第8話 鉄壁の前髪

「その質問、前にも何回かこたえましたよね」


 玉城がため息をついた。

 さすが三上だ。そんなききづらいことを平然と……もちろん、玉城の前髪は俺も気になるところではあるけれど。


「だって嘘くさいんだもん。美人を隠してるなんて」


 マジで!?


「嘘じゃないです。美人すぎて男子が寄ってこないよう、こうして前髪で素顔を隠してるんです」


 それは是非とも、素顔を拝んでみたい。


「普通はブサイクだから隠すのよ」


「ブサイクだったら、逆に隠してませんよ」


「だったら、顔見せなさいよ」


「嫌です」


「じゃあ、やっぱりブサイクなのね」


「違いますよ。私は美人です」


「なんか、怪しい」


 あくまでも、自分のことを美人だと言い張る玉城。ちょっとおもしろい。

 その隣で、三上は、あごに手を添えている。そして、ベッドの上にいる俺を見て、いかにも悪だくみをしてそうな笑みを浮かべた。


「見せてくれないなら、この際力ずくでも構わないわ」


「乱暴はやめてください」


「ウサギ! 玉城章子の前髪に突撃!」


 まるで小学生男子だな。

 三上はドヤ顔で俺に向かって命令する。


「ウサギさんに、そんなこと言っても無理ですよ」


「残念でしたぁ。このウサギは人間の言葉がわかるの」


 邪悪な笑顔で勝ち誇ったように言い張る三上。かなりうざい。


「しかも、私の言うことならなんでもきくわ」


 完全に調子乗ってやがる。あんまり余計なことは言ってくれるな。口を滑らせて、俺の正体がバレたらどうする。


「さぁ、行くのよ、ウサギ!」


 本当にやるのか……。

 楽しそうに笑っている三上の目が「行け!」と言っている。

 しょうがない。俺の中でこのふたりが実は親友だという説が浮上しているので、じゃれ合いだと思って協力してやるとするか。玉城の素顔が気になるのも事実だし。

 

 上体を起こし、リラックスした姿勢から、まるで狩をするかのような体勢をとる。ウサギは草食だけどな。

 

 目指すは玉城の前髪。

 

 俺は、その黒く艶めく鉄壁に向かって、素早くジャンプした。


「キャッ」


 しかし、玉城は思いのほかいい反応をみせ、俺の突進を腕で防いだ。


「やめてください!」


「まだまだよ。今度は私も加勢するわ。ウサギ! 体当たり!」


 俺はポ○モンかっ。まったく、ウサギ使いが荒いことで。

 半ば呆れ気味の俺だったけど、命令に背くわけにもいかず、玉城への2発目の攻撃を試みようと、脚に力を入れたそのとき、


「うっ、うっ……」


 突然、玉城がテーブルに突っ伏して嗚咽を漏らした。


「えっ!?」


「ごめんなさい。許してください」


 玉城の震える声が呪文のように響く。

 当然、俺は動くのをやめたし、三上にいたっては、戸惑いを隠せず、部屋の真ん中で棒立ちになっている。


「やめてください。素顔は……許して……」


 玉城はおいおい泣きながら、弱々しく「ごめんなさい」と繰り返す。


「わかった。わかったから」


「……グス」


「ごめん。もうしないから」


「……ん」


 あの三上が、泣き続ける玉城に寄り添い、背中をさすっている。その顔には、不安の色がにじみでている


「あんたがそんなに嫌がるなんて知らなかったのよ。ごめん」


「……グス」


 いつまでも、鼻をすする玉城。


 三上が泣きそうな顔で俺を見てきた。そんな顔をするなよ。なんだか、こっちまで調子が狂う。三上のやつ、表面上は強気を気取っているけど、本当は優しいやつのかもしれない。思いがけず玉城を泣かせてしまってこんなに焦るなんて……。


「ねぇ、ごめん。私が悪かったわ」


 三上は今にも泣きだしそう。声に余裕がなくなり、目がうるうるしている。まるで、喧嘩相手を泣かせてしまった小学生みたい。


「……ぷぷっ」


 ところが、玉城はテーブルに突っ伏したまま肩を震わせ、微かに笑い声をあげた。

 そして、顔をあげ、傍に佇む三上を見て、


「ぶっ……なんですか、その顔は!」

 

 今度は盛大に吹き出した。


「泣いてるじゃないですか。そんなに、私のことが心配だったんですか?」


「なっ、泣いてないわよ! あんたこそ、号泣してたじゃないの」


「泣いてないです。嘘泣きです」


「こ、この狐女!」


「なんとでも言ってください。おかげで三上さんの貴重な泣き顔が見れましたので」


「だから、泣いてないってば!」


 顔を真っ赤にして喚き散らす三上バーサス「ふふふ」と嫌味な笑い声をあげる玉城。また、はじまった。俺は避難も兼ねて、床からベッドに飛び乗った。


「私、ちょっと、おしっこに行ってきますね」


「ダメ。そのまま漏らしたらいいのよ」


「部屋を出て右でしたね。行ってきます」


「あー、こらーっ」


 玉城が部屋を出ていったことで、ふたりの言い合いはとりあえず収束した。


「なんなのよ。ムカつくわ」

 

 三上はブツブツ言いながら目尻をぬぐい、ベッドにゴロンと横になる。

 ちょうど、俺の目の前に三上の背中がきた。


「あいつさ……」


 独り言のようにも聞こえるが、これは俺に対して話しかけている。


「思いっきり、涙の跡ついてた」


「そうだな」


 やはり、三上も気づいていたか。

 玉城は嘘泣きだと言って誤魔化したつもりなのかもしれないけど、あの切羽詰まった泣き声が演技だとは思えない。実際、顔を上げた玉城の頰は、涙の筋で濡れていた。だから、三上もこれ以上は玉城の素顔を狙わなかったのだろう。


「ねぇ。伴修治」


 三上が寝返りを打つ。

 目が合う。


「なんだよ?」


 こうしてみると、憂いを帯びた表情でウサギに話しかける三上が、妙に健気な存在として映るから不思議だ。


「あんたも、今日は泊まっていきなさいよ。途中で飼ってるウサギがいなくなったら、あいつに変に思われるから」


「言われなくても、そうするよ。女子のお泊まり会に同席できる貴重な機会だし」


「変態ね。お風呂だけは、絶対にのぞかせないから。あ、でも、あんた、おうちの人に連絡しないといけないわね」


 そう言って、三上は横になったそのままの体勢で、テーブルに置いたスマホへと手を伸ばした。


「電話番号言って。あいつがいない間に済ますわよ」


 こいつ、やっぱり思っていたより悪いやつではないのかもしれない。この状況で、俺の家の心配ができるなんて。極めて良心的じゃねぇか。


「俺、家から勘当されてるからさ。ひと晩くらい帰らなくても全然問題なしだ」


「でも、おうちの人、心配するわよ?」


「しねぇよ。大丈夫だから」


「そう……」


 三上はこれ以上、俺のことは尋ねてこなかった。昼間に比べると随分しおらしい。さっきから続く玉城とのやり取りで、ちょっと疲れたのか。普段、人と会話することもあまりなさそうだし。


「俺の心配なんかしてないで、お前は玉城と仲良くなることだけ考えてろよ」


「うっ……」


 眉をピクリと反応させた三上だったけど、「別に心配なんかしてないし」とつぶやき、再び寝返りをうって俺に背中を向けた。


 部屋に漂う久しぶりの沈黙。

 降りしきる雨と、三上のスースーという呼吸音がひときわ大きくなった気がした。

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