29話 夕陽と陽向

 陽向のお母さんが言うには、その二人は双子の姉妹として産まれてくるはずだったそうだ。


「二人とも無事に産んであげたかった。でも、その子が私から取り上げられたときにはもう事切れていてね。蘇生もできなかった。当時は散々に悲しんだわ。でも陽向がいてくれたから、なんとか乗り越えられた。だから、この子には二人分の愛情を注いであげようって、思ったの。まあ、甘やかしすぎてちょっと人見知りに育っちゃったけどね」


 陽向の人見知りはちょっとどころじゃない気がする。でも、少なくとも陽向はお母さんの愛情をうけて素直な優しい子に成長したはずだ。


「でも、話はそれで終わりじゃなかったの」


「どういうことですか?」


「言葉を覚えた陽向がね、空想のお友達のことを話してくれるようになったの。幼い子にはよくあることだから、あんまり心配はしていなかったんだけど。けどね、その子の名前を聞いた時はさすがに度肝を抜かれてしまったわ」


「もしかして……」


 夕陽、確かその名前は陽向が付けたのだと前に話してくれたことがある。お母さんがそれに驚いたということは……


「そうよ、夕陽は陽向のお姉さんに付けるはずの名前だったの。夕陽と陽向、双子だとわかったときから、二人の名前はそう決めていたの」


「じゃあ夕陽は、あの子は陽向の……」


「フフ、私もその時は気が動転しちゃってね。陽向に姉の幽霊が取り憑いたんじゃないかって本気で疑ったわ。でもね、よく考えてみればなにも不思議なことじゃなかったのよ。だって私、あの子たちがお腹にいた時からずっと名前を呼びかけていたから」


「陽向がそれを覚えていたってことですか?」


「お腹の中にいても人の声は聞こえるって言うじゃない。まあ、本当のところはわからないけどね。胎児も子宮の中でちゃんと生きているの。足でお腹を蹴ったり、手で自分の顔を触ったり、夢なんかも見ているらしいわ」


 お母さんは嬉しそうに上擦った声で続ける。


「私ね、それで気づけたの。あの子に生きて会うことができなくて悔しく思ってたけど、陽向は違うんだって。陽向はお腹の中であの子とずっと一緒に過ごしてたのよ。もしかしたら、二人は産まれる前からもう仲良しだったのかもしれないって想像したりもできた。だからね、それを教えてくれた夕陽には感謝しているの。それに、夕陽のおかげで陽向にもようやく素敵な友達ができたようだしね」


 お母さんは、これからも陽向と仲良くしてね、とあたしに言い残して、陽向のいる二階に上がっていった。


 あたしはお母さんの話をどう解釈すべきか迷っていた。子供の時の記憶なんて、誰もが失ってしまうものだ。ましてや、産まれる前のことなんて覚えていられるものだろうか。陽向はちょっと変わったところもあるけど、普通の女の子だ。


 だけど、一つだけ確信できることがあった。


 夕陽、あなたは幽霊なんかじゃないわよね。


 だってあなたは成仏なんてしてない。今も陽向の心の中にちゃんといるのよね。


 待っててね、そこまで聴こえるくらい、大きな声で歌ってあげるから。



 お母さんが帰った後も、陽向は部屋に閉じこもったままだった。あの陽向が母親の説得にも応じないなんてよっぽどのことらしい。かくいうあたしも自分の部屋にこもっていた。ヘッドホンを繋げた電子オルガンを弾いて、曲を考えていたのだ。


 一晩中、歌詞やメロディと格闘して、曲が出来上がった頃には朝を迎えていた。夢中で完成を急いでいたはずなのに、いざ出来てしまうと腰が引けてしまう。本当にこれで良かったのかな、この言葉でちゃんと伝わるかな、この音は変じゃないかな、とか不安ばかりが頭を駆け巡る。迷いをかき消そうと、自分の顔を両手で平手打ちする。


「なに弱気になっているんだ、あたし! 失敗してもいいんだ。そしたらまたやり直せばいいの。何度だって、歌えばいいじゃない」


 自分で作った曲だから、歌詞も音程も頭には入っている。少し練習したい気もするけど、一番最初に歌うこの曲を陽向に聴いてほしかった。


 意を決して、陽向の部屋のドアの前に立つ。陽向はまだ眠っているだろうか。ドアに耳を当てて、中の音を探った。また夕陽のあの曲が聞こえてくる。パソコンのスピーカーで繰り返し流しているみたいだった。なんとなくだけど陽向は起きている気がした。いや、たとえ眠っていたとしてもあたしの歌声で目を覚まさせてやる。


 問題はあの曲だ。どうにか止めることはできないだろうか。あ、ブレーカーを落とせばいいんだ。それなら曲の再生をとめられるだろう。陽向のやつスマホの電源も切っているみたいだから、それで少しは時間を稼げるはずだ。


 あたしは一階に降りてブレーカーを落とした。急いで階段を登って、部屋の前に戻る。こっちもオルガンが使えないからアカペラだけど、なりふり構っていられない。


「陽向、ちゃんと聴いていてね。あたし、精一杯歌うから」


 大きく息を吸って、あたしは歌い始める。



夕暮れに沈む太陽は

オレンジタルトみたいで

甘くてほろ苦い味なのかな

夕陽が切ないのは

青空が待ち遠しいから


あの子が教えてくれた

きみの笑顔の眩しさを

夜の帷があの子を隠すけど

いつだって傍にいるから

笑顔で夜明けの道を行こう


教室では誰もあの子を知らない

あの子の名前はきみだけが知ってる

その声であの名前を呼んで

そしたらまた抱きしめてあげる

何度だってそうするから




青空に浮かぶ太陽は

どこか他人行儀で

それでも隣にいてもいいかな

陽向に立ちたいのは

自分の影を愛したいから


きみだけが見てくれた

偽りのないあたしを

夜の闇がきみを遠ざけるけど

彼方まで響かせるから

この歌だけは届いてほしい


教室では誰もきみを見ていない

きみの笑顔はあたしだけが知ってる

この声できみの名を呼ばせて

次はきみを抱きしめてあげる

あの子との約束だから


その声であたしの名を呼んで

夕陽ごと抱きしめてあげるね

何度だってそうするから




 ドアが勢いよく開け放たれて、泣きながら陽向が飛び出してくる、なんてことはなかった。あたしが歌い終えても、また深い沈黙が戻ってくるだけだ。


「そうよね、そんな簡単にはいかないよね……」


 覚悟はしていたけれど、いざ無視されるとさすがにしんどいものがある。あたしの歌も陽向には響かなかったみたいだ。


 一晩中、作曲を続けて、こうして歌を熱唱したあたしはもう疲れ切っていた。眠気で頭がガクガクするし、喉もカラカラに乾いていた。


 とりあえず今日は水を一杯飲んだら、もう寝てしまおう。あたしは一階のブレーカーを戻した後、キッチンに入りグラスを取った。


 蛇口を回して水道からグラスに水を注いでいると、何かが背中にぶつかった。グラスが揺れて水が溢れる。背中のそれは腕を伸ばしてあたしの体に強く巻きつけた。


「ねえ、お腹空いたでしょう」


「うん」


「昨日どら焼き買ってきたの。二人で食べましょう」


「うん」


「それともマカロンの方がよかった?」


「どっちも食べたい!」


「そう、わかった。朝ごはんも作ってあげるから、そろそろ離してくれない?」


「嫌だ。ずっとぎゅーってする」


「陽向、いつからそんなに寂しがり屋になったの? それじゃあ、まるで……」


 あたしは振り向いて、ちゃんと正面から彼女を抱きしめてあげた。髪の毛はボサボサで、ちょっと変な匂いもするし、酷い顔をしていたけど、それはちゃんと陽向だった。


 でも、あなたもそこにいるのよね。


「おかえり、陽向、夕陽」


 

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