第7話
ユメの中で、自分は死体の前にいる。
あの時殺した感覚が、今も手のひらに収まっている。
あれは間違っていなかったと、彼に言われたような気がする。もしかしたら、そういってほしかっただけなのかもしれない。
彼のことを覚えている。ここから離れられない。君と一緒にはいけないと、彼は言っていた。
その姿が、少しうらやましい。
こうして逃げてきたことに、後悔はない。あのまま警察に行けば、自分は間違いなく、何も見つけることはできなかっただろうと、そう思うから。
それでも、自分の手のひらを見ると、血で赤く染まっているのはわかる。
彷徨う道の先が、どこにもつながっていないのも、わかる。
そこは暗闇の中で、だから、自分の道しるべがわからない。
だから夏を、彷徨っている。
※
マリカが朝食を作っていると、玄関先から些々が帰ってきた。
早朝といえど、真夏は日が昇るのも気温が高くなるのもはやい。
戻ってきた些々は結構汗だくだったので、シャワーを浴びるようにいっておく。
シャワーを浴びて、さっぱりした些々がテーブルに着くころに朝食を作り終える。
今日の朝食はわかめの味噌汁、ごはん、アジの塩焼きに、漬物。
サクサクと食べるマリカとゆっくり不器用に美味しそうに食べている。
まともな食事を今までしてこなかったらしい彼女は一日三食の当たり前の生活をすごくありがたがる。
……なんとなく同情するような話なのだけれど、本当に美味しそうに食べてくれるものなのだから、嬉しくなっちゃう。
食事を終えると、二人は軽く身だしなみを整える。
二人で玄関に出た。
「いってきます」
二人でその声をあげて、陽炎の揺らめく外に出た。
※
些々のアルバイトは朝の段階で終わるし、マリカのバイトはコンビニ夜勤をクビになったのを契機に全部やめた。
よく考えたら小遣いになりそうな金額はもう十分に溜まっていたのだし、最低限の生活費は両親が出すのだから、まあいいかと。
思い返してみれば、バイトに明け暮れて過ぎていたような気もするし。
結果として、昼間は二人とも暇を持て余しているので、適当に遊びまわることにした。
特に何か、ドラマチックなことが起こるわけではなく、例えばカラオケに行ったり、駅前で冷やかしに耽ったり、外食することもあれば、コンビニで買った卵サンドを二人で食べたり、あとはテトラポッドに二人で昇って、海をただ眺めたり。
それは本当にドラマチックなことではない、多分、モラトリアムな時間だった。
それは本当にたわいもない時間で、本当に楽しい時間だった。
ああ、あっという間に、自分は些々という少女のことを好きになってしまったのだと、そう理解してしまった。
夏が折り返して、太陽が水平線の向こうに暮れていくように、八月が終わりに向かっていく。
8月30日
夏休みの終了が31日であることを考えると、もうすぐ夏休みの終了が近づいてくる。
ふと、マリカは気付いた。
「夏休みの宿題、終わってないや」
夜ご飯を食べながら、ぽつりと溢した。
「おわってなかったの?」
「んー。やんなくてもいいかなぁ」
なんとなく。独り言ちる。
やるべき事なのはわかっているけれど、なんだかやる気が起きなかった。そんな気分じゃないなって。
マリカはそうやって自作のカルボナーラをいじくった。
夏の間に料理スキルを磨いたし、いけるかなと思っていた品だったけれど、卵と牛乳のバランスが悪かったらしく、微妙な味わいになってしまった。
「だめだよ、宿題はちゃんとしなきゃ」
些々がそう言った。別に咎めるような言い回しではなく、淡々と、それはそういうものだよねって言い方である。
「些々はやったの、宿題」
「ううん。やらなかったや」
そう答えると、些々は不意に虚空を見つめた。どこか、考え込む様子だった。
なんとなく、その晩は宿題をやるかって感じになった。
※
自室にこもって宿題をしている。面倒な自由研究とかは適当にそれっぽいことを書いてバカみたいな量のドリルを埋めていく。答えがある奴は全部写していくが、無意味に領ばかりあって時間がやたらかかるし、しんどくなってきた。
「お水、もってきたよ」
そういって些々はペットボトルに入った水を持ってきた。ついていた水滴を拭いている。
邪魔にならないように水を置いて出ていこうとする些々を
「待って」
とマリカは言った。
※
些々はベッドの上に座り込んでいる。
開け放たれた窓辺からは真っ暗な外の景色が見える。あの闇の向こう側には海があるのだ。
「ねえ、些々ちゃんはさ、将来の夢ってある?」
「うん。世界一周」
「でかいね」
「うん」
「どうして、世界一周したいの?」
「うーん」
些々は少し考えたところで。
「いろいろいっぱい見たいものがあるの」
「みたいもの?」
「うん。知らないことがわたしにはたくさんあって、知らない景色をたくさん見たいの。うん。たぶん、これは理屈とかじゃないんだと思うんだけど……」
些々は言いつつ、闇の中を些々は見つめていた。
「ねえ、びっくりしないできいてね」
「うん」
「わたしね、人を殺したの」
闇を見据える些々の姿が、蛍光灯に照らされる。
「警察に行こうと思ってるんだ」
「……」
「そして、いろいろと償ってから、また考えるの、わたしの行く先を」
「私も、」
マリカも言う。
「両親に会って、将来のこと、ちゃんと話すよ。ちゃんと大学行く」
窓から吹き込む風が、少しだけ寒かった。
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