第12話 満面の笑み
それから、玉城が完全に寝付いたところで、三上に「出てけ」と言われ、俺は三上宅を追い出された。
結局、ウサギに戻ることはできず、昨日のパンツを履き、制服のズボンにタンクトップ姿で外に出る。雨は止んでいたけど、まだ暗いし空気が冷たい。自業自得とはいえ、疲労困憊。俺の頭は、一刻も早く帰宅して布団でゆっくりすることでいっぱいだった。
「……あのぉ、君は?」
「えっ」
だから、門扉を閉めたところで、声を掛けられ、ひどく困惑した。
「ボケてないよな……」
家と俺を見比べながら、目を擦る白髪混じりの男性。
カバンを提げる手にスーツの上着とビニール傘を持ち、ネクタイを緩ませている。そのスラッとした身体の向こうには、タクシーのテールランプ。
間違いない。
三上の親父さんだ!
「えっと、その……」
しかし、これは困った。
深夜に見知らぬ男が自宅の前に立っているという状況をどう説明するべきか。そうかと言って、正直に三上の知り合いだと説明するのもためらわれる。だって、もうすぐ夜が明けるんだぜ? そんな時間に一体なんの用があるってんだ……。
「もしかして、京子の彼氏?」
すると、親父さんが先手を打ってきた。どうやら不審者ではないと判断したようだが、カバンとビニール傘を構えている。警戒心むき出しだ。
「……い、いいえ」
むしろここで彼氏だと言った方が安全だったか……。
彼氏が消えたら、次は泥棒か痴漢になりそうな気がする。でも、だからって、俺にはこの状況でうまく彼氏のフリをする自信がない。っていうか、彼氏だったとしても、この時間に訪ねてくるのはやばい。
ということで、俺は苦し紛れの嘘をつくことにした。
「早朝に走り込みしてて、偶然、このあたりを通りかかったら、友達の家を見つけたので、ちょっと見てたんです。すみません、怪しくて」
「なぁんだ。そういうことか」
それを聞いて、親父さんはホッとしてこちらに近づいてくる。
なんとかしのげた……。
リュックが邪魔だが、それ以上にタンクトップがいい仕事をした。いかにも、トレーニング中の雰囲気を醸し出している。よく見たらズボンは制服だけどな。
「そっかぁ、京子に友達が……」
心底うれしそうに空を仰ぐ親父さん。
酒が入っているのか若干赤らんだ顔。優しげな瞳が遠くを見つめるように笑っていて、そのどこか切なさを感じる笑顔に、俺はこんな状況ながら妙な興味を引かれた。
「友達って、そんなに珍しいんですか?」
「そうだね。昔はよく友達が家に来てたんだけどね」
現状、三上に友達がいないことは知っているが、「昔は」という新情報に驚かされる。まるで以前は友達がたくさんいたかのような言い方じゃないか。
そんな疑問の視線を察したらしく、親父さんが俺の顔をのぞき込む。
「意外かもしれないけど、小学生時代は、友達いっぱいの明るい娘だったんだ」
本当に意外だった。「マジですか!」と喉元まで出かかったが、寸前で飲み込む。
「でも、小五のときに、いろいろあって……」
親父さんは、俺の顔色をうかがいながら続けた。
「揉め事でクラスが2つに分断したんだ。京子はどちらのグループとも仲が良かったんだけど、いつしか両方に嫌われちゃって……あるとき大喧嘩に発展して、京子ひとりが悪者扱いされて、僕らも学校に呼び出されたもんさ。それ以来、京子はすっかり心を閉ざして、友達を寄せつけなくなった」
「そうですか……」
俺は中身のない相槌を打つ。
詳しくはわからないけど、三上にそんな辛い過去があったなんて……。
衝撃の事実に、俺は返す言葉を探す余裕もない。
「でも、京子は今でも優しい娘だよ。この前も僕の誕生日ケーキを焼いてくれてさ」
そう言って、スマホの画面を見せてくれる親父さん。
俺はその手元をそっとのぞき込んだ。
エプロン姿でケーキを持ち、満面の笑みを浮かべる少女。
俺の知らない三上がそこにいた。
「あっ、今言ったことは全部、秘密にしてくれよ。京子に怒られるから」
「はい」
「って、ごめん、ごめん、大事な走り込みの最中に、しゃべりすぎちゃったね」
「いえ、むしろ、いろいろ教えてくれて、ありがとうございます」
「礼を言いたいのはこっちの方さ。京子と仲良くしてくれて、本当にありがとう」
ぺこっとお辞儀をする親父さん。
なぜだろう。なんなんだこのモヤモヤ。
俺は少しだけ泣きそうだった。さっき見せられた三上の笑顔がまぶたの裏に焼き付いている。あいつが、あんな表情するなんて、学校の誰が想像するんだ。そして、そんな三上の友達だと名乗っただけで、俺なんかに頭を下げる親父さん。人の良さそうなその笑顔が、三上の笑顔と被って……。
「これからも、京子をよろしくね」
「もちろんです」
俺は笑ってこたえたあと、「失礼します」と加えて、駆け足で三上宅を去った。
しばらく濡れたアスファルトを蹴っていたけど、疲れているはずなのに、脚の回転はどんどん速くなった。なんでもいいから、全力で叫びたい気分。俺の中でなにかとてつもないエネルギーを秘めたものが渦巻いている。
俺はいつしか息を切らしながら、本気で走り込みをしているみたいなスピードで、明け方の街を走り抜けていった。
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