21話 陽向の姉

 陽向がVTuberになってもう三ヶ月ほどの時が経とうとしていた。


 学校は夏休みに入って、時間にも少し余裕ができた。


 青空ひなたとしての活動は順調だったし、不仲と言われていた三期生の仲も——まあ、姫乃とつかさは今でも時々いがみ合っているけど——問題ない。


 問題児だらけと身内からも揶揄された三期生も今ではすっかりテレライブを支える一翼になりつつあった。三期生メンバーは先輩VTuberからも気に入られ、可愛がられている。あのコミュ障の陽向でさえ、先輩とのコラボを何度かこなしていた。


 いずれは後輩も入ってきて、三人が新人と呼ばれる時期も終わるのかもしれない。


「陽向、明後日の誕生日配信はもう何をやるか決めているの?」


 姫乃との共同生活もすっかり板についてきた。吉川が狙っていた通り、同居生活は二人の配信の基盤になっている。いつも二人で過ごしているから、互いの話題には事欠かず、オフコラボもしやすい。歌に頼りがちな姫乃にとっては配信にバリエーションを持たせる強力な武器になっていた。


「あたしにできることだったら協力するわ。先輩にも声をかけてもいいし、まあ不本意ではあるけどつかさを呼んでもいいわよ」


「ありがとう、姫乃ちゃん」


 陽向にしてもそれは同じことで、姫乃の存在が大きな支えになっている。コミュ障な陽向に代わって、先輩との間を取り持ってくれたり、陽向の苦手な歌を教えてくれるので非常に助かっている。


「でもね、その日は配信できないんだ」


 そこで和やかに続いていた会話に陰りが生まれる。姫乃は鋭い表情で陽向を睨んだ。


「何を言っているの? 誕生日配信が重要なことは陽向もわかっているでしょう?」


「うん、わかってる。ごめんね」


「……何か理由があるのね?」


 陽向は後ろめたさから俯いてしまう。今までずっと姫乃にそれを黙っていたことに引け目を感じていたんだろう。別に隠していたわけではないけれど、聞かれなければ言わずに済ませたいような類のことだった。


「もう吉川さんには話したんだけどね。その日はどうしても外せない用事があるんだ」


 私にとってはもう毎年のことなので驚きはない。7月24日、陽向にとって誕生日は、もう一つ別の意味をもつ特別な日なのだ。


「どうして? 自分の誕生日よりも重要な用事なの?」


「それは……」


 陽向は姫乃に言うか迷っているようだった。不安げな顔が私に向けられる。どうしようか、と陽向は目で問いかけている。


 いいんじゃない、姫乃には話しても。


 陽向が信頼できる友達にだったらそれくらいは話してもいいだろう。これからも一緒に暮らしていくのなら尚更だ。


「わたしの誕生日はね、実はお姉ちゃんの命日でもあるんだ」


 この家にある二つの子供部屋、それは本来なら陽向の姉が使うはずだった部屋なのだ。少なくともこの家を建てた時はその予定だった。結局は姫乃が来るまで、あの部屋は空っぽのまま放置されていたんだけど。


「……そう、そうだったのね」


 姫乃はそれでようやく合点がいったという感じで言う。


「お姉さんを亡くした悲しみから、陽向は心を閉ざしてしまった。それで友達が上手に作れなくて、そのあまりの寂しさから夕陽を作り出したのね」


 どうやら姫乃の中では既にそういうストーリーが出来上がっているようだ。さすがの私もその出来の良さには閉口するしかない。


「え? 違うよ?」


「へ?」


「わたし、お姉ちゃんに関してはあんまり悲しいとかないんだ。あと、友達ができないのはコミュ障な性格のせいだし、ゆうちゃんは気付いた時には傍にいたよ」


「そんなの嘘よ! じゃあ、今までのこれみよがしな伏線はなんだったの?」


「伏線って? 姫乃ちゃん何を言ってるの?」


 伏線? 映画でもあるまいし、そんなのが張り巡らされているはずもない。まったく姫乃もVTuberになるくらいだから、随分と想像力がたくましいみたいだ。


 陽向が言っていることは嘘じゃない。陽向の姉が亡くなったのは、陽向が生まれる前の話であって、陽向には姉の記憶など皆無。姉がいることを両親から知らされたのは小学生の時で、それまではずっと一人っ子だと思っていたのだ。後から姉の存在を知らされたところで、陽向も私も実感が湧かないというのが正直なところだ。


「いま、お父さんもお母さんも仕事で海外に行っているから、今年はわたしがちゃんとお墓参りしなきゃなんだ。お墓はね、田舎のお婆ちゃん家の近くにあるから、帰省しないといけないの。配信できないのはそういう理由だよ」


 陽向はけろっとした顔で語る。姫乃に全部話せてスッキリしたんだろう。


「だからね、しばらく姫乃ちゃんお家でお留守番になっちゃうんだ。一人が寂しかったら、つかさちゃんに来てもらってもいいからね?」


 陽向は帰省している間、姫乃を一人きりにすることを心配していたみたいだ。姫乃がペットのうさぎじゃないってこと、誰か陽向に教えてあげた方がいい。


「そう、そうだったのね。あたしは別に大丈夫だから、心配しないで。それで陽向はいつ向こうに行くの?」


「明日の新幹線に乗っていくつもり。これから荷物の準備しないと。ああ、楽しみだなあ。お爺ちゃんもお婆ちゃんも元気にしてるといいけど」


 友達のいなかった陽向にとって家族や親族は心の許せる数少ない存在で、祖父母にも陽向はよく懐いていた。向こうもそんな孫が可愛いようで、陽向が遊びに行くといつもご馳走でもてなしてくれるのだ。だからお墓参りと言っても、そんなに辛気臭いイベントじゃない。


 鼻歌で尾崎を歌いながら、陽向は荷造りを始める。姫乃もそれを手伝っていた。再び和やかな空気に戻ったかと思えば、電話の音がそれを遮った。


「あ、吉川さんからだわ。もしもし?」


 姫乃は自分のスマートフォンを耳にあてがう。


「姫乃? いまどこにいるの?」


 吉川の声はいつになく切羽詰まっている。


「陽向の家ですけど……」


「今すぐ、そこから脱出するわよ!」


 内容に反して吉川の口調は真剣そのもので、冗談で言っているわけではなさそうだ。


「脱出? どうしたんですか?」


「陽向は一緒にいる?」


「ええ、一緒ですけど。吉川さん、何をそんなに焦っているんですか?」


「詳しい話は後でするわ。今すぐ戸締りして、家中のカーテンを閉めて。そこで陽向と一緒に待機してなさい、それから泊まりになるかもしれないから、荷物を用意すること。今、車を飛ばしてそっちに向かってるから」


 電話そこで切れてしまった。吉川の尋常じゃない空気に、姫乃も陽向もとりあえず吉川の指示に従った。私も一応家の周りを飛び回ってみるが、異常は見当たらない。


 いったい何が起きたというんだろう。碌でもないことなのは確かだった。

 

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