第20話 セッティング完了
カフェをあとにした俺たちは、駅から少し歩き、テニスの試合会場へと向かった。
「どこ行くのよ……」
「着いてからのお楽しみ」
「あっそぉ」
三上は、暑さのせいか、すっかり元気をなくし、折り畳みの日傘を差して、ダラダラと俺の背中についてくる。俺はといえば、もちろん暑さに参っているものの、目前に控えた作戦遂行のことで気が張っているから、割と元気だ。
「日焼けしそう」
「なんか、悪いな」
「謝るくらいなら、連れてくなっつーの」
こんな風に、文句を垂れながらも素直についてくるあたり、三上はこれでも機嫌がいいのかもしれない。スイーツって偉大。
「大丈夫か? 向こうに着いたらジュースでも買ってやるよ」
「やったぁ……」
三上はたまご色のハンカチで、その甘そうな汗をぬぐう。ほんのり赤いリンゴみたいな顔が、帽子の陰の下で少しだけ笑っていた。
「さて、そろそろ目的地だ」
道が坂を帯びてくると、周囲は木々に囲まれ、澄んだ空気と草の香りが流れはじめた。いたるところに緑溢れる森林公園の一角である。
そして、近くからポコンという鋭くも間抜けな音と、ざわめきが聞こえてくる。
「……ん? テニス?」
「正解」
「なんでまた?」
「いや。ちょうど今日、うちの学校が出てるから、ちょっと見てみようと思って」
「ふーん。あんた、そういうの興味あるんだ」
ボールを打つ音はどんどん大きくなり、次第に歓声も響きだした。原色のテニスウェアや体操服に身を包んだ選手たちとも、たくさんすれ違うようになってきた。人工芝のコートはもう目の前だ。
「県予選ってことは、まだ最初の方じゃない」
「そうだな。だから、ここでやってんだろ」
我が校のテニス部は強い。橋本のような特待生を取るくらいなのだ。インターハイ出場は当たり前である。
「まったく、知り合いが出てるわけでもないのに、なんで、こんな暑い思いしてまで、テニスを観戦しなきゃならないの」
「まぁまぁ、そう言わずに」
「おもしろそうではあるけど……普通、全国大会とかもっと大きな試合の応援に行くもんじゃないの?」
そうは言いつつも、三上は微かに首を伸ばして前方を見やる。
緑色のフェンスに囲まれたコートが現れた。
「さ、まずは、飲み物ね」
「だな、俺も喉渇いた」
俺たちは、コート傍の自販機でちょっと高めのスポーツドリンクを買い、歩きながら栓を開けた。火照った身体に、冷たい水が激流のように浸透してくる。
「あぁぁ、生き返る」
隣に視線を移すと、三上は目をつぶり、両手でペットボトルを持ちながら、コクコクと喉を鳴らしている。
「夏の冷たい飲み物って、こうやってあつい中だととくにおいしく感じるのよねぇ」
「わかる」
水滴だらけのペットボトルを頬に当てる三上。その足取りは、さっきより軽い。森林効果で涼しくなったこともあって、少しは元気を取り戻したようだ。
「あ、そうそう。ここにしようぜ」
「別に、どこでも」
俺はコートを走る橋本の金髪頭を見つけて立ち止まった。
ほかのテニス部員から教えてもらったスケジュールどおり。試合はちょうどはじまったところだ。橋本は真っ赤なウェアに黒いズボン、白いサンバイザーを身につけている。その斜め前には、同じ格好をしたペアの選手。名前を見た限り、俺の知らない生徒だ。
緑のコートを滑るように移動し、ラケットを鋭く振りかざす橋本。バコンという大きな打球音とともに、「はい!」という甲高いかけ声を上げている。普段のチャラくてヘラヘラした様子とは似ても似つかないピリピリした雰囲気で、背中のゼッケンに「橋本」となかったら、別人かと疑ってしまったかもしれない。
「俺、トイレ行ってくるから、ここで試合でも見ててくれ」
「はいはい」
幸い、ここは木陰になっていて、観戦するにはもってこいだ。これで、あとは橋本が三上の姿に気づくだけ。橋本は「三上が一人でわざわざ応援に来た」と思うに違いない。
なんだか、戻ってくるのが楽しみだ。
俺は三上が橋本に気づく前に、そそくさと坂を下りた。
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