第34話 三上にふれたい

「なかなかいい部屋ね」


 プレハブ内をぐるりと見渡し、感心する三上。


「ここには全部揃ってるからな。ひとり暮らしみたいでカッコいいだろ」


「最初に見たときは、ただの勉強部屋かと思ったわ」


 三上は俺が用意した座布団に座り、後ろ手をついて足を投げ出している。


「たく、ケガしてんなら言えよな」


「別にこれくらいのキズ……」


「山の中だとバイ菌が入るんだぞ」


 俺は変身を解き、いつもの部屋着姿。消毒液と絆創膏を持って三上に近づく。


 この狭い自室に男女がふたり。


 すでに三上のミルクティーみたいな香りがぷんぷんする。


 それだけでも心が充分かき乱されるというのに、俺はさらに三上と距離を詰め、


「じゃあ、失礼して……」


「うん」


 全身に感じる緊張の震えを抑えながら、三上の足を手に取った。


「ひゃんっ」


 三上が変な声を上げ、手の中の足が一瞬だけ魚のように暴れる。


「な、なんだよ!」


「ちょっとくすぐったかっただけ」


「そうか」


 ガラス細工のような足首は、力を入れれば折れてしまいそうなくらい華奢だ。それから、その先にある白くてやわらかそうなふくらはぎ。浴衣の裾からチラッとのぞく様にドキドキさせられる。


「ちょっと染みるぞ」


 俺は平静を装いながら、足首の傷に消毒液を垂らす。


「いたっ」


 三上の脚がピクリと反応した。


 床にこぼれ落ちそうな赤茶色の雫。加えて、俺の視界にまたしてもふくらはぎ。


 ちょっとくらい、触ってもいいよな……。


 ピトオォ。


 三上のふくらはぎに手を添えた瞬間、指がそのやわらかな肉感に飲み込まれる。それでいて表面はスベスベして、どこまでも撫で回したい衝動に駆られ……。


「あ、あの、そこ、触る必要ある?」


「えっ、ああ、ほら、ちょっと消毒液がこぼれそうだったから……」


「ふーん」


 気づけば、三上がジト目で俺を睨んでいた。どうしても、そのふくらはぎを触ってみたかったという裏の意図が見透かされているようだ。


 しかし、そんな三上は顔を紅潮させてモジモジしていた。

 三上としても、男に生足を触られて恥ずかしかったんだな。

 俺は三上の足から手を放し、傷口に素早く絆創膏を貼った。


「よしっ、これで大丈夫だな」


 努めて明るい声を出し、あぐらをかく俺。


 一方、三上は足を身体に抱き寄せ体育座りになると、


「……ありがとっ」


 俺を見ながら、口の中でゴニョゴニョ言った。


 その女の子らしい仕草に、俺の心臓がドキッと跳ねる。


 どうしたよ、今日の三上。やけにデレデレして……なんだかんだで、ここまで物腰やわらかな三上もはじめてじゃないか。しかも、俺に向かって「ありがとう」なんて……。


 この雰囲気。治療は終わったけど少し話せるな。緊張してTシャツがベタベタになっている俺だったが、意を決して口を開く。


「なんか、落ち着いて、話すの久しぶりだな」


「そ、そうね」


 切り出しはこんな感じ。

 お互い視線が定まらず、床を見ながら話しているみたい。


「……お前が、俺を避けるから」


「だ、だって……」


「でも、原因がわかって良かった」


「そう」


「お前があんな風に思ってたなんて、知らなかったから」


「あれは、あいつらが言えって」


 さっきの愚痴を思い出す。


「お前は、あれをデートだと思ってたんだよな。服装も気合い入れて、素直に楽しもうとしてくれたのにな」


 それにも関わらず、俺ときたら……。


「俺、お前が怒ったのは、いつもの理不尽モードになっただけだと思ってた。正直、三上ってひねくれてるし、ちょっと変な風に見てたかもしれない。ほんとに、ごめん」


「わ、わかれば、いいのよ」


「でも、それを差し引いても、やっぱりお前、バカだよな」


「な、なによぉ!」


 バカと言われて怒る三上。


「ほんとバカなんだよ、お前」


「なによ……」


 2回もバカと言われて、今度はシュンとなる。

 そりゃ、俺だって少しは三上に言いたいことがある。仕返しとはいえ、1週間も口を聞いてもらえなかったんだから。


「ただの作戦だったら、あれからファミレスなんか誘わないっての」


 呆れの色を込めてそう言うと、三上がぱっと顔を上げた。

 バッチリ目が合う。慌てて、お互いあさっての方向に視線をそらした。


「そんなの、わかんないし」


「それに、俺は、お前とスイーツ食べに行ったのも、テニスを観に行ったのも、楽しかったのにさ……」


 いざ、素直に気持ちを伝えてみると、自然と声が震えてくる。


「それを、お前、勝手に怒って……」


「う、うっさい……」


 三上の頬がじわじわ桃色に染まっていき、口元がうにゃうにゃと波打っている。


 しばしの沈黙。


 少しでも動くと衣擦れの音が響きそうで、俺は身動きできない。まるで他人の部屋にいるかのような居心地の悪さ。いや、三上と密室でふたりきりという点では、充分すぎるくらい幸せなんだけど。


「そ、その……」


 三上が遠慮がちに口を開き、


「ごめん」


 あやまりながら頬を膨らませた。


 俺は呼吸が阻まれるくらい動揺する。


「いや、俺の方こそ……」


 思わず言いかけて、言葉に詰まる。

 この先に進むのは、もはや告白と同義。それなりの覚悟がいる。

 俺はあぐらから正座になおり、拳半個分、三上に身体を寄せた。


「……っ!?」


 三上もそんな俺の挙動に反応し、ぴょこんと正座になった。


 目の前に三上の小さくて白い顔。いつもは俺が見上げる側だけど、こうして人間姿で向かい合うと、三上は上目遣いになる。クリッと丸みを帯びた黒い瞳に見つめられ、俺は固唾を飲み込んだ。


 さらに三上と距離を詰める。膝と膝がぶつかりそうになる。なんとなく三上もこっちに寄ってきているような気がする。


 三上のトロンとした瞳。濡れた唇。


 ドキドキして呼吸ができない。


 三上にふれたい。


 俺が手を出すと、三上の手も微かに伸びてくる。三上も俺にふれようとしているのか……でも、不思議と驚きはない。なんとなくそんな気がする。もはや、ここはそういう空気になっている。


 俺たち、このまま……。

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