第23話

 実を言うと、凛ちゃんにこうしてアイスを買ったのは二回目になる。

 なら、一回目はいつなのか。



 ※※※※※※


「今日は一段と暑いですね……」

「そうだな……。今年は去年までと違ってレベルが違うわ」


 夏休みが明けた直後の、八月下旬。

 エアコンをフル稼働させた部屋の中で、いつも通り勉強を進めていた。

 窓を締め切っているのに、まだまだ多くのセミが忙しなく鳴き続ける声が聞こえてくる。

 セミは短い生涯の中で、必死に子孫を残すために頑張っている。

 だが我ら人間は、暑苦しいというあまりにも軽い一言で煙たがる。

 傲慢だとは思いながらもやはり、暑さを増長させているような気がするという言い分は、分かるような気がする。

 まぁ端的に言えば、あんまり聞きたくない。

 この時期に哀愁を感じることができない辺り、俺も大したやつではないという事だ。


「早紀はすごいです。日焼け止めすごい勢いで塗って、部活に飛び出して行きますから」

「あいつは、常時めちゃくちゃ元気だからな。それに三年が辞めてそこそこ経って、中心になってくる頃だし」

「この気候だと、私なら短時間で体調崩してしまいますね……」

「まぁ、凛ちゃんみたいな子の方が多いと思うよ。あいつの方が少数派だ」


 春夏秋冬、いつでも勢いよく家に帰ってくる妹は、俺よりも体が強いに違いない。

 寒いとか暑いとか、愚痴を漏らすことはよくあるが、体調不良になったことなどは片手で数えるくらいしか記憶に無い。


「ちょっと話がズレましたね。実は、この夏休みに講習会に行ってきました」

「どうだった?」

「流石塾、って感じでしたね。自分の力じゃ補い切れない位の問題量でした」

「だよなぁ。塾の情報量には、素直に頼りたいところだね」


 やはり、その分野でお金を貰ってやっているプロ集団なだけあって、勉強や受験において一番頼りになる場所である事には間違いない。


「あ……。決してお兄さんに教えてもらえることが物足りないって事ではありませんので!」

「う、うん」


 こちらを見て、慌てて補足を入れる彼女。もしかすると、気分を害してしまったのでないかと感じたのだろう。

 ただこの察しの良さが、彼女に余計な心労を与え、対人関係に余裕の無い相手だと、喧嘩を売っているように聞こえるので、損でしかない。

 真面目で良い子過ぎるというのも、難しいものである。


「本当ですよ……。お兄さんに教えてもらえないと私……!」


 彼女を見て、そんなことを考えていたせいか神妙な顔になっていたようで、彼女は相当慌てた様子で話している。


「大丈夫、大丈夫! 嘘ついてるだなんて思ってないから」


 尚も、不安そうな顔をする彼女。

 こうして本格的に家に招いて、勉強するようになって一ヶ月ちょっとしか経ってないのに、随分と懐いている。

 俺が気にしていないと言う言葉をかけても、尚も不安そうな表情は無くならない。


「良くも悪くも、早紀の兄だぞ? うちは、嫌なことははっきりしてるもんよ」

「……はい!」


 妹には、今の関係性を黙っているのに、都合の良い時だけ妹のことを取り上げて信用させる。

 我ながらに最低な兄であることは、間違いない。


「夏期講習ってどれくらいあったの?」

「大手のところに行ったので、かなりの日数ありましたね。夏休み初日から始まって、お盆休みを挟んでまた夏休み最終日までありました」

「受験生でもないのに、すごいハード日程だな」

「それには理由があってですね、クラスを決めるためにその塾の全国模試を受けたのですが、なかなか出来が良かったようで、それなりのクラスで行きましょうと押されました」

「なるほど、そういうことか」

「模試の結果が良かったのは、間違いなくお兄さんのおかげですから!」

「言ってくれるようになっちゃって」

「でも、塾が忙しくて夏休みって感じがしなかったですね……」

「まぁそれだけ日程詰まってたらな。お盆休みは?」

「親戚関係とか色々あって、あんまり休みって感じはしませんでした」

「そっか……」


 凛ちゃんは、まだ中学二年生。

 来年は受験生で、嫌でも遊べないことは今の段階から分かっていることだろう。

 だからこそ、妹達と遊ぶ時間がより欲しかったに違いない。


「早紀にも、何度か遊ぼって言われたのに、塾で断らなきゃいけなくって……」

「そうだったな。あいつは勉強やらなきゃってシンプルに焦ってたけど」

「……早紀らしいです」

「それがあいつのいいところだよ」


 付き合いが悪いことに文句を言うとか、真面目に勉強していることに素直に感心するところ。

 それが、妹のいいところだと俺も凛ちゃんも共通して理解している。


「早紀に、夏休み期間限定のアイス屋に食べに行かない?って誘われて、その時に見せられた期間限定フレーバーとか食べてみたかったなぁ……」

「限定フレーバー?」

「私、柑橘系とかチーズケーキが好きなんです。その二つが組み合わさってるから絶対に好きでしょー!って言われて気になっていたのですが……。もう八月が終わりますし、食べれませんね」


 そう言いながら、俺に凛ちゃんはスマホに表示されたアイス屋のサイトを見せてくれた。

 確かに、八月三十一日までの期間限定と表示されており、今の二人の状況を見ると間違いなく食べに行くことは出来ないだろうな。


「……」


 どうにかできないか。

 いつもよりも真剣に、頭を働かせた。


 ※※※※※※※※


「妹よ、チョコミントは好きか?」

「あったりめーだろ! あれよりうまいアイスなどない!」

「なるほどなぁ……」

「もしかして、ご馳走してくれんの!?」

「うーん、それとこれは別かなぁ」

「なんじゃそりゃ。言って損したわ」


 妹の好みは元々分かってはいた。

 ただ、一番好きそうなものを買ってやろうと思っただけだ。

 そして八月最後の週末。

 俺は最寄りのそのアイス屋に立ち寄っていた。

 その時に初めて、家族以外の人に食べ物を奢るという行為をした。

 この時期に持ち帰りなどという難易度の高さに震え、とにかく店員さんに山ほど保冷剤を入れて全速力で家に戻った。

 汗だくで家に戻ると、二つのアイスを丁寧に冷凍庫にしまってから、へたりこんで息を整えた。

 そして、妹には部活から帰ってきてすぐにアイスを提供した。


「妹よ、冷凍庫を開けてみよ」

「何? ってこれは……!」

「チョコミント、食っていいぞ。感謝しろ」

「やりぃ!! って急にどうしたの?」

「まぁたまにはな」

「食べた後で変なこと言わないでよ?」

「言わねぇよ」

「もう一つは兄さんのやつ?」

「そ、そうだぞ。間違っても食うなよ」

「分かってるよ。レモンチーズケーキかぁ。凛が食べたがってたやつだなぁ……」


 そんな事を、言いながら妹はチョコミントのアイスを手にとって美味しそうに頬張った。

 凛ちゃんへ買ったアイスは、残念ながら買いたて物をあげることは出来ずに、その次の日に渡すことになった。

 いつも通り、うちに来て塾の教材と学校の教材をテーブルに置いて勉強を始める。

 変わらず真剣に取り組む姿は、いつも見慣れていても感心した。

 楽しいことが出来なかった。それだけでも、モチベーションの大幅低下になるはずなのに、そんな様子も一切見せない。

 俺は頃合いを見計らって、冷凍庫からアイスを取り出す。

 そして、アイスの入った冷たい容器を彼女の頬にくっつけてみた。


「ひぃあ!?」


 ビクリと飛び上がるとともに、可愛らしい驚きの声を上げた。


「ちょっと休憩しない?」

「え?」

「どーぞ」


 カップを彼女に手渡すと、そのままフタを開ける。


「これって……」

「食べたかったやつを、用意させていただきました。これで長い夏休みが取り戻せるとは思わないけど、少しだけ楽しんで」

「そ、そんな! 悪いですよ……」

「えー、食べてくれない方が悲しいなー」

「うっ……! 分かりました」


 スプーンですくって、控えめに口に運ぶ。


「おいしい……!」

「良かった」

「でも、良いんでしょうか。早紀は何も……」

「あいつにもチョコミント奢りましたわー」

「そ、そうなんですか!?」

「ま、良くできた良い妹だからたまには、な?」

「はい!」


 美味しそうに口に運ぶ、凛ちゃんはとても絵になっていた。

 結局、レモンチーズケーキ味は人気になって、常時並ぶようになったので、焦る必要は無かったのかもしれないが――。

 俺達二人にとっては、なかなかに思い出深いものになった。

 ……妹はかつて奢ってやったことについて、すっかり忘れててちょっとカチンと来たけど。











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