第6話

空と海に囲まれた町に、はな椿つばきマリカは生きている。

 夏の匂いが潮騒に流されるように薫って来た。

 東京のはずれの神奈川のはずれ、もうちょっと外れれば観光地があるというまあまあ目立たない町。


 マリカはコンビニで週刊誌とアイスを買い、自動ドアの前でたむろしているヤンキーたちと軽く駄弁った後、一年前に買った中古のバイクに乗り込んだ。

 16歳の時に免許取得とともに買ったので今でちょうど二年目である。

 アスファルトが所々で剥げてきている細い道をバイクで走っている。

 切れ長の眼差しで前を見据え、ヘルメットからこぼれた荒れた金髪が揺れていた。

「あっち」

 そう零す。

 アスファルトから照り返してくる海辺の日差しは鉄板の上のお好み焼きを連想させた。

 じりじりといやーな感じに肌とかを焼いてくる感じ。いい加減、うっとおしくなっていた髪をバッサリとショートカットにしたら少しはましになるかと思っていたのに、別に全然そんなことにならないのは誠に不服の極みである。

 不服を溢しても夏の暑さは変わらないのだから、

 入り組んだ路地をいくつか超えると、「はなや」と看板が横に立てかけられている一軒家がある。

 「はなや」なんて書いているが別に花屋ではない。

 普通に食堂というか定食屋というか、要するに昼用の飲食店だ。

 いや、だった、というのが正しいか。

 かつてはちゃんと上にかかっていた看板を一瞥すると、マリカは自転車をとめ、入り口のカギを開けて中に入る。

 大きな広間に数人で座れる程度の机やいすが並んでいる。

 そのまま営業を始めそうな雰囲気がしているが、なんてことはなくシンプルに昔のままで放ったらかしにしているのだ。

 看板も、客間の椅子や机もさっさと売ってしまえば生活の足しになりそうなものではあるけれど、両親はどうしても踏ん切りがつかないらしい。

 この店も昔はそれなりに客が入っていたらしい。うすぼんやりとだが、マリカにもその記憶はあった。

 人が大勢いて、その大半は昼間から呑んだくれているような常連のろくでなしども。

 ゲラゲラと下品な笑い声と大量の注文を両親とアルバイトの青年たちはいなしていた。

 小学校から帰ると大体いつもそんな光景が広がっていて、まあ別にマリカもそういうテンションというかノリは別に嫌いではなかった。

 けれど、そんな喧騒は次第に勢いを失っていく。

 なにが原因でそうなったとかはわからない。多分、自分には一生分からないことだし、両親は伝えようとしないことはわかる。

 ただ、諸行無常というか、そんな風にとらえている。

 そんな風にとらえつつも、いつかの面影を捨てきれずにいる両親をどこかで哀れに思う。

 慣れない仕事に四苦八苦しながら、それでもいつか戻れるかもしれないという淡い期待があるのかもしれないけれど、彼らはもう最低限の生活費と一人娘の学費くらいしかままなってはいないのだ。

「なんだったら、それも間に合ってない感あるけどね」

 マリカは家の奥のほうの階段を上って、二階にある自室に向かった。

 こもった熱気をため込んだ六畳間の部屋の窓を開け放つと、生ぬるい風が吹いてきて風鈴が揺れた。

 ちりりーん。なんて綺麗な音ではなく、どこかずれた音色がした。

 小学生の時にマリカがなんかの学校行事で作ったものだった。

 作り上げた当時はやたら嬉しくて、何度も指先で突っついて遊んだものだ。けれど今はおとが美しくない風鈴にさしたる意味を見出せずにいる。

 マリカは一度シャワーを浴びて着替えると、軋むベッドの上に転がってアイスを加えて週刊誌を読んだ。

 クーラーや扇風機何て贅沢なものはないので外からの風を浴びている。

 それは肌に纏わりつくようや熱風であったけれど、疲れているからか、やがて眠くなってくる。

 朝早くからのアルバイト何てやるべきじゃなかったと思う。

 ここ最近は家で寝てるかバイトしてるかの二択だった。

 本当なら、少なくない友達と遊びたかった。せっかくの夏休みなのだし。

 けれど今は高三の夏だった。みんな、塾やら何やらで忙しい。大事な時期なのだ。

「大事な時期……」

 ぽつりと言葉をマリカは溢した。

 窓の外には碧く太陽光を乱反射する海と、海と背中合わせの兄弟のように青い蒼い空。

 その真ん中で入道雲がやたらにおおきく主張しいている。

 大事な夏なのだ。

 そんな大事な夏に、自分は何をしているのだろうとマリカは思う。

 友達のみんなはそれぞれがそれぞれに、向かうべき道を見つけているというのに。自分はなんだかいつまでもぼんやりと突っ立ているような、そんな気がする。

 そんな18歳の夏だ。

 ため息と吐くと体が重くなったような気がしてくる。

 そうしてまどろみの中に彼女は落ちていった。



「……はッ⁉」

 目覚めると夜だった。

 外はすっかり暗くなり、吹き込む風もいささかの冷たさを帯びていた。

 慌てて起き上がり、時計を確認する。

「やっべ、バイト!」

 夜のコンビニアルバイトの時間だった。

 すでにマリカは二度遅刻バックレをかましており、最後通牒を突きつけられている。

「大丈夫、今からバイクで向かえば間に合う……ッ!」

 慌てて階段を駆け下りて外に出る。バイクの車庫に入ってエンジンを付ける。

 中古のソレはしばらく排気ガスを吐き出すと動き出した。

 夜の闇の中で小さなバイクのヘッドライトは残光を残しながら走った。

 夜の道を走ると。大丈夫だ、間に合う。多分。

 と、思った時、ライトが「それ」を照らした。

 ぎょっとして慌てて急ブレーキをかける。

 ぶつかる直前でどうにか停止する。

 降りて、地面に横たわる何かの傍に近寄った。

 なにか、というか、それはどう見ても人だった。

 背の高く肢体の長いマリカとは対照的に、なんというかちんちくりんの女の子だった。

 凹凸の少ないやせた体に、ざっくばらんに切った淡い髪色が映える。

 年齢は中学生くらいの女の子が倒れている。

「え、え、え、ちょ⁉ どうすんのこれ!」

 いくら何でも若い少女が倒れてるのをそのままにしておくわけにもいかない。

 しかし救急車なんて呼んで面倒ごとになったら嫌だし……。

 声をかけると気を失っている様子だった。

「……」

 自分には、関係のないことだ。今日は遅刻もできないし、見なかったことにしよう。

 そう、マリカは心に決めた。

 心に決めて、バイクを押しながら、その場を立ち去ろう。



「ぐぅぅぅ……、うちのあほぉぉぉぉぉ……」

 旧「はなや」。要するにマリカの自宅。元・客用のテーブルの上に、先ほど倒れていた少女は寝ていた。

 結局、後ろ髪を引かれる思いがどうしても断ち切れず、さりとて警察沙汰にするような度胸があるわけでもなく、ぐるぐると足りない思考を巡らせているうちに、気絶していた少女を家に運び込むという判断に落ち着いてしまったのである。

 ちなみにそのことをバイト先に伝えると。

「きみ、明日から来なくていいから」

 といったすげない返事とともに電話を切られてしまった。

 あーあ。クビかぁ、という思いとともにどこか晴れやかな気持ちもそこにはあったのだ。

「まぁ、夜勤のコンビニバイト辞められたのはよかったのかなぁ……」

 だいぶしんどかったし。誰だよ夜勤のコンビニは楽だよなんて言ったのは。全然そんなことないじゃないか。

 ていうか、これって誘拐じゃないのかなぁ……。と、今更ながらにちょっと心配になってきている。

 やはり警察や病院にきちんと届けたほうが……いや、脈拍も呼吸もあるし……めんどうごとはちょっとなぁ……。

 そんな思考が頭の中でぐーるぐるしていると、くだんの少女は薄く目をあけた。

「……ここ、は……?」

「あ、気が付いた? 大丈夫? 病院行く? 警察いく?」

「あ、け、警察は、ちょっと……」

 慌てて、少女は起き上がろうとするも、ふっ、と力が抜けてまた横になってしまった。

「え、や、やっぱ大丈夫じゃなくない……?」

「おなか……」

「うん?」

「おなか、すきました……」

 少女の腹の虫が鳴った。かすかに頬を赤らめている。

「……カップ麺でいい?」



 小さい口でカップラーメンをほおばっている少女を頬杖を突きながらマリカはぼー、っと見ていた。

 なんというか、淡い、というか薄い雰囲気の少女だ。

 おなかが減ってぶっ倒れていた割に食べる速度も遅いし、あんまり生命力というものが感じられない。

「ご、ごちそうさま……でした……」

「ん。まだ食べる?」

「いえ、もう、おなかいっぱいです」

 不器用に少女は断った。

 遠慮しているのかともおもったけれど、様子を見るに本当におなかがいっぱいらしいい。

 まじか。普通盛だぞ。私が腹を減らしていたらBIGのほう平らげちゃうぞ。


「……で、えーと、些々ちゃんだっけ?」

「はい」

 こくんと彼女は頷いた。その様子もなんだか小さくて、妖精か何かのようにも思える。

「家出してきたのん?」

「はい」

「で、警察はマジでダメ」

「はい……」

「結構なワケアリ」

「はい…………」

「お金がもうない」

「はい………………」

「いくあてもない」

「はい………………………………」

「………………」

「…………………………………………………………………………………ごめんなさい……」

 なんだか自分が彼女をいじめているみたいになってしまった。いやそんなつもりはないし、いろいろと問題を抱えているのは目の前の些々ちゃんなる人物なのだけれど。

「んー。別にササちゃんをいじめたいわけじゃないんだよ。うん。それは本当。14歳だもん、いろいろあるよね」

 それからちょっと考えて。

「今日はもう遅いし、泊っていきなよ。空き部屋ならあるからさ」



 マリカは目を覚ました。

 窓から照らしてくる太陽が痛いくらいに眩しい。夜が明けてしばらく経っているというのにもう暑い。本当に嫌になってきてしまう。

「あ~」

 うめき声を出して何がどうなるわけでもないが、呻かずにはいられないのが寝起きというものである。

 道路の上に放り出された芋虫のごときのたうち方をしたのちにどうにか起き上がる。

 パジャマ姿で階段を降りると既に些々が待っていた。朝日が擦りガラスの玄関から漏れて彼女を淡く照らしている。ジャージを貸していたがちんちくりんな彼女には大きかったらしい。だぼだぼだ。

「早いね」

「はい。……泊めてもらってて、あとに起きるのは失礼かもって思ったので……」

「えらー」

 偉い。いい子。好感度はマックスだ。

「んー。早く起きても何かあるわけじゃないんだけど……、些々ちゃんは料理、できる」

 些々は申し訳なさそうに、ふるふると首を横に振るった。

「んー、じゃあ、朝ご飯はまだかぁ。ちょっと待ってね、作るから」

 寝ぼけた顔で頭を掻きつつ、マリカは台所に向かった。

 流石に朝からカップ麺やインスタント食品にするのは気が引けるのでなにか作ることにする。

 家族で使うにはあまりにも大きくなりすぎてしまった冷蔵庫の中身は案の定すかすかで、使えそうな食材は卵と使いかけのハム。冷凍ご飯。

「……うん。ハムエッグと米」

 コンロに火をつけて、油を敷いたフライパンに塩コショウを軽く(本当に軽く)刷り込み半分に切った薄切りハムを敷き、卵を落とす。それを二つ分。フライパンで焼いているあいだ。ラップに来るんである冷凍ご飯を茶碗に開け、軽く湿らせてからラップをかけてレンチンする。

 卵の白身が軽く色づいてきたので蓋をして蒸らす。別に蒸らさなくてもいいんじゃね? とか思わないではないが(ぱさぱさでも自分はあまり気にしないので)一応。

 そんなこんなで朝食が完成。緑色が少ないっていうかほとんどないんだけれど、ないものはないんだ。仕方ない。

「出来たよー」

 マリカはテーブルに皿に盛ったハムエッグと米を二人分置いた。

 てきぱきと支度をしていく彼女を些々はぼうと見ていた。

「朝は、牛乳派? 水派? お茶派?」

「え、あの……」

 困惑とともに、少し些々は考える。ぐるぐるとしている思考から。

「朝って、ご飯食べるんですか?」

「あ、食べない派?」

「いえ、その。わたし今までお昼の給食と深夜のカップ麺以外でご飯って食べたことなかったから……」

「……めっちゃワケアリの過去を感じる発言じゃん」

「んー、多分、普通じゃないんです、よね……?」

 すこし困ったような顔を些々はする。この子はすぐ困った顔するなってマリカは思う。どちらかというと苦手なタイプの女なのだけれど、なんとなく背景にあるものを考えると同情に近い念を抱いてしまう。

「……うーん。ご飯は一日三食だよ。朝昼晩。あと夜食」

「それって、四食では?」

「いいんだよ。夜食はなんか、エクストラみたいなやつだし。普通は三食なの。ふつうは」

「ふつうは」

「ふつうは。うん。さっさとたべよ」

 めんどくさくなった。

「いただきます」

「いただきます」

 二人でハムエッグとご飯を食べる。

 ちなみにマリカは牛乳派だったので些々も牛乳がついた。

 さっさと食事を胃に流し込むマリカとは対照的に、慣れない箸の持ちかたで小さな口にぼそぼそ頑張って食べていく些々。

 さっさと食べ終わったマリカは些々が食べ終わるのを待っていた。

 普段のマリカなら別に待ったりはしないのだけれど、なんとなく些々が本当に美味しそうにご飯を食べるものだから。

 昼ごはん、何にしよっかなって考える。



 その日の晩。(ちなみに昼食は近所のラーメン屋に行った。うまくもまずくもない何とも言い難き、普通なラーメンなのだが、これを些々は実に美味しそうに食べた。……食べたのだが、明らかに途中から箸とレンゲを持つ手がスローになりだし、結局半分はマリカが食べた)

 今後しばらく分の食材を買い込み、マリカは冷蔵庫に入れこんだ。

 そして夕食づくりに取り掛かる。ちなみに些々にも手伝ってもらうことにした。

 彼女は初めて包丁を握るらしく、猫の手から教えることになった。

 なに作ろうかなっと考えて、チャーハンでいいやと思い立つ。

 まずは二人で具材を切る。ネギとチャーシュー、それからごぼう、ニンニク……は迷ったが入れてみよう。

 材料を切って、途中から些々に全部任せる。最初こそ震えててハラハラしちゃってはいたけれど、コツをつかむとどんどん上手になっているのは、教える側としては嬉しい。

 中華鍋に油を敷き、その横で卵を梳かす。油と卵とニンニクは使えば使うだけ美味しくなるけれど、健康とか美容とか、体重とかに関わるのでほどほどに。

 油の中に切った食材をぶち込んで炒める。傍らで些々に解してもらった冷やしご飯に卵を3個にバターをほどほど加えてボウルでかき混ぜる。うまい人は卵を炒めてその上にご飯を炒めるが、そんなに上手じゃないうちは卵かけご飯をかき混ぜてから炒めるのがいい……と思う。チャーハンは諸説がありすぎるので……。

 と、そんなこんなでチャーハンは出来上がり。まあ大体こんなかんじだろう。チャーハンはこだわろうと思えば無限に手間がかかるのでほどほどに。

 ……これって女子の料理なのだろうか? なんというか男の料理感、ない?

 


 二人で作ったチャーハンを食べながら今日のことを思い出す。

 まず、些々はしばらく居候をさせることに決めた。どうやら東北のほうから来たらしい彼女は虐待を行っていた母親がいたらしい。

 そこからどうやら警察に知られるとやばいようなあれこれを経てこっちのほうに流れ着いてきたらしい。

 今日一日、彼女とともに過ごしていて、なんだかひどい経験をしたらしいというのは感じられた。そこから逃げて、行く先も当てもないことはなんとなく察せられた。

 だから、それ以上を聞く気はなかったし、彼女を警察とか公的機関に差し出す気にもならなかった。


 とはいえ、ただ飯ぐらいを置いておく余裕はないので仕事をしてもらうのだが。

「でもよかったよね、新聞配達といえど、身元が分からない貴女に仕事が来るんだもの。人手不足さまさまだわ」

「むぐ、むぐ……うん、うん」

「たべてからでいいって」

「むぐむぐ……ごっくん。うん、でも。マリカ、さんの、おかげ。だから……」

「えへへ~、でしょう」

 実際に、マリカがうまいこと口をきいた結果っていうのはあるので特に謙遜はしない。口八丁は苦手ではないのだ。

 明日の早朝から些々は新聞配達の仕事をして、その給金は全額自分に回してくれるらしい。……少しぐらい自分で使う分を持っていてもいいというと、ご飯と住処を貸してくれる人にはそれぐらいするよとのこと。

 いつまで居候してる気よ。と冗談交じりで聞いたら、マジで困りだした。考えてなかったらしい。

 まあ8月のうちはずっといていいよとはいっていたので、それからのことは9月に入って夏が終わったら考えればいいやと言っておいた。

 ……彼女と過ごしている夏の間に自分も答えを出したいなと、そんなことをマリカは思う。

 どこかで花火のなる音がした。

 江の島のほうでの花火大会は秋ごろだから、また別のどっかで花火を打ち上げているのだろう。

 夏の終わりが近づく気配がした。

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