12話 第三の少女現る。
私と陽向の聖域に異物が入り込んでからもう一週間が経つ。
異物=東條姫乃は同棲生活の初めこそは
あの女、同じ家に住んでいるからって毎日陽向と一緒に登下校をしているのだ。陽向と仲良く談笑しながら登校している姫乃の姿には本当に反吐が出る。
それだけじゃない。放課後は一緒に仲良く夕飯の買い物なんかしたりする。あの女、私が食べれないのを知ってるくせに、いつも美味しそうな献立ばかり思いつきやがるのだ。
そもそも陽向はあの女に毎日のように手料理を振る舞っていた。私だって陽向の作ってくれる料理をあんまり食べたことがないのに、あの女はそれを豚みたいに喜んで貪り食うのだ。陽向も陽向で、一緒に食べるとご飯が美味しいね、なんて
それだけならまだいい、まだ許せる。問題は夕食の後だ。あの女、図々しいことに陽向と一緒にお風呂に入り始めたんだ。いや、友達の背中を流してあげるのが夢だったんだ、などと妙なことを言い出したのは陽向だけど、あのいやらしい売女はそれを口実に顔を赤らめながらも浴室に入っていったんだ。陽向の裸を見ていいのは私だけなのに!
お風呂場で、仲良く互いの背中を洗い合ったり、一緒に湯船に浸かって歌なんか歌ったあとは、二人ともパジャマに着替えて髪をドライヤーで乾かし合う。髪が乾いたら、陽向の馬鹿は姫乃の長い髪を、綺麗な髪だね、なんて言いながら櫛で梳かしてやっている。私にだってそんなことしてくれたことないのに!
ようやく二人がそれぞれの部屋に引っ込んでいき、悪夢のような一日が終わると思ったら、陽向と姫乃は配信を始める。あろうことか二人は別々に配信しているのに、するのは互いの話ばっかりなのだ。ひなたの料理は美味しかったとか、あの時のルカは照れていて可愛かったとか、そういうくっだらない話がどっちの部屋からも聞こえてくる。リスナーのクズ共も二人の同棲生活の甘いエピソードばかり欲しがるものだから、私は夜通し地獄の日々の再現を二人の口から聞かされる羽目になる。
こんな毎日が繰り返される度に、私は姫乃への憎しみを深めていった。なんとかあの女をこの家から追い出せないかと、日々
休日の今日、珍しく陽向は一人で出かけている。私は陽向には付いていかずに、家で一人留守番をしている姫乃をこっそり観察することにした。なんでもいいから姫乃の弱みを知りたかった。彼女の人には言えないような趣味とか性癖とか、とにかくスキャンダルになりそうなことを見つけて、ネットに流してやるんだ。
どんな手段を使ってでも姫乃を追い詰めてやる!
姫乃はさっきから綺麗な姿勢でソファに座り、本を読んでいた。何か
私が傍にいることは気付いていないはずだから、一人だと思って油断しているはずなのに、姫乃は何も尻尾を出さない。鼻くそをほじったり、おならを出したりくらいはすると思ったのに、姫乃は一人の時も品行方正なアイドルの姿を崩さない。むしろ完璧すぎて、それが姫乃の素に思えるくらいだ。
いや、騙されてはいけない。どんなアイドルだって、裏側は真っ黒に違いないんだ。裏では仲間を見下し、プロデューサーには色仕掛け、ファンのことを金づるとしか考えない。姫乃の他のアイドルの例に漏れず、腹黒性悪な女に決まってる。その正体を私が暴いてやるんだ。
「誰かしら? 来客なんて珍しい」
姫乃は本を閉じて立ち上がり、インターフォンの受話器を取る。
「どなたでしょうか?」
インターフォンの画面に来訪者が映っている。家の外に黒いセーラーの制服を着た少女が立っていた。金髪のショートヘアに、浅黒い肌の女の子が快活そうな目でカメラを覗き込んでいる。歳は陽向と同じ高校生くらいだろうか。陽向とは縁遠そうな明るく活発なタイプに見える。
「どうも、こんちわ! 僕、陽向ちゃんの友達です。陽向ちゃんはいますか?」
「ああ、陽向のお友達ね……って、陽向に友達がいるわけないわ! あなたは一体誰なの?」
よりにもよって陽向の友達を
「ククク、さすがだよ、よくぞ見抜いたね、東條姫乃ちゃん」
「え、どうしてあたしの名前を?」
「フフ、そんなの陽向から聞いたに決まってるじゃないか」
「陽向から聞いた? どういうこと?」
「何を隠そう僕は陽向の姉の村谷
「陽向のお姉さん? あなたが?」
姫乃が驚くのも無理はない。陽向に姉がいることは家族しか知らないことなんだから。
「そうだよ。姫乃ちゃんからも、陽向の話を聞きたいな。もちろん、VTuber活動のことも含めてね。姉としては可愛い妹が心配なんだよ」
姫乃は日蔭を信用したのか、彼女を家に招き入れる。確かに二人が同棲を始めたことはリスナーなら誰でも知っている。けれど、日蔭は家の場所や姫乃の本名まで知っているのだ。信じてもいいと判断したのだろう。
日蔭は家に上がり込むと、実に堂々とした様子で冷蔵庫からお菓子とジュースを取って、ソファに飛び乗った。そんな様子を姫乃はムッとした顔で見ていたが、ここは日蔭の実家なのだから、自分が文句を言う筋合いはないと黙っている。
「ねえ、姫乃ちゃんはここに来て何日目なの?」
「もう一週間くらいです」
「じゃあ、もうこの家にもだいぶ慣れてきたんじゃないかな」
「そうですね。お陰様で快適に過ごせています。もちろん、ご家族のご迷惑にはならないよう細心の注意を払いますので……」
「まあまあ、自分の家だと思ってくつろいでよ。僕は全然気にしないからさ」
日蔭はソファに寝っ転がって、漫画本を読み始める。漫画を読みながら、お菓子を頬張る。漫画に飽きると、テレビをつけて適当にチャンネルを回す、面白い番組がないとわかると、テレビを動画サイトに繋いでVTuberの配信を見始めた。飲み終えたペットボトルやお菓子の袋をその辺に投げ捨てると、今度は冷凍庫からアイスを見つけてきて食べる。日蔭はまるで自分が手本を示すように自分勝手にくつろいでいた。
「……あの、お姉さん」
「ん? なに姫乃ちゃん?」
「こういうことを聞くのは失礼かもしれませんけど、どうして陽向とは一緒に暮らしていないんでしょうか? その制服、
「ああ、そのことね。まあ、これには深い深い訳があるんだよ」
「深い訳?」
姫乃は半ば身を乗り出していた。この家に感じていた違和感、その正体がわかると思ったんだろう。
「知らないほうがいいこともある。他人なら尚更だね。これは家族の問題だから」
「それは……そうかもしれませんけど」
姫乃は諦めきれないようだった。好奇心に蓋をすることは誰にもできない。
「姫乃ちゃんだってそうだろう。どうしてわざわざ同棲なんてしているのか。何か実家に居辛い理由があるからだろう。そういう事情をさ、僕に洗いざらい話せるの?」
「……ごめんなさい。あたしが浅はかでした」
「いや気にしないで。それより、僕からも聞きたいことがあるのだけど」
「なんですか?」
「ここで暮らしてるってことは、姫乃ちゃんも知ってるよね。陽向の空想のお友達のこと」
「はい、知ってます。夕陽さんですよね」
急に話が私のことに変わったので、思わず身構えてしまう。何を思って日蔭は私のことを持ち出したんだろう。どぎまぎしながらも私は聞き耳を立てる。
「きみはどう思う? 陽向のやつ、ずっとあの子と話込んでいるけれど」
「どう思うと言われても……」
「一緒に暮らしてて、気味が悪いって思わない? 誰もいないのに、一人で話し続けたりしてさ、端的に言って変じゃないかな」
日蔭の言いたいことを察したのか、姫乃の目付きが変わった。さっきまでの遠慮した態度が消えて、日蔭をまっすぐ睨みつける。その眼にははっきりと怒りが刻まれていた。
「あたしはそうは思いません。たとえ、夕陽さんが陽向の生み出した架空の存在であっても、あたしも彼女を大切な仲間だと思っています。……彼女と陽向がいたから、あたしは今ここにいられるんです。だから、誰であろうとあたしの仲間を馬鹿にすることは許しません!」
姫乃のあまりの剣幕に、さすがの日蔭も目を見開いて驚いているようだった。日蔭としては、ちょっと揺さぶりをかけれたらそれで良かったのかもしれない。まさか姫乃がここまで過剰に反応するとは思っていなかったんだろう。
「いいね、そういう熱血なの嫌いじゃないよ。……まあ、できればもう一人の仲間のことも忘れないで欲しかったけど」
「もう一人? なんの話ですか?」
「ああ、気にしないで。こっちの話だから」
日蔭はニヤリと笑った。視線は姫乃に向いたままだが、手元で気付かれぬようスマホを操作している。もしかしたらこの会話を録音していたのかもしれない。
それにしても、期せずして姫乃の本音を聞いてしまった。あそこまで言われたらこっちも邪険にするわけにいかない。姫乃を家から追い出すのは先延ばしにしてあげよう。それに、今は先に追い払うべき人間がいる。
「ただいま! ごめんね、遅くなっちゃった」
ちょうどいいタイミングで陽向が帰ってくる。姫乃は気不味い空気から逃げるように、玄関に向かった。
「陽向、おかえり。今ね、日蔭さんが来ているわよ」
「え? 姫乃ちゃん、ヒカゲさんって誰? 変わったお名前だね」
陽向は靴を脱ぎながら、首を傾げた。それも当然だ。陽向には日蔭なんて妙な名前の家族などいないのだから。
「どういうこと? じゃあ、彼女はいったい……」
戸惑う姫乃の後ろで、腕を組んで仁王立ちした金髪少女が不敵な笑みを浮かべる。
「ククク、まだ気付かないのかい? 姫崎ルカ! 青空ひなた! 僕を仲間外れにした挙句、二人仲良く同棲なんて、随分な仕打ちじゃあないか! 放置されて寂しいから来てやったぞ!」
「あ、この声は!」
金髪セーラー服少女の正体に気付いた陽向が声を上げる。
「そう、僕こそがテレライブ三期生、最後の一人。サードチルドレン、蔭寺つかさとは何隠そう僕のことさ! この僕が来たからには、もう二人にてぇてぇを独占させないよ! なぜなら、僕の存在そのものが尊く、僕こそがてぇてぇなのだから!」
つかさの口上が終わると、陽向だけが目を輝かせて拍手する。姫乃は面倒な奴が来たと額を手で覆って項垂れていた。
そういえばもう一人いたわね三期生、と私は鼻をほじりながら思った。
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