第29話 ひとりぼっち橋本

 ウサギになって山中を駆けまわる。

 

 こういうとき、ウサギの身軽さは役に立つのだ。人間姿で走るよりも断然早い。茂みに飛び込み、木と木の間を転がるように縫っていく。

 

 次々と毛皮を叩く葉っぱや草。カサカサしてくすぐったいだけど、風を切るスピードも相まって、爽快感がこみ上げてくる。きっと、ラジコンカーにカメラをつけて走らせると、こんな景色を見ることができるのだろう。ウサギで夜の山道を走るのが、こんなにも気持ちいいなんて……。

 

 そんなこんなで、俺が夜の散歩を楽しみはじめた頃。

 

 ようやく、橋本を見つけた。

 

 小さな町が一望できる開けた原っぱ。真ん中に大きな石が1つ。

 

 橋本は、その石にポツンと淋しく腰掛けていた。

 

 地元じゃないくせに、なかなかマニアックな場所を知ってやがる。

 こんな山の深いところ、訪れる者はほぼいない。

 ひとりで落ち込むにはもってこいだ。


 俺は茂みに隠れて変身を解き、三上に居場所を伝えた。

 

 そして、再びウサギに戻り、石に座る橋本の傍についた。


「……はぁ」


 伏せられた睫毛が伸びるきれいな横顔。橋本は俺が来たことにすら気づかないようだ。キラキラした遠くの街並みを、ぼんやり見つめているだけである。


 俺はぴょこぴょことその場で跳ねてみせた。


 視界に入れ!


「……きゃっ」


 すると、橋本は小さく叫んで飛びすさったが、


「なんや、ウサギかぁ」


 すっと胸を撫で下ろし、石に座り直した。


「かわいいなぁ……もしかして、三上のウサギやったりして?」


 お得意の察しの良さに、俺は思わずコクコクとうなずいてしまった。


「ほんまに三上のウサギや! だって、三上が人間の言葉わかるって言っとったし」


 あいつ、橋本にまでいらん自慢しやがって。


「なぁ? ほんまに、人間の言葉がわかるん?」


 橋本が俺の顔をのぞき込んでくる。近い。

 普段よりも化粧が薄めなのは、和装だからか。しかし、そのクリッとした瞳で見つめられると、なんだかドキドキして……。


「おおぉ! やっぱり! すごいやん」


 つい橋本を喜ばせたくて、首を縦に振ってしまう。


「お前はええこや。いっつも三上の話を聞いてあげとるんやもんな」


 橋本が俺の頭を撫でてから、ゆっくり抱き上げてくれる。タンスのような浴衣の匂いをとおして、橋本の甘い香りが鼻をくすぐった。


「三上がいつも褒めとるで。私のウサギはすごいんやって。めっちゃ賢いし、かわいいって。相当、気に入られとるで」


 思いがけず三上の俺に対する評判を聞いてしまい、少しむず痒い気持ちになってくる。なんだよ。裏ではそんなに褒めてくれてるのか。あいつ、やっぱりツンデレの才能あるな。


「なぁ、ウサギ?」


 橋本がぎゅうっと俺を抱きしめ、


「今日だけは、ちょっとだけうちの話も聞いてくれへん?」


 と耳元でささやいた。ウサギの敏感な耳がぞわぞわする。


「うちな。友達に嫌われてたみたいなんや」


 橋本は、ひとりでに話しはじめる。

 もちろん、この俺で良ければ話は聞いてあげる。それで、橋本が少しでも元気になれるのなら、ウサギ冥利に尽きるってもんだ。


「章子ちゃんっていうん。うちは親友やと思とったんやけど、章子ちゃん、本当は三上とふたりで夏祭り行きたかったみたいなん」


 やはり、勘違いしていたか。それも、かなり悪い解釈。


 そういえば、最初に夏祭りの話が出たあの朝。橋本は、玉城と三上が話しているところに割って入った。もしかしたら、そのときの仲良さそうなふたりが、今でも印象に残っているのかもしれない。


 玉城は、本性をさらけ出せる三上とだけ、夏祭りに行きたかったのだと……。


「うちがふたりの間に入ったから、良くなかったんかな。あそこで嫉妬して、章子ちゃんを夏祭りに誘わんかったら……章子ちゃんに嫌われることもなかったんやろか。せやよな。章子ちゃんからしてみれば、せっかく三上とふたりで夏祭りに行けるはずやったのに、うちが邪魔したから……」


 話していたら、悲しくなってきたのか、橋本の瞳がじわりと潤みはじめた。


「渡そうと思とったプレゼントも、落としてなくしてしもたし。いや、むしろ渡さんくて良かった。三上には申し訳ないけど」


 浴衣の袖で目元をぬぐう橋本。

 段々かわいそうで見ていられなくなってきた。三上、早く玉城を連れてこい。


「でもな、章子ちゃん、ほんまにええ人なんやで。去年、部活で揉めたときもうちを助けてくれたし。それまで、そんなにしゃべったことなかったのに……まぁ、章子ちゃんは誰にでも優しいんやけどな」


 橋本の腕から、ふっと力が抜けた。


「それを、うちは勘違いして、勝手に親友やと思って……」


 首を上げると、目が合った。


「章子ちゃんが、唯一、心を許せるんは、三上やのに」


 俺の頭にそっと手を添える橋本。ぽたぽた落ちる涙が、ウサギの白い毛皮を濡らして少し冷たい。


 俺は橋本の腕を前足でポンポンと叩いた。


「……励ましてくれとるん? ありがとうな」


 橋本は弱々しく笑って、俺の前足を人差し指と親指でつまんだ。


 小さな小さな握手みたいだ。


 クラスの連中で、橋本のこんな姿を知るやつはいないだろう。いつも陽気で人の輪の中心にいる橋本が、たったひとりの親友のことで、思い悩んで泣いているなんて。

 

 橋本、お前は友達思いのいいやつだよ。

 

 このウサギに向けた独り言。玉城にもそのまま聞かせてやりたいくらいだ。こんなにも強く思ってくれるのなら、玉城だって考えが変わるかもしれない。橋本にも心を許すかもしれない……。





「まったく、なんてところにいるんですか」





 と、その声は、突然やってきた。続けて、茂みをかき分け、枝を踏みしめる音。


「えっ!」


 橋本は慌てて立ち上がり、


「章子ちゃん、なんでここが……」


 振り返ったところで、言葉を失ってしまった。


「章子ちゃん、それって……」


 橋本の声がどんどんしぼんでいく。


 まるで抜け殻みたいな面持ちで、急に現れた玉城を見つめている。


「ああ、これ……」


 玉城は慎重な手つきで、前髪につけたヘアピンを撫でつけた。

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