28話 活動休止

「あたしの歌をいつも聴いてくれてありがとう。今日はここで終わりにします。皆さん、どうかこの後も良い夜をお過ごしください」



コメント

:今日も最高だった

:おやすみなさい

:ルカの歌もっと聴きたかった

:夏の夜って感じの選曲良かった

:耳が天国でした

:ひなたの歌は地獄だもんな

:ひなた、早く復帰して欲しいな

:夏休み終わらないでくれ

:ひなたちゃん大丈夫?

:活動休止いつまでなの



「ありがとう。ひなたのことは心配しないで。今はちょっと体調を崩しているけど、きっとすぐ元気になって戻ってくるから。……ひなた、この配信を聴いてくれてるといいな。今日はひなたのことを想いながら歌ったから」


 あたしは何を言っているんだろう。陽向があたしの歌なんか聴いてないこと知ってるじゃない。いくら想いを込めたって届くわけがない。


 陽向は今も部屋に閉じこもって彼女の歌を聴いているんだ。繰り返し何度も陽向はそれを再生し続けている。寝食も忘れてあの歌に取り憑かれているんだ。


 夕陽、あなたの残した歌はまるで呪いみたいよ。


 配信を終えたあたしは、陽向の部屋の前に置いておいた夕食を確認する。ちゃんと食べるように声をかけたのに、まったく手付かずのまま放置されていた。


「あの子、いつから食べてないんだろう。水は飲んでるのかしら」


 あたしはドアをノックしようとしたけど、手を止めてしまった。あの曲のイントロがまた聞こえてきたからだ。


 歌には人の心を動かす特別な力がある。それは信じて、あたしは歌い続けている。けど、夕陽のあの歌にあたしは勝てる気がしなかった。誰かを元気づけ励ます歌をずっと練習してきたつもりだ。でもあの歌以上に陽向を揺り動かす歌をあたしは知らない。


 もう何度あのドアの向こうに言葉を投げたかわからない。でもどの言葉も今の陽向には役に立たないんだろう。


 自分の部屋の戻ったあたしはつかさに通話をかける。陽向のことを相談できる数少ない相手だからだ。


「————リスナーの皆さん、こんばんわ。三千世界の鴉を殺し、きみと朝寝がしてみたい、アイドルVTuberの姫崎ルカです」


「何それ? あたしの真似?」


「うん、ルカの声真似も練習したんだけど、あんまり似なくてさ。やっぱり僕はひなたの真似の方が上手みたいだ。ほんと、早く復帰して欲しいよ」


 おかしなことにつかさの軽口も今は心地良く聞こえる。


「あのね、つかさ。陽向のことなんだけどね……」


 あたしは今日も陽向が部屋から出てこなかったことをつかさに伝える。陽向はここしばらく引き篭もったままだ。せめて学校が夏休みじゃなければ、外に行く口実も作れたんだろうけど。


「うーん、まあ放っておいていいんじゃないかな。そのうちお腹が空いたら出てくるでしょう」


 こんな時なのにつかさがのんびりした口調で言うので、あたしの頭に血が上ってくる。


「そんな冷たいこと言わないでよ! 陽向は大切な親友を失ったのよ。なのに、あなたは陽向が心配じゃないの?」


「うん、あんまり心配してないよ。あ、薄情だと思ったでしょ? 違うよ、陽向は大丈夫だって言いたいのさ」


「大丈夫じゃないわ、陽向、碌にご飯も食べてないのよ。部屋に閉じ籠って夕陽のあの歌ばかり聴いているの。もう、どうしていいかわからなくて……」


「まあ、それも思春期の女の子にはありがちなことだよ。それにね、僕は夕陽のこともあんまりネガティブには捉えてないよ。夕陽がいなくなったのは、陽向にはショックだっただろうけど、夕陽がそれを選んだのも、陽向の中でそれを受け入れる準備ができていたからだと思うな。たぶん陽向も無意識にそれをわかっているはずだよ」


「……でも、陽向にはまだ夕陽が必要だったわ」


「どっちにせよ、僕らじゃ夕陽の代わりはできないからね。陽向が自分で立ち直るのを待つしかないよ。僕らにできるのは陽向が戻ってくるまで、テレライブをますます盛り上げることじゃないの」


「そうね、それはわかってるけど……」


「それとも、夕陽を失って一番参ってるのはきみの方なのかな?」


「そうよ……だって当たり前じゃない。あの子は、あの子には陽向しかいなかったのよ。なのに、あたしたちがあの子から陽向を奪ったから、あの子は消えてしまったの」


「夕陽は消えたわけじゃないよ。それに、夕陽の傍にはきみもいたじゃないか。それだけは間違えちゃダメだ」


「ありがとうつかさ。そうよね、あたしもそう思いたい。でも、言葉でどれだけ言っても、それは証明にならないと思うから……あたしもあたしなりに頑張ってみる」


 またいつでもかけてきていいよ、ってつかさは言ってくれた。つかさはきっとこんな時でもいつも通りでいてくれたんだ。動揺しているあたしをつかさは冷静に諭してくれた。それが自分の役目だって彼女はわかっているから。


 やっぱり、あたしにできることは一つしかないよね。あたしはアイドルなんだ。いつだって誰かの希望でありたい。そのためには歌うしかないじゃないか。三千世界の彼方にだってこの声を轟かせてやろう。



 次の日、食卓にノートを広げて、あたしはペンを握っていた。思い付いたフレーズをそのままノートに書き留める。


 自分で曲を作るなんて初めてのことだった。作曲など素人のあたしがやっても拙い出来になるに決まっているけれど、それでも既存の曲ではこの気持ちを伝えきれないと思った。何より夕陽の歌をあたしは超えなきゃいけないんだ。それには歌唱の技術だけでは、話にならない。自分で心を込めて作った曲を陽向に聞いて欲しかった。


 あたしは曲作りを作詞から始めた。けど、陽向に伝えたい気持ちを言葉にするのは予想以上に難しくて、なかなか形になってくれない。自分がどれだけ楽をしていたのか、思い知らされる。VTuberとして歌手みたいに歌ってはいても、それはヒットソングのカバーだったりする。自分のオリジナル曲でも、プロに依頼して作ってもらった曲を歌うだけだ。本当の意味で、一から自分で曲を生み出していたわけじゃない。


 誰かの言葉に自分の想いを託すのも、それはそれで気持ちのいいことではあった。でも、今度は自分の言葉で、陽向に伝えなきゃいけない。自分の本当の気持ちをさらけ出しても、拒絶されるかもしれない、耳も貸してくれないかもしれない、もっとガッカリさせてしまうかもしれない。それを想像するだけで恐ろしくて震えてしまいそうだった。


「バカね、陽向はそんな子じゃないってわかってるのに」


 今まで陽向があたしにしてくれたことを思い出せばいい。陽向が言ってくれた言葉を、あたしにくれた気持ちをそのまま返してあげればいいんだ。


 ノートに言葉を紡ぐのに夢中で、あたしはその人がそばに立っているのに気付かなかった。


「そっか、あなたが姫乃ちゃんね」


「え?」


 あたしは驚いて顔をあげる。この家にあたしと陽向以外の誰かがいるなんて思いもしなかったからだ。


「ごめんなさい、集中していたのに邪魔しちゃったわね。コーヒーでも淹れようか。ちょっと、待っててね」


 あたしが戸惑っていると、その人はキッチンに入ってお湯を沸かし始める。カウンター越しに彼女をよくよく観察する。今初めて会ったばかりなのに、ずっと前から見知った仲みたいなそんな気がした。でも、その理由はすぐにわかった。彼女は陽向によく似ているんだ。一緒にいると陽だまりに包まれているみたいで、安心しきってまどろみに落ちてしまいそうになる、彼女も陽向と同じそんな不思議な空気をまとっていた。


「……もしかして、陽向のお母さんですか?」


「そう、陽向のお母さんですよー」


「でも仕事で海外にいるって……」


「そうよ、陽向のマネージャーさんが連絡をくれてね。別にVTuberをやるのは構わなかったのだけど、活動休止って言われたら心配になってきてね。仕事に区切りをつけて、私だけ戻ってきたの」


 そうか吉川さんが活動休止のことをお母さんに伝えたんだ。陽向からは基本的に両親は放任主義だと聞いてたけど、こういう時ばかりはそうもいかないということだろう。


「でも、明日には戻らないといけないの。これでも忙しいのよ。常にあっちこっち飛び回ってなきゃいけないから」


「随分大変なお仕事なんですね」


「そう、とっても大変なの。その分やり甲斐はあるけれどね。まあ、今は私のことより、陽向ね。姫乃ちゃん、あの子に何があったのか教えてくれる?」


 お母さんはマグカップを二つ持って、あたしの隣に座った。あたしはお母さんに陽向のことを話した。配信の途中でいなくなってしまった夕陽のこと、そして今の陽向の現状について。


「そう、遂にこの日が来てしまったのね。ねえ、姫乃ちゃん、夕陽は最後どんな顔をしていたの?」


「……あの子は笑っていました」


「そっか、うん。姫乃ちゃんも辛かったでしょう。ありがとう、夕陽のことを大事に想っていてくれたのね。陽向のことも面倒を見てくれたみたいで頭が上がらないわ」


 お母さんはマグカップを両手で握りしめて、苦々しい笑顔を見せる。


「いいえ、あたしは何もしてあげられてないです」


「そんなことないわ……ねえ、姫乃ちゃんは陽向の姉のことはもう知ってる?」


「そのことなら陽向から聞きました。確か陽向の誕生日と同じ日に亡くなったと」


「そうよ。病院の先生も手を尽くしてくれたんだけどね。それでも双子の出産は危険が伴うものなの。陽向は大丈夫だったけど、姉の方は助けてあげられなかった」


「え?」


 双子? そんな話は一度も聞いていない。驚きで咄嗟に声が出せなかった。


 あたしは陽向のこと何もわかっていなかったみたい。でも今度こそ知る時が来たんだ。目を逸らしてはいけない。それがここにいるあたしの役目なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る