第21話 声援(罵声)

 トイレで変身を済ませ、再び元の場所に戻ると、三上は真剣な面持ちで食い入るようにコートを見つめていた。さすがに戦っているのが橋本だと気づいたかな。


「なによ、あんた。変身なんかして」


「暑かったんだよ。これなら一応は全裸だから」


 思いっきり嘘をついた。本当はもふもふの毛皮に熱がこもりまくっている。


「それはいいとして、びっくりよ。橋本かすみが出てるなんてさ」


 コートを見ると、最初こちら側にいた橋本は向かい側に移動していた。


「ほんとだ。普段と全然違うからわかんなかったぜ」


 白々しいにも程がある。

 偶然立ち止まったコートで橋本が試合をしていたなんて、ちょっと都合が良すぎる気もするけど、三上は俺の作戦だと気づいていないようだった。


「こっちの応援、誰もいないのね」


「そういえば、そうだな」


 試合はもう中盤だというのに、こちら側の応援は、俺と三上のふたりしかいない。俺たちがこうして控えめながらも会話できてしまうのは、そのためだ。

 

 一方、向かい側の応援席には、相手選手と同じオレンジのウェアが数人並んで、「オッケー」とか「ドンマイ」とか声援を送っている。


「うちの高校は、あっちが本命みたいね」


 つまらなさそうにつぶやく三上は、俺たちの来た道を指さす。公園の入り口に1番近いコートには、たくさんの人だかりができていた。おそらく、うちの上位陣と他校の強いペアの試合が大詰めなのだろう。


「それにしたって、こっちの応援に誰もいないのは気の毒だな」


「ふん、あいつが普段から調子に乗ってるからよ」


 とか言いつつ、ここで橋本を見守り続けている三上。


「お前、ちょっとは声援とか送ってやれよ」


「はぁ? なんで私が」


「相手の声援に押されて、完全にアウェイ状態になってるじゃねぇか。見たところ、一方的に負けてるみたいだし」


「自業自得よ。あんなムカつくやつ」


「橋本だって頑張ってるんだ。なんとかして盛り上げてやろうぜ」


「だったら、あんたが応援しなさいよ……」


 本当は気になっているくせに、意地っ張りな三上。

 しかし、これは墓穴を掘った。言質は取ったぜ。


「じゃあ、遠慮なく。俺が声援を送ってやるよ」


「えっ!?」


 これまで、真っ直ぐコートを見つめていた三上が、ギョッとして俺を見下ろす。

 が、もう遅い。


 渾身の裏声が炸裂する。


「橋本ほおぉ! 頑張れぇぇぇ!」


 超絶美麗ボイス降臨!


「あぁ……」


 あんぐりと口を開け、呆然と立ち尽くす三上。


「このゲームいける! 大丈夫、大丈夫」


 俺の声帯が震える。


 橋本はボールをポンポンつく手を止めて、顔を上げる始末。サンバイザーの下の表情までは見えないが、きっと三上からの声援だと思っているに違いない。


「1本取ってこう!」


 俺は相手チームのギャラリーを真似して、次々と声援を繰り出していく。これで、橋本の三上に対する好感度も爆上がりだ。


 審判のコールのあと、橋本はボールを高く上げ、ラケットを鋭く振り抜く。

ボールは「パシッ」と音を立てて、ネットに阻まれる。


「ドンマイ! ドンマイ!」


「黙りなさい……」


「切り替えていこう!」


 橋本が2回目の緩いサーブを打つ。今度は入った。相手のレシーブがあってからは、後衛同士で打ち合いが続く。高速で飛び交う白いボール。俺も三上も息を呑んでその行方を見守る。


 そして、相手の逆をついた橋本のショットが決まり、ボールがコートの後ろを転々とした。橋本とペアが軽くハイタッチする中、相手サイドの努めて明るい励ましの掛け声が溢れる。俺も負けじと、声帯を開放する。


「ナイスショットォォォ!」


「黙れっつってんのよっ」


 ところが、小声で叫ぶ三上に首根っこを後ろから鷲掴みにされた。


「なんだよ。お前、俺に応援しろって言ったじゃねぇか」


「調子乗ってると、殺すわよ」


「はい」


 三上は俺を掴む手に力を込める。さっきまで裏声ばかり出していた上に、気道が圧迫され、自分でも情けないくらい細く萎みきった声が出た。


「わかれば、いいのよ」


「一応かわいい動物なんだから、扱いには気をつけてくれよ」


「あんたが私を怒らせるからいけないんでしょうが」


「確かに、そのとおりだけどさぁ」


 解放された俺は、後ろ足で首をさすりながら三上に背を向ける。やはり、ウサギ姿で調子に乗るのはよくないな。毎度のことながら、命の危機を感じる。


「あんた! 無様な試合してんじゃないわよ!」


 すると、傍らで突然、澄み切った声が響いた。


「しっかりしなさいよ、バカ!」


 首を上げると、三上が両手をメガホンみたいにして叫んでいた。

 なんか罵倒みたいな応援だな。


「お前……」


 しかし、俺は帽子の下でちょっとだけ頬を紅潮させている三上を見つめずにはいられなかった。なにしろ、あれだけ嫌っていた橋本に声援を送っているのだ。内容はともかく、これは大きすぎる進歩といえる。


「勘違いしないで」


 しかし、三上はバツが悪そうに目を細めながら続ける。


「私の声があんな汚い声だと思われるのが嫌なの」


「汚い声って……」


「自分の声で上書きしてやるわ」


 やめてくれよ。自分で両声類ボイスだと思ってたのが恥ずかしいだろ。 


「橋本かすみ! なにやってんのよ! このヘタクソ! あんた、そのままじゃ、私にダサい姿を晒して終わりよ」


 三上の方は絶好調だ。エンジンがかかってきたのか罵声にキレが出てきた。なんでもっと普通に応援できないんだろう。


「それでも、金玉ついてんの!? このザコ!」


「ついてへんわ! ボケ!」


 すると、今度は向こうのコートにいた橋本が吠えた。止らない三上の暴言にしびれを切らしたのだろう。あきらかに、三上を見据えながら地団駄を踏んでいる。


「誰がボケよ! このバカ!」


「バカはそっちや! こんなとこでみっともない声出して!」


「あんたこそみっともない! 試合に集中しなさいよ!」


「お前のせいで試合もクソもあるか! はよ帰れや!」


「あんたが負けるところをしっかり見てやるわ」


「うちは勝つ!」


「じゃあ、頑張れば?」


「よう見とけアホ!」


 すさまじい罵詈雑言の嵐。相手チーム、味方のペア、ドン引き。

 応援席にいる口汚い女と、コート上にいる柄の悪い関西弁女に挟まれた相手選手がとくに気の毒。両者の汚いバトルを前に、どうしていいかわからずに、おろおろとその場で視線をさまよわせている。


「おい、三上、落ち着け」


俺は小声で三上をなだめる。


こんなんじゃ、黙って突っ立ていた方がマシだったか。橋本の好感度を上げるはずが、下手したら関係がますます悪化するまである。三上をうまく煽って声援を引き出したはいいけど、やはり時期尚早だったか。


「あんた、そこまで言うなら絶対勝ちなさいよ!」


「言われなくても、そうするわ」


 三上の一言を最後に、橋本は瞳の奥に炎を宿しながら、試合に戻っていった。


 まぁ、なんだかんだで、最終的にはそれなりの叱咤激励になったような気もしなくはない。怒った橋本が、そのエネルギーを相手にぶつけてくれることを祈る。

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