第25話 トラウマ再び

 まずいな。せっかく三上と橋本が、玉城へのサプライズを考えているんだ。本人に聞かれては元も子もない。


「ちょっと、こっちこい」


「な、なんです!?」


 俺は素早く立ち上がると、玉城の手を引いた。このまま階段を降りて逃げよう。


「待ってください!」


 しかし、ちょうど廊下の角を曲がりかけたところで、玉城がその場に尻餅をつくように全体重を床に落とした。


「中に三上さんとかすみちゃんがいるんですよね?」


「いいから、ついてこい」


「待ってください……」


 こんなところで止まってくれるな。三上たちが出てきたら見つかってしまう。せめて、階段を降りきってしまいたい。俺は重すぎて動かないタイヤを引っ張るみたいに、玉城の手を取ったまま先に進もうとしたが……。


「クッソ、重い」


「失礼ですね……」


「お前がそうさせてるんだろ……」


「ダメですって……」


 俺たちはいつしか組体操の扇みたいに引っ張り合い、絶妙に保たれた均衡の中で、息を切らしながら言葉を交わす。


「三上さんと、かすみちゃんは、なにを話してたんですか?」


「さぁ、なにも聞こえなかったよ」


 ふたりが玉城のためにプレゼントを買おうとしていることは教えられない。


「扉に耳をつけて、興奮してたくせに、嘘ばっかりです」


 バッチリ見られていたぁ。これは恥ずかしい。


「俺が知ってるのは、最近、ふたりが仲良しだってことだけだよ」


「それくらい知ってます。かすみちゃんが言ってましたよ。三上さんがテニスの応援に来たって」


「そうかよ」


 なるほど。橋本が玉城に応援のことを報告したようだ。一緒に夏祭りに行くことになってるから当然か。


「なんで三上さんがかすみちゃんの応援に行ったのかは、わかりませんが。本人にきいてみても、不機嫌になるだけですし」


 そりゃ、俺の作戦の話なんてできないからな。で、不機嫌になるってことは、やっぱりまだ怒っているんだ。どうしろってんだ、三上よ。


 って、やべぇ!


 不意にぐらつく足下。俺は動揺して盛大に足を滑らせてしまった。


「おわっ!」


 綱引きで力尽きたみたいに、俺の身体は玉城の方にグイッと吸い寄せられる。

 軽く宙を舞う感覚は、ちょっとだけウサギのときと似ているかも。


「きゃっ」


 もちろん、そんなことをのんきに思っている場合ではない。 


 だって、行き着く先は……。


「あいたた……」


 やわらかい衝撃。やけに近い玉城の声。


 気づけば、目の前に制服のシャツがあった。柔軟剤とキャラメルが混ざったような香りが立ち上る。


 俺は玉城の膝に乗りながら、そのやわいお腹に顔を埋めていたのだ。


「ちょっと、伴くん……」


「あっ、わ、悪い!」


 あまりにも心地よくてそのまま眠ってしまいそうだったが、玉城の裏返った声で我に返り、音速で飛びすさって正座した。


「なんてことするんですか……」


「ごめん、足が滑った。許してくれ」


 あごの先まで真っ赤になっている玉城は、頭から湯気が出そう。

 怒っているのか、恥ずかしがっているのか。おそらく両方だと思うけど。性格の悪い玉城のことだ。この痴漢行為で俺の弱みを握ったとかなんとかで……ん? つい最近同じようなことあったな……。


「伴くんって、ウサギ飼ってたりします?」


「へ?」


 だから、そのなんの脈略もない質問に、俺は面食らった。


 なんでウサギ!?


「ウサギと同じにおいがしたので……」


 マジかよ。とうとう変身した際の獣臭さが人間状態の肌にも移ったというのか。いや、そんなことは起こりえないと思うんだが。


「いえ、それは失礼ですね。ごめんなさい、ちょっと言ってみただけです……なんとなく」


 なんだよ。焦らすなぁ……。


 ウサギと聞いて、一瞬バレたかと思ったぜ。


 そうこうしているうちに、空き教室の扉が音を立てて開いた。


「あっ、出てきましたね」


 しゃがみ込んでいた玉城が勢いよく立ち上がり、ふたりの元へ駆け寄ろうとする。俺はそのやわらかい手首をがっしり掴んで離さない。


「待て」


「離してください」


 振り切ろうと抵抗する玉城だったが、こちらに近づいてくるふたりの話し声を聞いて、その動きが一瞬にして固まった。


「章子ちゃんって、どんな顔しとるんやろ」


「ブサイクに決まってるわよ」


「そんなことない。絶対かわいい。あぁ、楽しみやな」


 話し声とともに、足音もこちらに迫ってくる。


「来てください」


「えっ、って、おい!」


 今度は玉城が俺を引っ張る番だった。

 まるで転がり落ちるかのように階段を降り、廊下を駆け抜ける玉城。

 俺の手を引くその手は、少し震えていた。

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