2話 わたし、変われるのかな?

「ぶいちゅーばー?」


 陽向と私は同時に首を傾げる。


「そう、VTuberだ。興味ないかい?」


 バーチャルタレント事務所の社長である佐伯は既に陽向の向かいの席に移動していた。どうやら本気で陽向を勧誘するつもりらしい。


 VTuberというのはあれか。動画サイトでたまに見かけるアニメのような姿で、喋ったり、動いたり、ゲームの実況をしている人たちのことだろう。


 陽向も私も動画サイトで犬や猫の動画をよく見るので、たまに広告やおすすめに表示されるVTuberの存在こそ知っていたけれど、まさかそれらを束ねる会社があるなんて知らなかった。その界隈にとってはテレライブとやらも名の知れた企業なのだろうか。


「きみのような子がVTuberになったら人気が出ると思うんだ」


 佐伯は自分の顎に手をあてがって、陽向を見つめる。いったい何をどう見たら、陽向がVTuberに向いてるなんて思えるんだろう。


「む、無理です。わたしがVTuberなんて。その、わたしにはなんの才能もないし、それどころかコミュ障で現実の友達もできたことがないくらいで……」


 そう、陽向は引っ込み思案で、コミュ障をとことん拗らせている。そんな彼女が大勢の人の目に触れるVTuberなんてできるわけがないのだ。この私が言うのだから間違いない。


「いや、まさしくそこだよ」


「へ?」


「確かに才能がある子はたくさんいるよ。トークが面白かったり、歌が上手かったり、踊れたり、ゲームが上手な子もいる。オーディションにはそういう子がわんさか応募してきた」


「や、やっぱりわたしじゃ無理なんじゃ……」


「でもね、人を惹きつけるのは才能ばかりじゃないんだ。むしろ本当に人を魅了するのは、コンプレックスの方だ」


「コンプレックス?」


「そう、コンプレックスや欠点を抱えている子の方が時に輝くことがある。だってそうだろう? 才能を持った人より、悩みや欠点を持った人の方がずっと多いんだ。だから、そういう子のほうがたくさんの人に共感してもらえる」


 陽向も私もそんな風に考えたことがなかった。でも、佐伯の言うことにも一理あるように思える。


「わ、わたしでも輝けるんですか?」


「まだわからないけど、もしかしたらね。もし少しでも興味があるなら、明日名刺に書いてある住所に来て欲しい。きっときみの役に立てるはずだ」


 佐伯はそれだけ言い残すと、陽向の分まで会計してくれた上で店を出ていった。変な雰囲気の男だったが、詐欺師にも見えない。おそらく名刺に書いてある住所も本物だろう。どちらにせよ、調べればすぐわかることだ。


 それから陽向は家に帰ると、自分の部屋のパソコンでVtuberについて夢中で調べ始めた。あの佐伯が代表を務める事務所のことも検索ですぐにわかった。やがて、テレライブのVTuberの配信動画を実際に見るまでに至ると、もう私の声も聞こえないくらい集中していた。興味がある、なんてレベルじゃない。陽向は夜通しVTuberの動画を眺めていた。





 翌日の学校には、眠たそうに目を擦る陽向の姿があった。もう昼休みだというのに大きな欠伸をする。昨日、一晩中VTuberが出ている動画を見ていたのだから無理もない。


 他の生徒が友達と楽しくお昼ご飯を囲んでいる中、陽向は一人自分で作ったお弁当を取り出した。教室の隅っこで食べる孤独な昼食。陽向にとっては慣れ親しんだいつもの風景だった。


「ゆうちゃん、わたし変われるのかな?」


 変われるよ。今からだって。


「今?」


 そう、誰かに声をかけるの。一緒にお昼食べないかって。


「そんなのできないよ。今までずっと一人だったのに、急には誘えない」


 じゃあ、陽向にはきっとVTuberも無理だよ。友達を一人も作れないくせに、誰かを楽しませたり、笑顔にできる人になれるはずがない。


「……わかったよ。わたし、頑張るから、そこで見ててね」


 まだ入学してから日も浅い。互いに初対面の生徒の中には、グループを作らずに、まだ一人で過ごしている人も多かった。そんな人を狙って声をかければ、きっと友達になれるはずだ。まあ、そんな簡単なことさえ陽向は一度も成功させていないのだけど。


 だから、できるだけ優しくて穏和そうな人に声をかけるべきだ。陽向とも気が合いそうな、物腰が柔らかい、おっとりとした女子が理想だろう。


「うん、わかった。……優しそうな人、優しそうな人、優しそうな人」


 陽向はそう繰り返しながら、クラスメイトを物色し始める。やがて、一人の生徒に見定めて近づいていった。よりにもよってそれは自分の席に静かに佇む東條姫乃とうじょうひめのだった。


 陽向のバカ。どうして東條姫乃を選ぶのだ。彼女が纏っている空気はどう考えても穏やかじゃない。彼女の周りに人がいないのは、誰も近づくな、と彼女が氷のように冷たい表情で伝えているからだ。


 彫刻のように端正に整った顔立ち、蜜の如く艶やかに伸びる長い黒髪。後ろでハーフアップに纏められたその髪は腰にまで届きそうだった。


 姫乃はこの学校でも一番の美少女だ。なんでも噂によると姫乃の姉はトップアイドルとして活躍しているそうだ。彼女の美貌を思えば、あながち嘘とも思えない。


 本来なら姫乃は一躍クラスの人気者になっているはずだった。しかし、そうはならなかった。人を一切寄せ付けない彼女の態度がそうさせたのだ。放っておいてもぼっちになる陽向とはそもそも性質が違う。


 頬を上気させて、陽向は東條姫乃の席の前に立った。彼女の美しくも冷酷な瞳が、陽向を睨みつける。


「あたしに何か用?」


 姫乃の声色は冷淡で、明らかに陽向を歓迎していない。でも陽向の方もそれどころじゃなかった。人前に立ったことで、もう目一杯緊張している。しどろもどろに用意していた言葉で話しかける。


「あ、あ、あの、おべ、おべ、べべべんとう、ひ、ひっしょに、たたたべませんか?」


 陽向は噛みに噛みまくってなんとか言うことができた。たとえ上手に言えたとしても、姫乃が相手では無駄だったと思うけど。


「お弁当なら一人で食べれる。あたしに話しかけないで」


 それで十分だとばかりに姫乃は陽向から目を背けた。はねつけるにしても、もっと言葉があるだろうに。はなから彼女には友人など必要ないということだろう。


 陽向は言われるがままに口を噤んで、そそくさと姫乃から離れる。自分の席まで待避すると、長い息を吐いた。


「やったよ、ゆうちゃん。二言も話してくれたよ!」


 はたしてあれで話したと言えるのだろうか。軽くあしらわれただけで、大喜びできるなんて、本当におめでたいやつだ。


「姫乃ちゃん、お顔だけじゃなくて、お声も綺麗だったなぁ。友達になれるといいな」


 陽向が姫乃と友達になるのはまず無理だろう。理由は知らないが、彼女は教室で孤高を貫こうとしている。陽向だけじゃなく、誰とも馴れ合うつもりはないらしい。


 だいたい、優しそうな人に声をかけろとあれだけ言ったのに、どうしてあんな氷山に挑んでしまうのだ。


「え、でも姫乃ちゃんがこの中で一番優しそうな人だったよ?」


……人を見る目がないのも陽向に友達ができない原因なのかもしれない。これでは、先が思いやられる。VTuberどころか、陽向に友達ができる日が来るのだろうか。


「ゆうちゃん、わたし本当に変われるのかな?」


 さあね、それはあんたのこれからの頑張り次第じゃないかな。

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