16話 ヘッドセットの声

 テレビでサイコメトリーと呼ばれる力を持った人の特集番組を見たことがある。テレビに出てきたのは、FBIの超能力調査官と、霊媒師の女性だった。彼らは超心理学的能力によって、物体に触れるだけでそれにまつわる何らかの情報を得ることができる。番組を見た私は、それが陽向だけの特別な才能じゃないってことを知った。


 人が触れた物には多かれ少なかれ魂の残り香とでも呼ぶような痕跡が残る。強烈な記憶や深い感情が刻まれるほどにその香りも強まっていくのだけど、私にはそれが微かながらも知覚できた。それでも、そこにあるとわかるだけでそこから情報や記憶を読み取ったりはできない。


 けど陽向は違う。イマジナリーフレンドを生み出してしまうほどの優れた感受性を持った陽向は魂の痕跡に感応することが出来た。それはまるで超能力者みたいでかっこよく便利な力に思えるかもしれないけれど、物に足跡を刻むほどの人の心に触れることは尋常じゃない負担を伴うのだ。それが他人の感情であっても、陽向は容赦なくそれに共感し引き摺られてしまうからだ。


 私が痕跡を知覚できるのは、おそらく陽向自身が危険を避けるために無意識に作り出した防衛機制ぼうえいきせいなんだと思う。


 陽向に危険を伴うこと、そして倫理的にも許されないことだから、偶発的な事故を除いてその能力を使ったことは一度もない。もっとも感情の籠った思い出深い品は、誰でも肌身離さず持っているか、大切に仕舞い込んでいるから、簡単に他人の手に渡したりはしない。陽向が能力を自覚してからは、不意に力を使ってしまうようなことはなかったんだ。


 けどもしかしたら、陽向が人との触れ合いに積極的になれなかったのは、この力のせいなのかもしれない。そうでなくても、人の感情が痛いほど理解してしまう子なんだ。分かり合える友達を求めながらも、同時にそれに怯えてもいたんじゃないだろうか。


「教えて、ゆうちゃん。つかさちゃんのそれはどこにあるの?」


 私はもう一度、つかさの部屋を観察した。やっぱりゲームに関わる物だろうか。パソコン、キーボード、マウス、いや違う、どれも痕跡が弱い。陽向が触れられるのは、もっと克明に穿たれた痕跡だけだ。


 痕跡が放つ匂いが一番濃い場所はすぐにわかった。ゲームソフトが詰まった棚だ。おそらくはそれぞれのゲームごとに感動したり、プレイした思い出が残っているせいだろう。だが、その一つ一つを確かめることはできそうもない。そんなことしていたら、陽向の体力が到底持つわけもないからだ。一つに的を絞らなければ、確実に失敗は目に見えている。


 だめよ陽向、わからない。そんなに簡単に見つかるわけないわ。


「嘘だよ。ゆうちゃん、本当は見つけたんでしょう?」


 私は舌打ちする。長い付き合いだからか、嘘を吐けば互いにすぐわかってしまう。


 ……ゴミ箱よ、その中にある。


 間違いなかった。でも、そんな場所にそれがあること自体不可解だ。別に陽向が来るからそこに隠したわけでもないだろう。つかさはきっと自分でそれをゴミ箱に捨てたんだ。


 陽向がゴミ箱を漁ると、マイク付きのヘッドフォン、いわゆるゲーミングヘッドセットが出てきた。黒とオリーブを基調としたカラーで、角張ったデザインをしている。見た目には壊れている様子もなく、しっかりとした作りは高級感さえあった。たとえ故障していたとしても、普通はゴミ箱に投げ捨てたりしないだろう。


「これだね、ゆうちゃん」


 ええ、そうよ。


 陽向は迷うことなくそれを頭に被った。私はキメラモードで、陽向の片耳を借りることにした。陽向だけにその重荷を背負わせたくなかったからだ。


 そして電源の入っていないヘッドセットから、その声は聞こえ始めた。


「つかさ、誕生日おめでとう。これ、兄ちゃんからのプレゼントだ」


 それは若い男の人の声だった。耳がくすぐったくなるような優しい響きがそこにはあった。


「ありがとう! 開けていいの? ……あ、ゼンハイザーのゲーミングヘッドセットだ。しかも限定色じゃん! 僕の欲しかったやつだ」


 プレゼントにはしゃぐ女の子は、聞き間違えるはずもない。つかさの声だ。そうか、このヘッドセットはお兄さんからの贈り物だったんだ。どうしてそんな大切な物がゴミ箱に入っていたのか。私はもうこの続きを聞きたくなかった。


 そもそも知ってはいけなかったんだ。これはつかさの隠された部分なんだから、それを覗き込むことは許されることじゃない。


 他人のことなんて全部知る必要もなければ、理解する必要もない。誰かを完全に把握して、理解するなんてそれだけでもう狂気の沙汰だ。人は仮面を被っているくらいで、ちょうどいい。それこそ、VTuberのようにアバターを通して触れ合う方がよほど安全なんだろう。


 つかさはこのヘッドセットを使ってお兄さんとオンラインのシューティングゲームを遊んでいたみたいだ。会話の内容から、このゲームの大会に備えて二人で練習していることがわかった。お兄さんは、上海にあるプロゲーマーチームとの契約が既に決まっていて、この大会が彼がアマチュアとして出場できる最後の機会だということらしい。


 練習の合間に休憩を挟んだ二人は兄妹で大会に出るのが楽しみだと口々に話していた。私は兄妹のことなんて碌に知らないけど、こんなに仲の良い兄妹もなかなか珍しいんじゃないかと思う。


「でも、安心したよ」


「何がさ?」


「俺が上海に行っても、つかさとはゲームで繋がっていられるだろう。まあ、ほんのちょっとのラグはあるかもしれないけどな」


「うわ、そのキモいシスコンいい加減病院で診てもらいなよ。そんなんじゃあ、向こうでも彼女できないよ」


「うるさいな。つかさだってゲームが恋人だろ?」


「いや、僕はもう普通に彼氏いるけど」


「なに! そんなの兄ちゃん知らないぞ、どこのどいつだ!」


「馬鹿だね、嘘に決まってんじゃん。男と遊ぶくらいなら、ゲームしてた方がマシだよ」


「はあ、よかった。心臓が止まるかと思ったぞ。だけど、つかさもいつか恋人とか連れてくるんだろうな。そしたら兄ちゃん迷わずヘッドショット狙ってくわ」


「そういうのがキモいって言ってんの。まあ僕の恋人になるなら、少なくとも兄貴よりはゲーム上手くないと駄目だね。雑魚に恋愛感情湧かないと思う」


「じゃあ、つかさは一生独身だな。なぜなら俺は世界一になる男だからな。今度の大会も楽勝で優勝してやるよ」


「この人、シスコン活力にしてるよ、ほんとキモいなぁ」


 キモいキモいと繰り返してはいたけれど、つかさはお兄さんと大会に出場できるのが嬉しくて仕方ないようだった。練習の間も、つかさの声が弾んでいるのがわかる。


 そうして迎えた大会当日、兄妹コンビのチームは破竹の勢いで他のチームを圧倒していた。この二人、相当複雑な戦況の中を戦っているのだろうに、激戦の最中でも本当によく喋る。素早くそして恐ろしく正確な判断をして、指示や情報を飛ばしあい、阿吽の呼吸で緻密な連携をしている。他のチームも頻繁にコミュニケーションを取っているんだろうけど、チームワークという点で、この兄妹には敵わないんじゃないかと思う。


 しかし、大会の終盤、その連携が仇となる事態が起きる。二人のあまりに的確な連動に気づいた敵チームが、それを逆手に取った作戦をぶつけてきたのだ。二人のコンビネーションや判断が正確なことがわかっているからこそ、敵チームがその動きを予測できてしまったということらしい。


 敵チームは絶妙なタイミングで攻撃を仕掛ける。最初に狙われたのは、僅かにプレイスキルの劣るつかさの方だった。つかさは数的不利と分断を恐れて退き始める。それと同時に兄は妹の援護に向かう。ちょうどその二人の合流地点で別の敵チームと遭遇するよう、襲撃のタイミングは謀られていた。二人がその罠に気付いた時には既に遅く、他のチームと乱れて混戦となったところを後ろから追撃されてしまった。乱戦で、あらかじめターゲットを定めていた側にがあった。


 そこで二人は敗退してしまう。巧妙な攻撃を仕掛けてきたチームも、また別のチームに倒されてしまった。ゲームで勝つことがいかに難しいか、それを痛感させられる戦いだった。


「……残念だったな、でもいい勝負だったよ」


 試合の流れを振り返る感想戦を終えてから、お兄さんは言った。


「負けたら意味がないよ! ……ごめん、僕のミスだ。索敵が甘かった。場が乱れた時の判断も遅かった。僕のせいで負けたんだ。これが最後の大会だったのに……」


 その悔しさの滲んだ声が、彼女がこの戦いに入れ込んでいた何よりの証左だった。


「そう言うなよ、楽しかったじゃないか。俺たちは完璧だったさ」


 おそらくはお兄さんの言う通り、つかさにも決定的な敗因だと言えるほどのミスはなかったはずだ。


「楽しくなんかない!」


 つかさの絶叫には机を叩く拳の音が混ざっていた。


「負けたのに楽しいわけないよ! 完璧だった? 完璧なのに負けたのなら、それは弱いってことだ。弱いから負けた。僕が弱いから勝てなかったんだ」


「つかさ……」


 ヘッドセットはそこで床に投げ出されたのだろう。衝撃がくぐもった音として伝わる。床に捨て置かれたそれは、彼女がむせび泣く声まで拾っていた。


 それからどれだけ時間が経ったんだろう。もしかしたらその時にはヘッドセットはゴミ箱の中にあったのかもしれない。ドア越しの声が沈黙を破った。


「つかさ、少し話さないか? 飛行機の時間まで、まだ余裕があるんだ」


「…………」


「母さんから聞いたよ、テレライブのオーディション通ったんだってな。つかさは可愛いから、きっと人気でるよ。もしかしたら、俺なんかより稼いだりするかもな。ゲーム実況も続けるんだろ?」


「……ゲーム実況はもうしないよ。下手くそなプレイほど、退屈なものはないからね」


「なんだ、まだ気にしてたのか。あんまり勝ちにこだわるな。ゲームの面白さはそれだけじゃないだろう?」


 お兄さんはそれがつかさを慰める言葉だと思ったんだろう。けど、それは全く反対につかさの逆鱗に触れてしまった。


「思ってもないこと言うなよ! 僕は知ってる。兄貴はずっと勝ちに拘り続けた、今も拘り続けてる、渇望してる。だから、海外まで行くんだろ? なのに、なのに、そんなこと言うなよ……余計に惨めになるじゃないか」


 怒声は勢いを失って、絶望に変わる。兄から優しく見限られた絶望だ。勝つことを望まれない、期待されない、弱者への慰めはつかさにはどこまでいっても毒だった。


 だめよ、陽向。それ以上は……


「違う! 違う! つまらなくなんてなかった。楽しかったよ。わたしは——は、もっと兄貴とゲームがしたかったんだ!」


 陽向はヘッドセットを両手で包み込んで、膝から崩れ落ちる。涙が留めどなく流れる。


 陽向、あなたはつかさじゃない! お兄さんなんていないの!


 私は必死に陽向に呼び掛ける。せめてヘッドセットを外さないと。手だけ交代した私は、陽向の頭からそれを外した。それでも変わらず、陽向の呼吸は乱れたままだ。


「どうしたの? すごい声したけど?」


 部屋のドアが開けられて、つかさが入ってくる。床に崩れ落ちた陽向を見つけて、つかさは駆け寄って抱き寄せる。


「どうしたのさ、陽向? 救急車呼ぼうか? ちゃんと話せる?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせたつかさは、遅れて陽向の手にあるヘッドセットに気付いた。


「どうしてそれを? 何があったのさ?」


「……つかさちゃん、だめだよ。ゲームを辞めちゃだめだよ。本当はつかさちゃんもわかってるでしょう?」


「まだ言ってるのかい? 今はそれどころじゃないだろうに」


 つかさに介抱されながらも、陽向は同じことを繰り返した。結局、陽向の容態が落ち着いて眠りに落ちるまでそれは続いた。そんな陽向につかさはただ苦笑いを浮かべるだけだった。

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