11話 もう一つの子供部屋

 突然の同棲宣言に、私も陽向も呆気にとられて何も言えなかったが、姫乃だけが冷静に、


「どうして急に同棲なんですか? 脈絡がなさすぎます。ていうか、同棲は恋人同士が使う言葉であって、この場合は同居の方が正確なのでは?」


 と吉川にツッコミを入れる。陽向は場の空気や勢いに流されやすいので、姫乃のようにはっきりとした物言いをしてくれる人がいて助かった。


「別に適当に言ってるわけじゃないの。あなた達は一緒にいた方がいい、そう思ったのよ。姫乃、お姉さんのこと、ちゃんと相談してくれてありがとう。でも、本当はもう少し早く教えて欲しかったかな」


「それは……その、すみませんでした」


 姫乃は吉川に姉のことを話したんだろう。あれだけ吉川の連絡を無視してしまったのだ。それだけでも勇気がいることだったはずだ


「謝らなくていいわ。タレントと信頼関係を築けなかったことは私にも責任があるから……それで、あなたがVTuberになったのは純粋に自分の力でお姉さんを超えるためだと言っていたけれど……」


「はい、そうです。あたしは必ず姉以上のトップアイドルになってみせます」


「本当にそれがVTuberを選んだ理由なの?」


「? どういうことですか?」


「本当はお姉さんと比べられるのが怖かっただけじゃないの?」


「そんなことありません! だって、あたしは……」


 姫乃の動揺は目に見えて明らかだった。姫乃は自分でも意識していなかったことを吉川に指摘されて戸惑っているようだ。


 姫乃は国民的トップアイドルの妹であることを隠してVTuberになった。それは純粋に自分の力だけで評価されたかったのと同時に、無意識に姉と比較されるのを恐れてのことかもしれない。


「あなたの気持ちよくわかるわ。私にも優秀な妹がいてね、ずっと妹と比べられて育ったから。まあ、今でも妹に負けてばっかりなんだけど。ねえ、姫乃。あなたは良くも悪くもお姉さんのこと意識し過ぎているんじゃないかな」


「……そうかもしれません」


「だからね、一度お姉さんから離れてみるのも悪くないと思うの。兄弟とか姉妹って、いつも一緒にいるからつい忘れてしまうけれど、それぞれが独立した個人なのよ。姫乃には、ちゃんと姫乃だけの魅力があるの。このままだと、それまで見失いそうだったから」


「あたしだけの魅力、ですか?」


「そうよ、お姉さんなんて関係なく、あなたのことをちゃんと見てくれる人はいるから。あなたはそういう人に報いることができるよう努力すればいいの」


 姫乃がその時、隣に座る陽向を見遣ったのは偶然じゃないだろうな。陽向はさっぱりわかっていないみたいだけど。


「陽向のお家はご両親が海外出張に行っていて陽向一人みたいだし、姫乃も高校にそのまま通えるから、引っ越し先としてちょうどいいと思うの」


「でも一方的に迷惑をかけるわけには……」


「あら、じゃあ姫乃が陽向に歌を教えてあげたらいいじゃない。いわゆる互恵関係ね。一緒に暮らしていれば、オフコラボもしやすくなるし、配信で話す話題も増える。一石二鳥よ。ねえ、陽向もその方が楽しいわよね?」


「はい、わたしも東條さんが来てくれたら嬉しいです!」


 学校では話せない姫乃と家で一緒に過ごせるとなったら、陽向が喜ばないはずがなかった。初めての友達ともっと距離を縮めたいと思っているんだろう。


「決まりね。じゃあ、今日の話はそれだけだから、もう帰っていいわよ」


 まあ問題児を一箇所に集めた方が対処しやすいってのが一番の理由だけどね、と吉川は陽向達には聞こえないように呟いていた。急に同棲なんて言い始めたから驚いたけれど、それが吉川の本音なのだろう。やっぱり吉川は抜け目のない女だ。その方がマネージャーとしては頼りになりそうだからいいけれど。


「ちょっと待ってください!」


 会議室から出て行こうとする吉川を姫乃が呼び止める。


「? どうしたの?」


「あたし、まだVTuberを続けてもいいんですか?」


 それは姫乃にとって切実な問いかけのはずだ。彼女は今日、怒られるどころか、事務所をクビになることだって覚悟していた。それをなんのお咎めなしで終えられては自分でも納得がつかないのだろう。


 吉川はそんな姫乃を見て、半ば呆れているようでもあったし、ほっとしているようでもあった。溜息を吐きながら吉川は姫乃の肩に手を置いた。


「当たり前よ。一度の過ちくらいで見捨てたりしないわ。それに、あなた達のオフコラボとっても評判良かったのよ。これからも期待してるからね」


 吉川は今度こそ会議室を後にした。去っていく吉川の背中に姫乃は今度はしっかりと頭を下げる。吉川が姫乃を叱らなかったのは、彼女が反省しているのがよくわかっていたからだろう。陽向が声をかけるまで、姫乃はその姿勢を崩さなかった。




 会議室での一件から一週間後、キャリーケースを持った姫乃が陽向の家まで来た。陽向は主人が帰ってきた時の犬みたいに大喜びで彼女を出迎える。


「いらっしゃい! 早速部屋に案内するね。荷物はそれだけ?」


「うん、大きな荷物は明日引っ越し業者の人が運び入れてくれるから」


「じゃあ、今日はわたしの部屋で配信しよう。リスナーさん達に同居の報告しないとだね」


「そうね、これからは陽向や夕陽さんとたくさんコラボできるから、きっと喜んでくれるわ」


「うん、わたしも今から楽しみだよ!」


 陽向は荷物を運ぶのを手伝いながら、二階の陽向の部屋の隣にあるこの家のもう一つのに姫乃を案内した。ドアを開けて、部屋の様子を見た姫乃は驚きつつも礼言う。


「ありがとう、陽向。あたしの為に綺麗に片付けてくれたのね」


 その部屋はまるで新築のようにまっさらだった。床にも収納にも物が何一つ置かれていない。そればかりか、塵一つこの部屋には転がっていなかった。一つだけある窓はカーテンもなく剥き出しになっている。


「え? ああ、違うよ。この部屋は元からこうなの」


 そう、この部屋は時折掃除はされているけれど、この家が建てられたその時から一切使われていないのだ。


「元から? 誰かが使っていた部屋ではないの?」


「うん、そうだよ。誰も使ってない部屋なんだ。だから、ようやく出番が回ってきて、この部屋も喜んでいるよ。遠慮なく使ってね。あ、荷物置いたら下に来てね。今、お茶淹れてくるから」


 陽向はそう言って階段を降りていった。姫乃は一人残って部屋を見回した。彼女は何かいぶかしんでいるようだった。その直感は間違っていない。いくら使い途のない部屋だからって、物置くらいにはできるだろう。なのに、備え付けの収納さえまったく使われていないのは違和感がある。


「ねえ、夕陽さん、あなたはこの部屋のこと何か知ってるの?」


 知らなくていいことはあるよ。他人なら尚更。


「まあ、あたしの考えすぎかな。元々人に貸すつもりだったのかもしれないし……」


 姫乃はぶつぶつと呟きながら、荷物を下ろして部屋を出て行った。一階カウンターキッチンの側の食卓で陽向がお茶の用意をしている。


「あ、東條さん。ここに座って、お菓子も食べていいからね」


「その東條さんっていうのやめてもらえる?」


「え? どうして?」


「……姫乃って呼んで。あたし達、もう友達なんだから、苗字で呼ばれるのは他人行儀で好きじゃないの。それにこれからは一緒に暮らすのだし……いいでしょ?」


 姫乃は珍しく顔を赤らめて上目遣いで言う。そんなことを急に言い出すから、たまらず吹き出してしまう。意外と可愛いところもあるじゃないか。


 陽向は私と違って友達という響きを嬉しそうに噛み締めているようだ。


「うん、わかった。姫乃ちゃん、これからよろしくね!」


 私からも一応よろしく。あんたも精々陽向の足を引っ張らないよう頑張るのね。


「もう、ゆうちゃん、意地悪言わないの!」


 いいでしょ、どうせ聞こえないんだから。


 こうして陽向と姫乃の同棲生活はつつがなく始まったのだった。

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