第22話 三上検定合格者

 結局、橋本ペアは試合に勝った。

 実に華麗な逆転劇。殺気を帯びた橋本に、相手はすっかりひるんでしまい、勢いそのままに試合はひっくり返ってしまった。完全に三上のせいだ。相手の不運には同情するぜ。まさか本当の敵がコート外にいたなんて。

 

「三上!」


 そして、驚くことに、あいさつを終えた橋本が、応援席まで走ってきた。


「ちょっと待っとって。その坂登ったとこにベンチとかあるから」


 まだ息も絶え絶えの橋本は、フェンス越しにそれだけをまくし立てると、またコートの方へと駆けていった。


 俺と三上は、思わず顔を見合わせる。


「なに? あいつ……」


 橋本の真意はいかに。


俺たちは訳がわからないまま、とりあえず坂を登ることにした。



橋本の言ったとおり、しばらく歩くと、遊歩道の両端にベンチがいくつか出てきた。すでにテニスの試合会場という雰囲気はなくなり、緑溢れるる昼下がりの静かな公園といったところだ。


 周囲には、散歩する親子連れや老夫婦がチラホラ。今しがた間近で感じていた試合の喧騒は遠く離れ、のんびりとした時間が流れる。


「待たせたな」


「遅い」


 待つこと約5分。

 

 走って現れた橋本に対して、三上は髪をくるくるいじってみせる。


「次の試合がはじまるまでや。といっても、次は相手が強すぎるで勝てへんけどな」


 橋本は三上の隣にドカッと腰を下ろし、サンバイザーを脱いで、手に持ったタオルで顔を拭った。かなり濃い制汗剤の香りが湧き立つ。それから、ふと視線を三上の膝の上に落とした。


「ウサギとお出掛け?」


「悪い?」


「三上。そのウサギ、ほんま好きやんなぁ」


「あんた、なに言ってんの!? そんなわけないでしょっ!」


 お前こそなにを慌ててんだよ。橋本はあくまでウサギのことを言ったんだ。決して、伴修治が好きって意味ではないぞ。いい加減慣れろよ……。


 橋本は、そんな三上の狼狽っぷりにポカンとしていたけど、すぐ真顔に戻った。


「なんで、今日来てくれたん? こないだあんなに喧嘩したのに」


「偶然、通りかかっただけよ」


「嘘やん。だって、ちゃんとうちの応援してくれたし」


「あんなの応援じゃないって」


「もしかして、うちと仲直りするためやったりして?」


 上目遣いで三上の顔をのぞき込む橋本。まさか試合会場に三上を連れてきただけで、ここまで深読みしてくれるとは。


「……違うわよ。っていうか、ジロジロ見んな」


 この前とは打って変わって優しい橋本に、三上はタジタジ。もちろん、仲直りのためにここへ来たわけじゃないけど、その照れて赤くなる態度は、なんだか図星を突かれたように見えてしまうわけで……。


「あはは!」


「笑うな!」


「いや、うち、三上のこと誤解しとったわ」


「な、なによ。気持ち悪い」


 橋本は口元に手を当てて、クスクスと笑っている。

 もうこうなってくると、橋本の目には「仲直りのために試合の応援に来た三上が、それを指摘されて照れている」ようにしか映らないのだ。従って、三上のトゲトゲした言動全部が、ただの照れ隠しにしか思えなくなる。まぁ、それはある意味、三上の本質を捉えているんだけどな。


「はあぁ、おかしぃ。なぁ、三上」


 ひとしきり笑って、ため息をついた橋本は、両手を上げて伸びをし、


「ありがとうな」


 ポツリと言った。


「……うん」


 ストレートに感謝を伝えられ、本気で照れてしまったであろう三上は、しゅんと小さくなって俯いた。


「さっきの試合、三上の応援がなかったら負けとった」


「あんなの、応援じゃないし」


「ほんま素直とちゃうなぁ。少なくとも、うちは応援やと思ったで。言葉は汚かったけど、そのおかげで闘志を取り戻せた」


「あっそ、良かったわね」


「実はさぁ、うち、高校入ってから、公式試合で勝ったんはじめてなんや」


「はぁ? あんた、特待生じゃないの?」


 これには俺も驚いた。橋本は県外から選ばれた実力者ではないのか。


「確かに中学までは、そこそこ強かったで。やけど、うちの高校、みんな上手すぎるんやもん」


「確かに、小学生からテニスのチームがあるけど」


「やで、高校入ってから、すっかり自信なくしてしもて、正直、部活もサボり気味やった」


「どおりで、見た目が色気付いたギャルなわけね」


「それは余計なお世話や。ほんで、うち、いつの間にか部内でも1番弱なってしもたんや。1年生も上手いからな」


「情けないわね」


「ほんまにな。結局、試合も一生懸命やっとるつもりなんやけど、なんか気持ちのどこかに遠慮があってさ。やで、今日だって最初は全然だめやった。誰も応援に来てくれへんし、ペアの子と一緒に腐っとったもん」


 普段はクラスの中心で輝いている橋本が、部活では意外なほどに脆かった。そのことに驚いているのか、三上もいつしか真剣な目をして聞き役に徹している。


「でも、三上が応援してくれて、絶対勝ったるって思って、そしたら、勝てた」


「ふーん。完全に私のおかげね。」


「久しぶりに本気でテニスした感じで、すごく楽しかった。チームのみんなも、ちょっと声かけてくれたし」


「まぁ、私に感謝することね」


「もう感謝しとるって。でも、うち、応援席におるんが三上やってわからんだわ。私服やし帽子で顔見えへんし、なんか声も最初の方は野太かったし」


 ギクッ! そんなに変だったのか。気づけば、三上が視線だけで俺を見下ろしている。静かに責任を追求されている。


「最初のは、たぶん別人よ。あんたからは見えなかったと思うけど、通りすがりの変態ジジイがいたのよ」


 なんだよ変態ジジイって。いや、変態は合ってるか。


「へぇ……あっ、そうか! それで、三上、あんなにでかい声出して、その変態ジジイを追い払ってくれたんか!」


 橋本、お前どんだけポジティブなんだよ。


「三上って、ほんまは、めっちゃええやつやったんやな」


「そんなことないって……」


 いじけたようにそっぽを向く三上だったけど、その横顔がむずむずと動いている。


「そっか、だから、章子ちゃんも三上と仲がいいんやな」


「なんで、あいつの話が出てくんのよ」


「いや、この前ふたりで話してるの見てさ、なんかすごく仲良さそうで、うち、『なんで三上なんかと』って嫉妬して、ちょっと感じ悪かったと思うんや」


「確かに、嫌な感じだったわね」


「やろ? だって、章子ちゃんの親友はうちのはずやのに、三上とかいうクソとふたりきりで話しとるんやもん」


「人をクソ呼ばわりしないでくれる?」


「だから、この前は、はぶったけどさ……良かったら、章子ちゃんと三上とうちの3人で、夏祭り一緒に行かへん?」


 キタアァ! 橋本は三上の顔色をうかがうみたく慎重に誘いを切り出した。まさに俺が引き出したかった台詞。完璧なシナリオ。あれ? 俺、もしかして、縁結びウサギとしての勘が冴え渡ってきてる?


 どうだ、三上? お前も待ち望んでいたであろう夏祭りの誘い。あとは首を縦に振れば、万事がうまくいくはず……。


「ま、まぁ、考えてやらなくはないけど……」


 なんでだよ! 無難にうなずいとけよっ。そこで変なツンを出すな。


「オッケーってことやな」


「ちょっ、ちょっと」


 橋本おぉぉ……お前、神やな。

 橋本は微笑みながら、「わかっとる、わかっとる」と三上の肩を叩いている。これは三上検定合格間違いなし。完全に三上の言動を理解した上で、楽しんでさえいる。


「あんた、そろそろ試合に行った方がいいんじゃないの?」


 ニヤニヤしながら顔をのぞきこんでくる橋本に耐えきれず、三上が話を逸らす。


「あっ、やば。ほんまや。行かな」


 橋本はサンバイザーを被って、勢いよく立ち上がった。


「ほんなら、ありがとうな」


「……う、うん」


 軽く手を上げた橋本は、あっという間に坂を下っていく。三上の小さすぎる返事は届かなかっただろう。


「……うふふ」


 俺が膝の上にいることも忘れて、口に手を当て微笑む三上。


「良かったな、三上」


 俺が小さく声をかけてやると、三上はビクッと身体を震わせた。


「うるさい」


 三上はジト目で俺を睨んだけど、そっとため息をついて、


「……まぁ、良かったかもしれないけど」


 ぷつりと線が切れたみたいに、やわらかな表情を浮かべた。

 そのらしくない澄んだ顔に、俺の胸はまたしてもドキっと音を立て、耳から煙りが出そうになるのだった。

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