3話 同期との初対面

「あ、あの、わ、わたし、こ、ここの事務所の佐伯さんと、や、約束しているんですけれども」


 優しそうな受付のお姉さんにも、いつものコミュ障ぶりを見せつける陽向だった。都心に立つオフィスビルの高層フロアにテレライブの事務所がある。陽向はビルの大きさだけで既に圧倒され、豪奢ごうしゃな内装の建物に入っただけでガチガチに緊張していた。


「わかりました。では、こちらに名前を書いてお待ちください」


 受付のお姉さんに促されるままに陽向は名前を書いてソファに座った。数分と待たずに佐伯が姿を見せる。


「いや、本当に来てくれたんだね。ありがとう。早速、入ってくれたまえ。きみに紹介したい人がいるんだ」


 佐伯は昨日と同様の気さくさと強引さで、陽向を事務所の中に引き摺り込んでいった。陽向には抗う術もない。


 タレント事務所と言っても、中は普通の会社のオフィスと変わりなかった。何人かの社員がパソコンデスクに向かって仕事をしている。ただ所々にVTuberのポスターやグッズは飾られていて、特にテレライブで一番人気のVTuber天上ミロクのポスターは目立つところ貼ってあった。


「やあ、吉川くん。仕事は順調かな。ちょっと話があるんだけど」


 佐伯は陽気な顔で一人の社員に声をかける。ポニーテールの女性がこちらを振り向いた。彼女のデスクには天上ミロクのグッズが所狭しと置かれていて今にも溢れてしまいそうなくらいだった。


 吉川と呼ばれた彼女は、爽やかな水色のシャツにタイトスカートという出立ちで、いかにも仕事ができるキャリアウーマンな風貌をしている。


「なんですか、社長。いま三期生二人のデビュー準備で忙しいんです。今日はこれから、事務所で初顔合わせもありますから、面倒事なら他の方にお願いします」


 社長相手にもはきはきと受け答えする様子を見るに、彼女は相当優秀な社員のようだ。


「そうそう、ちょうどその三期生のことで相談があるんだよ」


「相談? ところで社長、隣の子は誰ですか?」


「そう、この子が私が昨日見つけた三人目だよ。ええと、名前はなんと言ったかな?」


「はひ、む、村谷陽向です! よろしくお願いします」


 吉川の前に無理矢理押し出された陽向は、なんとか自己紹介をして頭を下げた。


「三人目? なんのことですか?」


 吉川は何も知らされていないのか、首を傾げるばかりだった。


「だからね、この子がテレライブ三期生、三人目のメンバーだよ。やっぱり三期生なのに二人だとしっくり来ないと思ってたんだよ。いやあ、よかったよかった」


 佐伯が説明すると、吉川の顔はみるみる修羅しゅらのように変貌していく。


「いや、何もよくありませんから! てか、何考えてんだクソ社長! 三期生はオーディションで決めた二人でいくって会議で決めたじゃないですか。デビュー配信はもうすぐなんですよ? いきなり一人増やすって簡単に言わないでくださいよ! これじゃあ、綿密に組んだスケージュールが全部おじゃんじゃないですか!」


 吉川の罵倒も、佐伯はどこ吹く風で口笛を吹いている。陽向は頭を抑えてしゃがみこんで、雷が鳴り止むのを待っていた。


「まあそこんところはさ、吉川くんに全部丸投げってことで。じゃあ、この子のこと任せたからね。いや、正確にはこの子たちか……」


 佐伯は素知らぬ顔で社長室に消えていった。


「……あの野郎、次やったら鼻っ面に辞表捻じ込んでやる!」


 吉川は片手で書類を握り潰しながら社長に怨嗟の言葉をぶつける。陽向は彼女から数メートル離れて様子を窺うしかなかった。


「はあ……それであなた、陽向ちゃんだっけ? 不本意だけど社長の指示だから仕方ないわ。私は吉川朱美よしかわあけみ。三期生のマネジメント担当です。よろしく」


 吉川が手を差し出すので、陽向は恐る恐るその手を握った。近づいた陽向の顔を吉川はじろりと覗き込む。


「……あなた、社長の愛人とかじゃないわよね?」


「はひ? ち、違います! わたしは昨日社長さんに声を掛けられただけで……」


 首と手を振って陽向は必死に否定する。


「なんてね、冗談よ。社長が気に入った子を急にスカウトすることはよくあるの。その度に社員は地獄を見るけどね……でも、なぜか社長が見出した子は人気が出るのよね」


 吉川の言う通りなら、陽向にも実は隠された才能があるのかもしれない。まあ四六時中一緒にいるから、陽向にそんなのないことはわかりきってるけど。


「それで、あなたは何が得意なの?」


「え、得意なことですか?」


「そう特技よ、特技。トークが面白いとか、歌が上手いとか、何かあるでしょう?」


 どうやら吉川は早速陽向の売り出し方を考えているようだ。社長に散々文句は言っていても、仕事はちゃんとやるつもりらしい。


「…………いです」


「ん?」


「と、得意なこと何もないです!」


 陽向はこの日一番大きな声を出して、吉川をがっかりさせた。





「まあ、今日は三期生の初顔合わせだから、とりあえず陽向ちゃんも挨拶しておきなさい。一人はここで待っているから、自己紹介お願いね。もう一人もすぐに来ると思うから」


 陽向は会議室に案内された。ここで三期生が全員揃うのを待てばいいとのことだった。三人揃ったら、吉川が今後のスケジュールを説明するらしい。陽向のせいで、スケジュールの調整に追われているらしく、吉川はデスクに戻っていった。


「どうしよう、ゆうちゃん、ここに同期の子がいるんだって」


 会議室のドアの前で陽向は私に助けを求める。陽向は知らない人、特に同年代の子と話すのは苦手なのだ。


「わたし、自己紹介で絶対噛む自信がある!」


 そんなことを自信満々に言われても困る。だいたい、これは友達を作るまたとない機会じゃないか。互いに仕事の関係なのだから、教室での姫乃みたいに冷たくあしらわれる心配もない。


「そうだよね、同期同士、きっと仲良くなれるよね?」


 いいから、さっさと入りなさい。向こうもあなたを待っているんだから。


 陽向は頷いて会議室のドアを開けた。中で座っている相手を見て、陽向も私も口をあんぐりと開けて驚いてしまった。


「ど、どうしてここに東條さんが?」


「あなたは同じクラスの……」


 会議室で座っていたのは、あの東條姫乃だった。教室とは違って私服に着替えている。制服姿も似合っているけれど、私服姿も相当に綺麗で、人気のタレントと見紛うほどだった。


「どうしてあなたがここにいるの?」


 姫乃は相変わらずの冷淡な口調で陽向に訊ねる。


「え、それはその、えっと、あの……」


 急な姫乃の登場にすっかり動転した陽向はまともに受け答えができない。


「オーディションにはいなかったはず。あなたも三期生に選ばれたの?」


「あ、わ、わたしは、その……」


 もっと堂々としなさい、陽向。陽向だって、社長にスカウトされて選ばれたんだから。何も引け目を感じることはないの。


「でも、ゆうちゃん。わたしは東條さんみたいに美人じゃないよ」


「ゆうちゃん? あなた誰と喋っているの?」


 はっきりと目を合わせて話しかけてくる姫乃に、陽向は顔を背けて私を縋るように見つめてくるばかりだった。


 まったく、たちの悪い偶然もあったものだ。陽向の同期がよりにもよってあの姫乃だったなんてついていない。あの姫乃が相手では陽向もろくに口も利けないだろう。


「まあ、どうでもいいわ。あなたも三期生のメンバーならば、仕事として最低限の付き合いはするし、コラボだってしてあげる。でもね、学校では絶対にあたしに関わってこないで」


 たたでさえ戸惑っている陽向にこの女はなんて言葉を浴びせるんだ。これでは余計に陽向が萎縮いしゅくしてしまう。こんな女、私に生身の身体があったなら、ぶん殴ってやるのに。


 だけど、陽向の反応は予想とは違っていた。陽向は眼を輝かせている。それも今度は姫乃を真っ直ぐに見据えていた。


「本当にいいの?」


 陽向のこんな顔は私も初めて見たかもしれない。まるで雨空に一筋の光が差し込んだような、そんな希望に溢れた表情だった。姫乃の方も陽向の豹変に気付いたようだった。


「何がよ?」


「こ、コラボしてくれるって」


「? それくらい当然でしょう。一応は仕事仲間なんだから」


「仲間?」


「そうよ、これから同じ事務所の仲間になるんでしょう?」


「……そっか、仲間なんだ。これから東條さんとわたしは仲間になるんだ」


 仲間、友達とも違う響きのその言葉は陽向にはより特別なものに思えたようだ。心の中でそれを何度も反芻はんすうしているのが伝わってくる。


 姫乃は不思議そうに顔をしかめる。陽向が何に喜んでいるのかわかっていないようだ。


 まばゆい笑顔の陽向が私を振り向いた。


「ゆうちゃん、わたしVTuberになるよ! VTuberになって東條さんと仲間になりたい!」


 そうだよ、陽向。それでいい。私が見たかったのは一人でうつむいているあなたじゃない、上を向いて光を浴びて輝くその顔なんだ。

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