第26話 マジでいらん誤解

 俺と玉城はしばらく廊下を走り、薄暗い階段の傍までやってきた。


「なんだよ、急に全力疾走して」


 ふたりして息を切らし、硬い床に座り込む。尻が冷たい。


「おい、どうしたんだよ」


 隣に視線を移すも、玉城はだんまり。その顔は前髪に覆われ、表情が読めない。逃げるのを拒否したり、自分から逃げ出したり。理解に苦しむ乱れっぷり。とはいえ、大方は察しはつくけれど……。


「えっと、大丈夫?」


 玉城が俺の手をギュッと握って放さない。


「おーい、玉城?」


 手は一向に離される気配がない。正直、少々気まずい。

 俺がそのしっとりしたかわいらしい手を解こうとすると、むしろ強く握り返される。手の平がじんじん熱を帯び、手汗がじわじわと溢れてくる。逆に玉城の手は冷たかった。


 原因は、どう考えてもあの会話。


「保健室行くか?」


 俺はなんだか心配になってきて、玉城の真っ黒な前髪をのぞき込む。


「ふたりが……」


 すると、玉城は微かに声を上げた。唇が動いたことすらわからなかった。


「ふたりが、私の素顔を見ようとしています」


 その声は、低く、さざ波のように震えている。


「こわい……」


 ポツリとつぶやき、膝に顔を埋める玉城。


 クラスの中心で華やぐ優等生の風格もなければ、三上といるときのような我の強さもない。まるで別人のような、か弱い女の子だった。


 いや、俺はこの玉城を知っている。


 お泊まり会のとき、三上に素顔を見られそうになって泣いていた玉城。あとで冗談めかして誤魔化していたけれど、それが嘘であることは明白だった。


「……大丈夫」


 俺は玉城の手を両手で包んだ。


「あのふたりなら、大丈夫だから」


 こんな姿を見せられると、かわいそうになってきて、つい本当のことを言ってしまいそうになる。前髪の話をしていたのは、玉城の誕生日プレゼントに関係していたからだとわかれば、その不安もいくらかマシになるだろう。しかし……。


 玉城、しばしの我慢だ。俺から種明かしするのは、やはり違うと思う。今はこんな形でしか励ますことができない。


「あしたの夏祭り、絶対、行けよ」


 俺の声は聞こえているはずだが、玉城からの反応はない。


 ただ、手を握っているだけ。


 上階から微かに響いてくる生徒たちの笑い声。


 時間がゆっくりと流れ、俺たちの呼吸は静かに規則性を取り戻す。


「……なんで」


 やがて、玉城が口を開き、


「伴くんが、夏祭りのことを知ってるんですか」


 掠れた声が響いた。


「さぁな。でも、俺にはわかる。行けばいいことがある」


「なんで私が伴くんの言うことを信じないといけないんですか」


「俺のことはいい。三上と橋本を信じてやれってこと」


 膝の間に埋まっていた玉城の顔が、少しだけ浮上する。心なしか、手の震えが少しおさまっているような気がする。


「まぁ、いいです」


「深く考えるな。とにかく、あしたは行け」


「どうせ、ふたりが教室でなにか話しているのを聞いたんでしょう。ただ、その内容を私に知られると都合が悪いんですね」


「想像に任せるよ」


 段々といつも調子に戻ってきた玉城。


 でも、自分の誕生日を前に友達がコソコソしていたら、なんとなく察しがついてしまいそうな気もする。そこは気づいていないふりをしてくれているのか? 若干バレてしまった感はあるものの、それで玉城が少しでも元気を取り戻してくれたなら良かった。


「さて、戻りましょうか」


「もう落ち着いたか」


「はい。おかげさまで。付き合わせてごめんなさい」


「いいよ、別に」


 俺は腰を浮かせる玉城の手を握ったまま、ゆっくりと立ち上がり……。



「あっ」



 ちょうど階段を降りてきた三上と目が合った。


「あら、三上さん」


 程なくして玉城もそれに気づく。すでにいつもの余裕漂う口調だ。


「あんたら、なにしてんの」


 一方、三上は鋭く目を細める。その視線の先には、俺と玉城の固く繋がれた手。


「えっと……」


 俺は必死で言い訳を考えながら、玉城と手を繋ぐのをやめようとするが……。


「これは、その……」


 玉城が一向に手を離してくれない!


三上の登場で、俺はすぐさま手を解こうとしたのに、玉城はむしろ俺の手を強く握って離さない。今だって、俺は手をごにょごにょと動かし、抵抗を続けているというのに、玉城の意外な握力の前に制圧されている。


 手汗がすごい。それから、全身を駆けめぐる冷や汗も。


「三上さんは知らなくてもいいことです」


 玉城、この状況で煽るな!


「そ、そう……」


 三上のこめかみのあたりが、ピクピクと脈打っている。やばいな。


「……いや、三上、これには……」


「うっさい!」


 三上は俺の言葉を遮るように喚き、ツーンと視線をそらすと、廊下の向こうへと消えていった。


 遠くで「ガン!」と壁を叩く音が響く。


「お前のせいで、変な誤解されたじゃねぇか」


「伴くんがふたりの秘密を教えてくれないので、仕返しです」


 玉城は、三上の姿が見えなくなった瞬間、俺の手を開放した。性格わるっ。


「すごい手汗ですね」


 嫌そうに手をパタパタさせる玉城。


「自分でやっといて文句を言うな」


「はい。でも、三上さんのおもしろい反応が見れたので、良しとします」


 完全にいつもの玉城である。いや、正確には三上と一緒にいるときの玉城だ。まったく、自分が楽しむために俺を巻き込みやがって……。


「まぁ、それはさておき、玉城が元気になって良かったよ。逆に俺は三上にマジでいらん誤解をされちまったけどな」


 俺はため息をつき、先行して階段を昇る。


「伴くん。安心してください」


 背中には、玉城がついてくる気配。


「あしたには、誤解を解いておきますよ」


「ほんとかよ」


「ええ。悪いようにはしませんから」


「じゃあ……」


 俺は階段の途中で振り返り、


「頼むぞ」


 踊り場で足を止めた玉城を見据えた。


「はい。あしたまでの辛抱です」


 縦長の窓から差し込む日差しが、真っ黒な前髪に覆われた顔を照らす。その薄い唇が、少しだけ笑っているように見えた。


 玉城のやつ、きっちり仕返ししてきやがって。

 

 あすが正念場。

 玉城の不安、俺と三上の誤解。全部晴れてなくなれ!

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