイフを振り下ろそうとしたとき、

『邪魔なじゅうたんですわね』

 少女の身体から、360度全方位に向けての風刃が放たれる。

 足場を作られたのなら、壊せばいい。それが少女の理屈。

 無数に展開されていたはずの空飛ぶじゅうたんのほとんど全てが細かな破片となり、ボーイの身体も鋭い風刃に飲み込まれようとする。その刹那、間一髪のところで、ボーイは防御に成功した。

 目の前に落ちていくじゅうたんの雪の中に、クズ人間の姿は見えない。ならば背後かと、少女は後ろを振り返る。果たして、そこには死の危機から辛うじて脱してゼエハアと息を荒げるボーイの姿があった。

 少女にとっては奇妙なことに、男の身体に風刃による傷は見当たらず、彼の周囲には何枚かのじゅうたんが切り刻まれずに残っていた。

 また無効化されたのか……その原理はまだ分からないものの、しかし、

『どうやら、わたくしの風を無効化できるのは、あなたの周りだけらしいですわね』

「……ハッ……!」

 まだトリックは見破られてはいないとはいえ、相手の実力ははるかに強く、不利な状況に変わりはない。しかし、それでも、ボーイは不敵な表情を浮かべた。

「……じゅうたん……」

『……? なんですか……?』

 ぼそりとつぶやくボーイに、少女が不審げな顔をする。構わず、ボーイは続けた。

「粉々に切り刻まれた破片だって、俺が作ったじゅうたんなんだぜ……」

 ボーイの顔に、見るものをゾッとさせるような、不気味な笑みが広がっていく。

 何かされる……! そこで少女は思い出す。自分の周囲には、自分自身が切り刻んだ、無数のじゅうたんの破片が舞い落ちていることを。この場から距離を取ろうとするが、じゅうたんの破片は完全に少女の周囲を取り囲んでいた。

 逃げ場はなく、距離を取るための余裕も残されていない。

 ならば……。

 瞬時に、じゅうたんの破片を吹き飛ばすための暴風を巻き起こそうとした、そのとき。

 少女の四方と頭上足元に様々な円と幾何学模様が描かれた、淡く光り輝く魔法陣が出現し、彼女が放った暴風を、その瞬間に打ち消した。

『……⁉』

 このとき、少女は全てのトリックを理解した。暴風が消滅するその刹那に、わずかに肌に触れたその感覚は、自分がよく知っている……。

 これならば、赤子の手をひねるよりも、呼吸するよりも、はるかに容易に対処できる。

 だがしかし、本当にほんのわずか、時間にしておそらくコンマ一秒ほど、気付くのが遅れてしまった。

 そのコンマ一秒の隙を突いて、まるでヘビのようにうねりながら、切り刻まれたじゅうたんの無数の破片が少女の身体を包み込んでいく。身動きができず、視界も完全にふさがれた。

 その少女に、ボーイは迫る。手のひらに魔法陣を展開させ、かつて自分を牢獄にぶち込んだクソガキがしたのと同じように、その先から猛スピードで突進するための『推進力』を噴出させながら。

 もはや隠す必要はなかった。これでトドメを刺すのだから。コンマ一秒の時間的余裕も与えずに、ボーイはじゅうたんの破片に包まれた少女の心臓へと、もう片方の手に持つ鋭利なナイフを振りかざした……!


『……『風』、ですわね……』


 気付かれた。だがもう遅い。ボーイが突きだしたナイフの切っ先は、いままさに少女の心臓に刺さろうとしている。暴風で吹き飛ばそうとしても、無効化できるし、そもそもそんなものを巻き起こす時間的余裕など存在しない。

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