第30話 満天、涙

「私、気に入りましたよ。ありがとう」


 やわらかく微笑みかける玉城。


 長い前髪がヘアピンで分けられ、真っ白な素顔があらわになっている。


 それは、はじめて見る玉城の笑顔だった。

 瑠璃色の瞳を湛えた奥二重に、すっと通った鼻筋。これまで晒されていた小ぶりなあごの輪郭と、絶妙なバランスで調和している。


 まさに、満天の元に舞い降りた美少女だった。


 俺はじっくりと玉城の素顔を見つめずにはいられない。これまで前髪に隠されていたという神秘性も相まって、その顔はさらに美しく映えた。


 そして、玉城に見とれているのは俺だけじゃない。


「……章子ちゃん」


 俺を抱える橋本の手が震えている。はじめて目にする素顔の玉城に緊張しているのか。それとも、自分の願望が叶って喜びを感じているのか。いずれにせよ、橋本がひどく混乱しているのは、全身に帯びる落ち着きのなさからもよくわかった。


 そんな橋本に、玉城はゆっくりと歩み寄る。


「……かすみちゃん」


 俺を挟んで向かい合うふたり。それぞれの香りが混ざり合う。


「えっと、その……」


 橋本は頬を上気させ、地面に視線を落とした。きっと、なにを話していいのか、わからないのだろう。いきなり現れた素顔の玉城を持て余している。


 無言のふたり。


 ぬるい風が草を撫で木々を揺らす。自然のざわつく音がする。


 玉城がふっと息を吐いた。


 風が止む。まるで時間まで切り取られたかのように、この空間に凪が訪れた。


 玉城の真剣な顔。


 橋本もそのただならぬ雰囲気を察して、視線を上げる。


 やがて、玉城がヘアピンで分けられた前髪に手をかけた。


 その指先は、微かに震えているようだったが、玉城はゆっくりと、つまんだ黒髪を上に持ち上げた。


「……!?」


 橋本が息を呑む。


「びっくりしましたか?」


 珠のようにつるりとしたおでこ。

 その真ん中には、斜めに入った一生キズ。


「自分で言うのもなんですが、このとおり、私は超美人です」


 唐突に語り出す玉城。

 その額を見つめるように、一瞬だけ目線を上にやる。


「このキズは、中学時代、私を妬んでいた友人たちと喧嘩してできたものです。押し合いになって、コンクリートで切ってしまいました」


 持ち上げていた前髪から手を放すと、髪がパラパラと落下し、額のキズを隠した。


「それ以来、私は素顔を隠すようになりました。妬まれるのが怖くなってしまって。中学もしばらく不登校で、高校は誰とも会わないように県外を選んだわけです」


 玉城は静かな表情で続ける。


 俺も橋本も硬直したまま、その語りに聞き入っていた。


「でも、あとあと考えてみれば、妬みの種は、なにも美貌だけじゃなかったんですよね。中学時代の私って、気が強くて、平気で人の悪口を言って、美人を鼻にかけてみんなを馬鹿にして……調子に乗っていたんです」


 玉城が諦めたようにため息をつく。


「とは言っても、本来の性格なんて、そうそう治せないんですよね。普段から親切を心がけて、言葉遣いも丁寧にしましたけど、こうやってすぐにボロが出るんです……」


「……」


 すると、それまで黙っていた橋本はゆっくりと屈み、俺を地面に降ろした。

 

 足に湿った草の感触。

 

 橋本は俺にゆるいウインクをかますと、また元のように玉城と対峙する。

 

 なにをする気だ……。

 

 俺は星がきらめく夜空をバックに、ふたりの美少女を見上げる。


「私の本性なんて、あんなもんですよ」


 玉城はひたすら自分を卑下している。


「ほんと、クソみたいな性格です」


 そんな玉城の言葉に、橋本は小さくうなずきながら、半歩ずつ歩み寄る。


「かすみちゃんも心底がっかりしたと思いますけど……」


 ふたりの距離はやがてゼロになり、


「章子ちゃん……」


 橋本は、玉城をそっと抱きしめた。


「……っ!?」


 突然のことに、今度は玉城が口をつぐんだ。困惑しているのか、その腕はだらんと橋本に抱かれるがまま。


 しばらく無言の時が流れる。


 俺はふたりから少しだけ距離を取り、遠巻きにその様子を見守った。

 

 重なり合う藍と水色。

 

 風が吹いて、草がさらさらと音を立てる。祭りの喧噪、虫の声までもが遠い。もはや、この開けた原っぱはふたりだけの世界だ。


 橋本がポツリとつぶやく。


「うち、知っとったよ」


「なにを、ですか」


「章子ちゃんの性格。三上としゃべっとるとこ、見てしもた」


 橋本は悪戯っ子みたいに「へへっ」と微笑む。


「でも、章子ちゃん、うちには本性見せてくれやんだよな」


「だって……」


 抱きしめられた玉城は、まだ動揺しているのか、どこか遠慮がちにこたえる。


「かすみちゃんに、嫌われたく、なかったですし」


 橋本の短いため息。


「そんなん、気にせんでええのに」


「かすみちゃんは、私が部活のことで親切にしたから、私と仲良くしてくれたんですよね」


「そうやよ」


「だったら、思い直すべきです。私の善行なんて、所詮は打算に過ぎませんから。部室棟の隅で独り泣いてるクラスの人気者がいたから、すり寄っただけですよ?」


 玉城もなかなか頑固だ。橋本が簡単に自分の本性を受け入れると思えないのだろう。それだけ、玉城にとって過去のトラウマは深刻なのだ。なにせ、前髪を伸ばして素顔を隠すくらいなんだから。それでも素顔を見せたってことは……。


「やけど、うちの力になってくれたんは事実や。その事実だけで、うちはうれしい」


「でも……」


「うちは好きやで。章子ちゃんのこと」


 玉城の目がわずかに見開かれる。


「たとえ、性格が悪くても、そんなことで嫌ったりはせん。ほかにも、いっぱいええとこ知っとるもん」


 橋本のあまりにも素直な気持ち。


 その直球に、さすがの玉城も心揺さぶられたようだった。


「……」


 やがて、玉城は遊ばせていた両手を、ゆっくりと橋本の背中に回した。それに気づいた橋本が、むずむずと身体をよじる。


「私、本当はすごく自己中ですよ?」


「うん」


「自分のこと、美人だと思ってますから、自慢ばっかりしますよ?」


「うん」


「なんでもズケズケ言うし、人の悪口も言いますよ?」


「うん、うん」


「それでも、私のこと、嫌いませんか?」


 玉城の問いかけに、うれしそうにうなずいていた橋本は、最後の質問に対しても、


「もちろん。安心してええんやで」


 優しく即答した。


 それを聞いて玉城は泣いた。


 クールな顔が崩壊し、ほろほろと涙がこぼれだす。


「そんな、泣かんでも……」


 嗚咽を漏らす玉城。橋本はその背中を丁寧にさすっている。


「さっきから、章子ちゃんのこと、好きやって言うとるやん」


 そういう橋本も声が震えている。


 玉城の涙は止まるところを知らず、なにもしゃべることができない。

 おそらく、ずっと怖かったのだろう。せっかく自分を慕ってくれる橋本が、本性を知って離れてしまうことが。橋本に嫌われて、クラスの中心から外れることが。


 でも、橋本はそんな玉城も好きだと言う。むしろ、素を望んでいた。


 なんだか、とてもいいものを見た気がする。


 のぞきくらいしか使い道がないと思っていた変身能力。少なくとも、ウサギでなければ、こんな近くで立ち会うことはできなかった。


 しばらく、そっとしておいてやるか。

 俺は満足感いっぱいで、抱き合うふたりから視線を外す。漏れてくる泣き声と鼻をすする音を聞きながら、茂みに戻ろうと1羽淋しくしっぽを振った。


 すると、木の陰に三上を見つけた。


 なんだ、いたのか。


 不安げな表情で口元に手を添え、玉城と橋本を見守る三上。姿が見えないと思ったら、ちゃんとふたりに気を遣っていたのか。


 それにしても……。


 やっぱりお前も泣くんかい!


 俺が茂みに駆けていくと、三上も俺に気づいたらしく、慌てて浴衣の袖で涙を拭った。別に誤魔化さなくていいのに……。


 っていうか、さっきから泣いてばっかりじゃねぇか。


 そりゃ、ひどい勘違いの連続だったり、感動的な和解だったり、ここ数時間だけでめまぐるしいほどの大事件が起きてるわけだから、無理もないけどさ。


 まぁ、でも……。


 俺は不意に夜空を見上げる。


 3人とも、いいやつらだよな。

 

 銀色に輝く星々が、軽くにじんで見えた。

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