第2話 社会的な死を懸けた1分

「あっ、いた! ウサギ!」


 大きな瞳をキラキラさせる三上だった。

 

 やはり、見られていたか。危なかった。


「やっぱり、見間違いじゃなかったのねぇ」


 しかし、三上はドアを開けた勢いそのままで、俺に向かって突進してきた。

 

 なに!? 

 

 三上の登場に戸惑っていた俺は、ほとんど硬直状態。俺は足の筋肉に力を入れたが、時すでに遅し。


「ウサギ、かわいい!」


 俺の身体はいともたやすく持ち上がった。


「ふわっふわ」


 たまらずもがく。


「こらこら、暴れないの」


 くそおぉ……意外としっかり抱かれてしまって抜け出せない。


 俺の尻と背中は、三上の少しだけ湿った白い腕にまかれ、目の前には、豊満な2つの丸いふくらみ。制服の白いシャツが、その容積に押されてパリっと張り詰めている……。


 いや、待てよ。

 俺はジタバタするのをやめた。これは、むしろチャンスでは?


「あら? どうしたの?」


 急に大人しくなった俺の顔を、三上がそっとのぞき込む。


 まん丸で黒目がちな瞳や、少し上気したもち肌がゼロ距離にある。俺が少しでも鼻先を伸ばせば、そのこぢんまりした鼻や唇にもふれそうだ。


 微かにミルクティーみたいな香りもする。


 正直、ドキドキが抑えられなかった。


「キャッ!」


 結論。俺は、三上の胸に顔を埋めることにした。

 ウサギのヒゲがビンビン反応し、水風船のようなやわらかい感触が、ポリエステルの乾いた布ごしに伝わってくる。


「なんか、急に懐いたわね」


 その上、三上は俺の頭をよしよしと撫でている。細くしなやかなその指で。

 

 しかも、この胸……。

 太陽のにおいがする!

 

 澄み渡る春空の下で丸1日干した布団のような、あたたかくてどこか懐かしいあのにおい。


 さっき感じたミルクティーはこれに違いない。


 あかん。気持ち良すぎる。


 どうやら、またしても、変身能力の有効活用法を見つけてしまった。これは、のぞきとは比べものにならないくらいに魅力的。堂々と女子に抱かれるなんて……。


「っていうか、ほんと、かわいい!」


 そんな俺の変態的思考を知らない三上は、のんきにウサギを胸に押しつける。俺の頭を撫でる手にも、わずかだけど力が入っている。まぁ、ウサギ姿の俺は、かわいすぎるから無理もない。


「ああっ、かわいすぎる」


 三上の手に、どんどん力が入っていく。すごい握力で、小さな頭蓋骨が軋むほど……。

 

 いやいや、ちょっと待て。

 

 俺は、お山から鼻先を離し、三上の顔を見上げた。まるで腕の中のウサギが見えていないかのような恍惚の表情を浮かべている。


「ウサギ大好き!」


 そうしている間にも、三上が俺を抱きしめる力もどんどん強くなる。


 バカ野郎! あきらかに締めすぎなんだよ! 


 かわいいのは、わかるけど、俺は小動物だ! 力加減を考えろっ。

 

 次第に圧迫されるウサギの脆い内蔵。そのうち肛門から飛び出すんじゃ……。


「最高……」


 俺の心の声など、届くはずもなく。三上は悶絶している。

 

 やばい。苦しい! は、早く離せ。


 気道がふさがって息ができない。なんとか抵抗しようと、前足で三上の腕を叩いてみるも反応なし。

 

 まずい。このままでは、三上の前で元の姿に戻ってしまう。


 つまりは、全裸!


 そう。変身はあくまで身体だけ。俺の制服は今頃、体育館下トイレの1番奥の個室で、漬け物石のごとく便器の蓋に鎮座している。


 まったく、とんだ変態だぜ。


 しかも、変身能力までバレる可能性もある。これは伴家の人間としても大失態。もはや、破門は免れない。


 しかし、限界は、容赦なく訪れる。


 ダメだ。俺はもう……。


 さようなら。みんな……。

 



 ボロン!




 

 俺の意識が切り替わると同時に、肺の中の空気は確保され、苦痛から解放される。

 俺は目をつぶり、生命の息吹をしみじみと感じる。

 

 はぁ、助かったぁ……。

 

 なんて、思うのもつかの間。クラスメイトに肢体を晒してしまった事実と向き合わなければならない。正直、ずっと目をつぶっていたいところだが……。

 

 俺はゆっくりとまぶたをあげた。


「あっ」


「え……」


 表情を亡くした三上が目の前に佇んでいた。


 硬直した腕。曲がった肘と手の形が、さっきまでウサギを抱いていたことを証明している。しかし、そこにウサギの姿はない。

 

 その代わりといってはなんだけど……。

 

 色を失った三上の瞳に、全裸の男が映っている。


 俺だ。悲しいくらいに変態だ。


 瞳の中の俺は、切ないまなざしで、三上を見つめていた。まさか、お前の強烈な抱擁に殺されるなんてな。


 「い、嫌……」

 

 三上の顔が、みるみるうちに青ざめていき、その震える唇が、わなわなと開かれる。なんだか大声で叫びそうな感じ。そしたら人が来て、俺は終わり。


 ごめんなさい。お父さん、お母さん、それから、妹。無能なだけでは飽き足らず、こんな失態まで。


 変態高校生として追求されたのち、人体解剖される。

 そんな未来が見えかけたが……。


「いや、まだだ……」


 俺の身体は、本能のままに動いた。

 

 まだ間に合う! 諦めるには早い!

 

 一瞬にして三上の背後に回り、両手を拘束した。それはあきらかに自分の限界を突破した動きで、まさに火事場の馬鹿力というやつだった。


「すまん、三上。許せ」


「んんっ!? んっ!」


 激しく抵抗する三上の口をふさぎ、その華奢な背中を自分の身体に密着させる。三上のさらさらなおさげ髪が、俺の胸をくすぐり、ゾワゾワする。


 そういえば、むかし読んだ漫画にこんなシーンがあったな。着替え中で全裸の主人公が、誤って部屋に入ってきたヒロインをなぜか拘束するみたいな。

 

 しかし、俺が三上を拘束するのには、きちんとした理由がある。


 この状況。切り抜けるための手段は1つ。

 

 もう一度ウサギに変身するのだ。

 

 この部屋には、俺と三上しかいないわけで、三上が「このウサギは伴修治だ!」と説明したところで信じるやつはいない。誰も女子更衣室内で全裸の伴修治を見ていないのだから、ウサギと結びつくはずがない。

 

 一方で、問題点も1つ。

 

 変身能力は、身体の構造上、連続では使えない。人間に戻った直後にウサギに変身するためには、最低でも一分程度のインターバルが必要となる。

 

 だから、俺はこうして三上の動きを封じて、時間稼ぎをしている。

 

 1分だ。1分耐えればウサギになれる。

 

 永遠にも思える1分間。

 

 俺は絶望の淵に立たされながら、暴れる三上を静かに拘束し続けた。

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