23話 VTuberの神様

 墓場ってのは私が一番嫌いな場所だ。似たような墓石が並んでいるだけで退屈だし、こんなところをぽわぽわ浮かんでいたら自分が陽向に取り憑いている幽霊みたいに思われそうで嫌気がする。


 そして何より自分の折角の誕生日に墓参りなんてしなきゃいけない陽向が不憫だった。誕生日がそのまま姉の命日なんて、不幸とまでは言わないけど、残念な子だとは思う。特に今年は最悪の誕生日になりそうだった。


 陽向とお墓の場所まで向かいながら、私は気晴らしに歌を口ずさむ。これでも陽向よりは歌が上手に歌えるのだ。まあ、私もこの一曲しかまともに歌えないのだけど。


「ゆうちゃん、最近その曲よく歌ってるね。英語の歌だから歌詞はよくわからないけど、良い曲だね」


 そうね、気に入っているの。


「アニメの曲だよね、なんのアニメだっけ?」


 エヴァよ、エヴァ。陽向も一緒に観たでしょう。


「ああ、わたし、あの映画怖くなって途中で観るのやめちゃった。ねえ、ゆうちゃんの方がわたしより歌が上手だから、配信でもその曲歌って欲しいな」


 嫌よ、人前で歌うなんて。


「でも、わたしが歌うとみんなジャイアンみたいだって揶揄うんだよ。リスナーさんもゆうちゃんの歌が聴きたいと思うな」


 そう、でも今はそれどころじゃないでしょう。


「……そうだね。姫乃ちゃん、本当にVTuber辞める気なのかな。そんなの嫌だよ。わたし、もっと姫乃ちゃんの歌が聴きたい」


 姉の墓の前に着いて陽向は言った。墓参りには一応姫乃も誘ったのだけど断られてしまった。


 陽向は村谷家のお墓を綺麗に掃除した後、仏花とお供物と線香を置いて、墓の前で手を合わせた。


「お姉ちゃん、どうか姫乃ちゃんのことも守ってあげてください」


 無駄だよ、そんなことしたってそこには誰もいないんだから。


 陽向は唇を噛んだ悔しそうな顔で私を振り向いた。


 私は事実を言ったまでだ。死後の世界なんてありはしない。故に幽霊も存在しない。初めてできた友達の危機に、神様仏様に祈りたくなる気持ちはわからないでもないけど、それ自体がもう諦めってやつなんだよ。


「ゆうちゃんの意地悪! 帰りにどら焼き買ってあげないからね!」


 だからどら焼きは別に好きじゃないって言ってるのに。ああ、やっぱり墓場は嫌いだ。人間はなんでこんな無用の長物を未だに捨てられないのだろう。


「わたし、姫乃ちゃんに何もしてあげられない。姫乃ちゃんとVTuberを続けたいよ。でも、どうしていいかわからなくて……」


 陽向は目を押さえて涙をぼろぼろと溢した。陽向の泣き虫はいつまで経っても治りそうもない。


 じゃあ尚更、墓石なんかに話しかけてる場合じゃないでしょう。せめて生きている人間に助けを求めなよ。


「そうだね……わたし、弱気になってた。ごめんね、ゆうちゃん」


 あんたの弱気なんて今に始まった話じゃないよ。昔からあんたはいつもぐずぐずしてばっかで、何をするにも私がいないと駄目でさ。もう慣れっこだよ。私は何度でも陽向の背中を押すよ。あんたが前に進むまで、日の当たる明るい場所に出るまで。


「うん、そうだったね。これからもよろしくね、ゆうちゃん」


 そう言って陽向はスマホで電話をかける。画面を見なくても相手の予想はついた。陽向が頼れる相手などそう多くはない。コール音の後につかさの声が聞こえ始める。


「どうしたのさ、陽向? いや、姫乃のことだって察しはついているけどね」


 陽向はつかさに昨日の出来事を話した。姫乃の姉との確執、そしてVTuberを辞めると言ったこと。それを話すことに陽向は躊躇わなかった。つかさを仲間として信用しているからだ。


「そう……姫乃辞めるって言ったんだね。でも、僕もそれが一番の解決策だと思うよ。もちろん、認めるのは悔しいけどね」


 つかさのその言葉に陽向が納得するわけもない。


「そんな……何か他に方法があるはずだよ。それに姫乃ちゃんは何も悪いことしてないよ? なのにどうして姫乃ちゃんが辞めないといけないの?」


「少し落ち着きなってば、陽向。まずね、姫乃が名乗り出ることで、この不毛な犯人探しを終わらせることができる。自分が妹だって認めれば、他のVTuberの素顔を探ってる連中も一気に姫乃に的を絞るだろうからね」


「でも、だからって辞めることはないよね?」


「たぶんね、姫乃はこれからのことも考えているんだよ。自分がテレライブに残れば、またお姉さんが今回みたいな嫌がらせをしてこないとも限らない。姫乃がVTuberを辞めれば、その心配もなくなる。姫乃が一番恐れているのは、これ以上仲間に迷惑をかけることだ。今回の責任を取るって意味ももちろんあるんだろうけど」


「責任って、姫乃ちゃんは悪くないよ!」


「悪いことをしていなくても、割りを食うことはあるよ。有名税って言うのかな。僕ら兄妹もその界隈では名が通ってたからわかるんだ。トップアイドルの姉がいて、自分もVTuberをやっているんだ。それだけで世間を騒がすリスクを抱えてるってこと。僕だって納得はしたくないよ……」


 つかさの言っていることは間違ってない。姫乃がVTuberを辞めることがこの事態を穏便に終わらせる唯一の方法なのかもしれない。陽向にもそれはわかっているはずだ。


「つかさちゃんも、どうにもならないって言うの?」


「悪いね。今回は僕の浅知恵じゃ、何もできそうにないよ。姫乃に何かしてあげられるのなら、喜んで協力したいけど」


「そっか、うんわかった。ごめんね、急に電話しちゃって」


「構わないよ。ひなたも、そんなに気を落とさないで。姫乃がVTuberを辞めたからって、別に死ぬわけじゃないんだからね」


 そりゃそうだろうけど、そんな身の蓋もないことを言われたって困る。せっかく陽向が頼ってあげたのに、この忍者まるで役立たずじゃない。


「なんか夕陽に悪口言われている気がする。ごめんね、なんも役に立てなくて……いや、待てよ。有名税って言うなら、僕なんかよりよっぽど詳しそうな人がいるじゃないか」


「え、誰のこと?」


「だからさ、僕らの仲間で一番の有名人に助言を求めてみたら? 炎上にも一番詳しそうだしね。テレライブのトップVTuber、天上ミロクだったら何か策を持ってるかもしれない」


「ミロク先輩? そっか、わかった。聞いてみるね」


 天上ミロク、テレライブのオリジンであり、トップであり続ける存在で、リスナーからはVTuberの神様と呼ばれている。数多のVTuberの中でも常に上位の人気を持ち、世界で最も影響力を持つ配信者の十人に選ばれている。彼女こそが正真正銘の化け物だった。


 陽向はまだコラボしたことがないが、当然彼女のことはよく知っている。ちなみにあのつかさチャレンジを最初にクリアしたのも彼女だ。常にVTuber界の話題の中心にいる彼女は陽向にとっても憧れの先輩である。


 一応、連絡先は知っていたので、陽向はすぐに彼女に連絡をとってみる。コミュ障の陽向が、あまり交流のない先輩に自分から積極的に連絡を取るなんて大した成長だ。もっとも今はそんなこと陽向も気にしていられないのだろう。


「あ、あの、初めまして! わたし、青空ひなたです。急で申し訳ないんですけど、ミロク先輩に折り入ってお話がありまして……」


「え? ひなたちゃん? 直接話すのこれが初めてじゃん。よろしくね。それで、ひなたちゃんは大丈夫? なんか今事務所から外出禁止令みたいのが出てて、絶対外から出るなって言われてるの。正直、それって私たちの得意技なんだけさ、おどろおどろしい雰囲気っていうか。配信も控えるよう言われちゃったし」


「わたしは大丈夫です。でも、姫乃ちゃんが……」


「姫乃……ああ、姫崎ルカちゃんのことね。朱美あけみから事情はだいたい聞いてるよ」


「朱美? あ、吉川さんですね」


 確か吉川の下の名前が朱美だったはずだ。ミロクは吉川とも親しい間柄なんだろう。しかし、マネージャーを下の名前で呼ぶなんて、非常識というかVTuberらしいというか。


「それで、ひなたちゃんの話っていうのは何かな?」


 陽向はミロクにも事情を説明した。姫乃がVTuberを辞めずに事態を解決する方法がないか、助言を求める。つかさが言っていたように、有名人ならその影響力を制する術も何か知っているんじゃないだろうか。ほとんどヤケクソだけど。


「うーん、つかさちゃんの言う通り、ルカちゃんが辞める以外に解決策なんてないんじゃないかな? 今の騒動に無視を決め込んでも、いずれは姫乃ちゃんが妹だってバレるだろうしね。どちらにせよ、ルカちゃんが今まで通り活動を続けるのは無理ってこと。ひなたちゃんが余計なことしてもそれは火に油を注ぐようなものだよ」


 結局、天上ミロクの結論も同じだった。それもそうだろう。何かできることが残っているなら、陽向より先に事務所が手を打っているだろうから。


「……やっぱりそうですか。わたしたちには何もできないんですね」


「いや、解決策はないと言ったけど、何もできないとは言ってないよ」


「へ?」


「解決は無理だよ。リナシスの綾乃もそれをわかってやったんだろうしね。でも、解決ができないならできないで、やりようはあるよ」


「解決できないのに、やれることがあるんですか?」


「あ、ひなたちゃんってさてはお利口さんタイプでしょう? 親の言うこととか素直に聞いちゃう系。私は真逆でさ、天性の悪戯っ子、悪童タイプなの。だから、こういうときもどうやったらゲームの盤をひっくり返せるか考えちゃうんだ。正攻法で挑んでも詰んじゃうだけだからね」


「ゲームの盤をひっくり返す?」


「そう。例えば、親が大切にしている壺を間違って割ってしまった時、ひなたちゃんだったらどうする?」


 陽向は考える必要もなく答えた。


「親に正直に言って謝ります」


「それがお利口だって言ってるのさ。それじゃあ、怒られちゃうよ。他にいい案はないの?」


「えっと、じゃあ壺の破片を隠します」


「けど、壺が無くなったことは隠せないよ」


「……あ、代わりの壺と入れ替えるとか?」


「お、少し良くなったね。他のやり方は?」


「あの、正解を教えてくれませんか?」


「正解なんてないよ、やり方が無数にあるだけ。正直に言うのが最善手かもしれないし、他にもっと冴えたやり方があるかもしれない。そうね、私だったら家に火を放つかな」


「え? そんなことしたらもっと大変なことになりますよ」


「そうだね、でも家が燃えていたら誰も壺のことなんて気にかけない。これも一つのやり方だと思うな。私、最初に言ったよね。余計なことをしても火に油を注ぐようなものだって」


「えっとそれは余計なことをするなって意味なんじゃ?」


「あれ、余計なことをするなって私は一言も言ってないよ。むしろ余計なことをするしかないよ。どうせ勝てない勝負なら、相手の顔に泥くらい塗りたくない? 初めに喧嘩を売ってきたのはリナシスの方だ。黙って殴られてやるのは癪だからね。ねえ、ひなたちゃん」


 もしかしたら陽向は相談する相手を間違えたのかもしれない。陽向が頼ったのは神様は神様でも、VTuberの神様なのだ。トップVTuber、天上ミロクは想像以上に危ない奴だ。


「ルカちゃんがこんなことで私たちに迷惑をかけると思っているのなら、先に私たちがもっと迷惑をかけてやろうよ。ほら、昔から言うでしょ、赤信号みんなで渡れば怖くないってね」


「赤信号?」


 その時は私も陽向もわかっていなかった。テレライブが始まって以来、最も大きな炎上事件の火蓋が切って落とされたことを。そしてやっぱりその渦中の中心にいるのは、天上ミロクその人なのであった。

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