25話 オレンジタルト

 国民的アイドル、リナシスの東條綾乃が起こした騒動は、テレライブVTuber天上ミロクの手によって大騒動に発展してしまった。テレライブ全員で火に油を注いだことで、これは世紀の炎上事件として歴史に刻まれることになった。


 ていうか、テレライブ事務所は今もその火消しに追われている。天上ミロクが言っていた通り、それは何の解決にもなっていなかった。だが問題の質が塗り替えられてしまったのは間違いない。騒動はリナシスの妹探しから、リナシスとテレライブの全面戦争という形に変わってしまった。


 事務所の会議室には、騒動を引き起こした主犯の天上ミロクと、関係者の陽向と姫乃が集められていた。ミロクはマネージャーの吉川に文字通り首根っこを掴まれている。いくら神様と呼ばれていても、生身のミロクはただの人間だった。VTuberの姿の時はわからなかったけど、ミロクは吉川に顔がよく似ている。もしかしなくともこの二人、姉妹らしかった。吉川朱美が姉で、ミロクが妹のようだ。


「とんでもないことしてくれたわね、ミロク。リナシスの事務所は業界でも最大手なのよ? どんな仕返しが待っているか知れないのよ! この不景気に失業なんて嫌よ、私」


「別にいいでしょ、そうなったら朱美もまたVTuberやろうよ。姉妹一緒に個人勢でやり直すのも悪くないよ。名前はお陀仏シスターズなんてどう?」


「私はもうVTuberはやらないわ。引退してサポートに専念するって決めたんだから」


「その割には全然サポートできてないよね。ミロクが頑張らなかったら、今頃ルカちゃんVTuber辞めてたかもしれないよ?」


「確かに私の無力さは認めるけどね。あんたが頑張ったせいで、今度は事務所が傾きそうなのよ」


「いいじゃん傾いているくらいでちょうどいいよ。ピサの斜塔だって傾いてないと面白くないでしょ。それと一緒だよ」


「……あんたと話してると頭痛がしてくるわ。だいたい昔からあんたは面倒事ばっかり起こして。誰が後始末をしてきたと思っているのよ!」


 さっきから私たちは吉川とミロクの姉妹喧嘩を見せられていた。二人の遠慮のない舌戦に姫乃も陽向も口出しすることができなかった。まあ、こっちの言い合いは喧嘩するほど仲がいいって類のものだろうから、安心して見ていられたけど。


「吉川さんもVTuberやってたんだね」


 陽向は隣の姫乃に耳打ちする。


「聞いたことがあるわ。突然引退した一期生の天上アシュラ。まさか吉川さんがそうだったなんて……」


「姉妹でVTuberなんてかっこいいね!」


 呑気な陽向に対して、姫乃はそれどころじゃない様子だ。自分がきっかけで事務所が傾くなんて言われたら、私でもゾッとするだろう。


「いや、待たせてすまない。急な来客があってね」


 会議室に社長の佐伯が入ってくる。相変わらず胡散臭い男だ。事務所の危機という割には涼しい顔をしていた。


 姫乃はすぐに立ち上がって佐伯に頭を下げる。


「佐伯社長、ご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありません。すべての責任はあたしにあります。今日は、その……覚悟をして来ました」


 佐伯は謝る姫乃を笑顔で見つめている。


「覚悟か。それはきみが東條綾乃の妹で、それを勝手に配信で名乗りでたことに関してだね」


「そうです。だから、あたし……」


「だが、きみに処罰を与えるとなると、他のVTuberも断罪しなくてはいけないね。だって、うちのVTuberはみんな東條綾乃の妹で、それを配信で暴露してしまったんだから。流石に全員をクビにするのは無理な話だな」


「でも、それはあたしのためにやってくれたことで……」


 佐伯は姫乃の肩に手を置いた。


「責任を感じているのなら、これからも事務所にますます貢献してくれたまえよ。傾いても倒れないくらいにはね」


「はい! あたし、頑張ります!」


 佐伯もたまには社長っぽいことを言うじゃないか。姫乃はこれからもVTuberを続けることができるらしい。てっきり姫乃も陽向もクビになるんじゃないかって思っていたから、私も安心した。陽向も姫乃に飛び付いて喜んでいる。


 まあ、それでも事務所が潰れたら全員クビなんだけどさ。


「それとね、お客さんがきみとも会って話したいことがあるそうなんだ。一緒に来てくれるかい?」


「あたしにですか? 構いませんけど」


 姫乃は佐伯と連れ立って社長室に向かう。面白そうなので私もそれに付いていった。


 中に入ると、社長室に置かれた来客用の黒革のソファにスーツ姿の女性と、キャスケット帽を深々と被って顔を隠した女が座っていた。


「あ、姫乃さんですね。初めまして、わたくし、グランドエンターテイメントの鏑木かぶらぎと申します」


 姫乃の姿を認めると、スーツの女性は立ち上がって地面にくっつくんじゃないかってくらいに頭を下げてくる。


「この度は弊社のタレントがご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした! 今弊社が全精力を上げてメディアやマスコミに圧力……牽制をかけているので、どうかこの件は手打ちにして頂けないかと……姫乃さんと、天上ミロクさんには特にご容赦を願いたいのですが……あ、あとこれはつまらないものですが、よろしければお召し上がりください」


 おそらくケーキかお菓子でも入っているんだろう、取手の付いた白い紙箱を鏑木は姫乃に渡した。こんなもので許してもらえるとは向こうも思っていないだろうが、形式的なやりとりというやつだ。人間というのは実に面倒くさい。


「あの、鏑木さん、どうか頭を上げてください。迷惑をかけてしまったのはこちらも同じですから……」


「いえいえ、元はと言えばうちの綾乃がしでかしたことですから。ほら、あんたも土下座して謝りなさい! 妹さんにちゃんと弁解しなさいよ」


 鏑木の裏で黙って座っていた女が顔をあげる。その正体は東條綾乃当人だった。この女、とても謝罪にきた態度とは思えない。鏑木に諭されても足を組んで座ったまま動こうともしないのだ。ほんとムカつく!


「……姉さん、来ていたのね」


 よくのこのこと顔を出せたものだ。まあ、綾乃が騒動を引き起こした張本人なのだから、直接謝罪に来るのが筋だろうけど。


「……別に謝る気なんてないから、生放送のトークだって本当のことを言っただけだし……私悪くないし」


 まるで拗ねた子供みたいな返事だった。テレビでは清純派アイドルで通ってるくせに、とんだ捻くれ者じゃない。まあ、VTuberと違って中身で勝負してないんだろうけどさ。

 

「姉さん、謝ってくれなくていいから、本当のことを教えて。どうしてあんなことをしたの?」


「……だって、姫乃が………………だもん」


「え? もう一回言って、姉さん」


 綾乃はいじけて声まで小さくなっていたから、姫乃も私も上手く聞き取れない。アイドルなんだから、もっとはっきり喋りなさいよ!


「姫乃が、VTuberなんかになるからだよ! なんでテレライブのオーディションを受けたの? どうしてリナシスじゃないのよ! 私ずっと姫乃が来るの待ってたのに……」


「……それが理由だったの? そんな理由で?」


「そんな理由って何よ! 姫乃も私と同じアイドルを目指すって言うから、私、心を鬼にして甘やかさないって決めたの。生半可な覚悟じゃアイドルなんて絶対無理だって分かっていたから。実際リナシス始めてからも辛いことだらけだったし。でも、私もいつか姫乃と同じステージに立つためにずっと頑張ったのよ」


 薄々感づいてはいたけれど、綾乃は別に姫乃を嫌っていたわけじゃないみたいだ。ただ綾乃は妹がVTuberになったことが許せなくて、こんなことまでしてしまったんだろう。この姉妹いったいどこまですれ違うつもりなんだ。あまりにもすれ違いすぎて、妹は別の道に進んでしまったじゃないか。


「リナシスって名前だって、姫乃のために考えたのよ!」


「どういうこと?」


「だから文字通りよ、リナシメントシスターズ、リナシメントは再誕って意味。要するに再誕する姉妹ってこと。だから姫乃がメンバーに加わって、リナシスは完成なの。姉妹アイドルとして再誕するって願いを込めてこの名前にしたの」


「ああ、だからそんなにリナシスって名前に拘ってたのね。メンバーが姉妹じゃないのにシスターズは変だって何度も言ったのに、この子全然譲らなかったのよ」


 鏑木が納得したように頷いていた。ていうかそんなわがままを通してしまうなんて、綾乃は相当な頑固者らしい。そんな頑固者がお誂え向きの名前まで用意して妹を待っていたのに、急にVTuberになるなんて言われたら、怒りたくもなるんだろう。初めから素直に言えばよかったのに。


「……そうだったのね。良かった。ずっと嫌われたと思っていたから」


 姫乃はすべての霧が晴れたような清々しい顔で笑っていた。


「何も良くないわよ! 姫乃、今からでもリナシスに入ってよ。VTuberなんて辞めて、私と一緒にアイドルで天下を取るの」


 うるさく騒ぐ綾乃に、姫乃は首を振った。


「姉さん、ごめんなさい。嬉しい誘いだけど、それはできない。最初の理由はどうであれ、今はVTuberを続けたいの。こんなあたしを応援してくれるファンがいるから、支えてくれる仲間がいるから……」


「ふん! いいわよ! 私はまだ諦めないからね! VTuberなんて私とリナシスでオワコンにしてやるんだから!」


 国民的アイドルは膨れっ面を浮かべながら、部屋を出ていった。鏑木は謝罪を繰り返しながら、そんな彼女を追いかける。まったくはた迷惑な姉もいたものだ。あとで、入り口に塩でも撒いとくといい。




 姫乃が会議室に戻ると、陽向が一人で待っていた。吉川とミロクはどこかに消えてしまったようだ。陽向が言うには、二人でやけ酒を飲みに行ったらしい。


「姫乃ちゃん、なんだか嬉しそうだね。良いことがあったの? あれ、その箱は何?」


「ああ、お客さんからお菓子を頂いたのよ。陽向と夕陽で食べていいわよ」


 姫乃はお菓子の入った白い箱を陽向の前のテーブルに置いた。


「わあ、ありがとう! ゆうちゃん、どら焼きだといいね」


 いや、私はマカロンがいいわ。ていうかずっと思ってたけど、どら焼きが好きなのは陽向でしょ。


 陽向は箱を開けて中身を確かめる。


「ねえ、やっぱり姫乃ちゃんも一緒に食べようよ。これ、手作りみたいだよ」


「手作り? そうなの?」


「うん、しかも姫乃ちゃんの好きなやつ。わたし、事務所の人に食器借りてくるね」


 陽向がそう言って出ていったあと、姫乃はそっと箱を覗き込んだ。夕焼け空みたいに煌めくオレンジタルトがそれを出迎えてくれる。


「……覚えていてくれたのね」


 人間は本当に面倒な生き物だ。そんな遠回しにしか本当の気持ちを伝えることができないんだろうか。でもまあ、下手な言葉を使うよりこっちの方があの二人はすれ違わずに済むんだろうけど。


 私はそれを陽向にどうやって伝えよう。……言葉だけじゃきっと足りないよね。


 


 



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