5話 青空ひなたの初配信! 前編

「いよいよだね、ゆうちゃん」


 陽向の傍に立つ私は頷いた。


 これからVTuber青空ひなたの初配信が始まる。既に陽向の部屋にはパソコンと配信機材がセッティングしてある。2枚並んだモニターの片方に青空ひなたの2Dグラフィックのアバターが表示されている。いつでも配信できる準備が整っていた。


 私の声は陽向以外には聞こえないので、配信の邪魔をする心配もなかった。陽向の両親たちは仕事で海外に行っているので、実質一軒家に一人暮らしをしている陽向に配信を妨げるものはない。


「あ、吉川さんからディスコで通話が来てる」


 陽向はディスコwed、通称ディスコと呼ばれるアプリを操作して、吉川と通話を始める。


「どう、準備はできてる?」


「は、はい、問題ないです」


 陽向は上擦った声で答える。たとえ電話越しだろうとコミュ障はコミュ障なのだ。


「そう、もし何かトラブルがあったら、リモートで陽向ちゃんのPCを操作することもできるようにしているから、すぐ連絡してね」


「わかりました」


「緊張しなくて大丈夫だからね。用意した台本通りに話せば大丈夫だから」


 吉川は口下手な陽向を心配して、初配信の綿密な段取りと台本を用意してくれていた。台本には、喋る内容だけでなく、配信で注意すべきこともわかりやすくまとめてあった。


 陽向にはVTuberなんて無理だと決めつけていたけれど、マネージャーの吉川と事務所の万全サポートのおかげもありなんとかなりそうだった。もちろんそれで人気が出るかはまた別の話だけれど。


「……こんなこと、配信前に言うべきじゃないとは思うけど」


「吉川さん?」


「正直、社長がどうしてあなたをスカウトしたのか、今になってもわからない。私には、あなたがなんの魅力もないただの女の子としか思えないの」


「そ、そうですか……」


 これから陽向は初配信だというのに、吉川はなんてことを言うのか。これでは、陽向だってやる気を削がれてしまうだろう。


「でもね、それがあなたを支えない理由にはならないわ。私はマネージャーだから、全力であなたをサポートする。あなたには輝ける力があるって信じる。これからその答えを見つけられるよう一緒に頑張りましょう」


「は、はい! わたしも頑張ります」


「じゃあ、切るわね。リラックスよ、リラックス」


 陽向は良い人に出会えたのかもしれない。吉川との出会いが、きっと陽向自身をも変えてくれるはずだ。私もそれを信じよう。


「じ、時間だ。始めるよ。見守っててね、ゆうちゃん」


 当たり前だ。見逃すはずがない。だってこれは私の親友の晴れ舞台なんだから。


 陽向はマウスでクリックして、配信を始めた。アバターに魂が宿り動き始める。陽向はマイクに向かって第一声を放つ。


「お、お待たせしました! 初めまして、皆さん。テレライブ三期生、青空ひなたです!」


 練習の成果だろうか。陽向にしてはよどみなく言うことができた。声は陽向の素のままだけど、アバターの姿とマッチしていて良い感じだ。この調子なら、初配信も問題ないだろう。初配信ではプロフィール紹介と、今後の抱負、SNSなどの取り決めなど簡単な内容を話すだけだ。高度なパフォーマンスは要求されない。


 動画を見ている人たちが、早速コメントを書き込んでくれている。



コメント

:はじまた

:犬耳だ

:声いい

:三期生って二人じゃなかったっけ?

:一人増えて三人だってよ

:かわいいじゃん

:最初は大人しめかな?

:いつ化けの皮が剥がれるか楽しみ

:テレライブ、人気出てきたな

:結構清純そうな子だな

:馬鹿、そういう設定だよ。裏では男とよろしくやってるよ。



 賛否両論ありそうだったが、肯定的な意見が多い。これなら、青空ひなたファンになってくれる人もいそうだ。


「あ、そ、その、えっと………………………………」


 続きを喋るかと思いきや、陽向は急に沈黙し始めた。台本通りに話すだけなのに、どうして黙ってしまうのか。吉川の用意した台本はちゃんと手元にある。


 どうやら陽向はあまりの緊張で目の前が真っ白になっているみたいだ。コメントが来たことで大勢の人に見られていることがわかりパニックになっている。



コメント

:なんか急に黙り始めたぞ

:放送事故?

:ミュートしてる?

:いや、ノイズは聞こえる

:機材トラブルか?

:モデルちゃんと動いてんじゃん

:緊張してんじゃね?

:あがり症なのかな

:それもかわいいな

:馬鹿、そういう設定だよ、裏で男とよろしくやってるよ



 当然、生配信なので黙っている間もコメントは流れ続ける。このままでは、初配信は大失敗に終わるだろう。


 陽向、台本通りに喋るだけよ。落ち着いて。


「う、うん。台本通り、台本通り、台本通り」



コメント

:今台本って言ったよな?

:言っちゃダメだろw

:三回も繰り返してる

:てか台本あんのに止まってんだ

:緊張してんだな

:初配信で早速やらかしたな

:テレライブもレベル落ちたな

:クビか?

:三期生期待してたのに

:馬鹿、そういう設定だよ。裏では男とよろしくやってるよ



「……………」


 コメントを見て、陽向はさらに言葉を失っている。余計に焦って、場の空気に呑まれてしまった。ディスコで吉川から、メッセージが届いている。それは配信の中断を提案するものだったが、視野がせばまっている陽向は気付いていない。


 私の思った通りだった。コミュ障の陽向にVTuberなんてできるわけがない。スカウトした社長の見当違いもいいところだ。ここで挫折した陽向は余計に自分の殻にこもってしまうだろう。


「……どうしよう、ゆうちゃん」


 陽向の目にはもう涙が浮かんでいる。



コメント

:ゆうちゃん?

:誰かいんの?

:スタッフ?

:家族じゃね?

:てか助け求めてどうすんの

:馬鹿、男に決まってるだろ



 まったく、ほんと陽向はしょうがないのね。


「ごめんね。わたし、やっぱり一人じゃ何もできないんだ」


 わかってるわ。交代しなさい。


「え? でもゆうちゃん代わるのは嫌だって……」


 今日は特別。早く代わりなさい。助けてあげるから。


「うん、わかった。ありがとう、ゆうちゃん」


 陽向はゆっくりと目を閉じる。私も瞳を閉じて、自分の体を陽向の体に重ねるイメージをする。陽向の心と感覚に入り込むぞくっとする妙な感じがしてから、再び目を開くと、目の前にパソコンの画面が広がっていた。コメント欄がやけに騒いでいた。


「さてと、どうしたもんかな」


 動画の視聴数とコメントが増えている。人気が出ているのではなく、悪目立ちしている状態だろう。VTuber青空ひなたも今日でおしまいなのかもしれない。


 陽向の体に乗り移った私は深く息を吸い込んだ。この呼吸をする感覚も随分ずいぶんと久しぶりだった。普段はやらないけど、私は陽向の体に一時的に乗り移ることができる。詳しいことは知らないけど、解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがいとかなんとか言うらしい。


 一度、両親の前で披露したら、病院に連れて行かれそうになったので、それ以降はよっぽどのことがない限り控えていた。


「コメント書いてるあんたら、とりあえず黙りなさい!」


 陽向とは比べようもない大声で私は叫んだ。


「陽向をこれ以上泣かせたら、ただじゃおかないから! 地獄の果てまで呪ってやるから、覚悟するのね」



コメント

:なんだ?

:急にキャラ変わった

:てか声まで変わってね

:誰かと入れ替わった?

:初配信でもう裏人格出てくるか

:誰?

:キャプチャー止まってなかったけど

:こっちが素なんじゃね

:馬鹿、そういう設定だろ。裏では男とよろしくやってるよ



 当然、コメントは止まないけどとりあえず陽向から注意を逸らすことはできた。あとは流れを変えられるといいのだけど。


「設定じゃないわ。私の名前は、えっと……茜空あかねぞらゆうひよ! ひなたは私の大切な親友なの。そのひなたを傷つける奴は私が許さないわ」



コメント

:茜空ゆうひ?

:もう一人出てきたんだけどw

:多重人格ってこと?

:一人二役か

:さすがテレライブ、ぶっ飛んでんな

:平常運転だな

:すごいの見つけてきたな

:三期生実質四人じゃね?

:馬鹿、そういう設定だよ。裏では男とよろしくやってるよ

:設定おじさんうるさい

:ゆうひな助かる



「確かに、ひなたはコミュ障で、人前だと緊張してモゴモゴしちゃうし、今まで友達もできたことない救いようのないぼっちだけど……」



コメント

:やっぱりコミュ障なのか

:俺もぼっちだ

:ゆうひなっていいな

:ゆうひちゃんかわいい

:オーディションよく受かったな

:友達がいないから、心に友達を作ったんだな

:わかる、わかるよ

:馬鹿、そういう設定だろ。裏では男とよろしくやってるよ

:裏でゆうひちゃんとよろしくやってるわけか



「でも、ひなたは本当に優しい心を持った良い子なの。ずっと一緒にいる私にはわかる。あの子はもっと幸せになるべきよ。だから、あんたたちもひなたを応援しなさい! あの子はこれから変わるの。きっと最高のVTuberにだってなれるはずよ」


 入れ替わっている時は、陽向の意識はない。だから、私も素直に思っていることを言うことができた。陽向のことを画面の向こうの連中にもわかってもらいたかったのだ。


 どうして誰もあの子の魅力をわかってくれないのだろう。あの子はずっと独りぼっちだった。それでも、心を歪めたり、濁らせなどしなかった。どんなに酷い陰口を言われても、誰かを妬んだり、蔑んだりもしなかった。ただひたすらに人の温もりを信じていた。


 どうしてそんなに友達が欲しいのかと、陽向に訊ねたことがある。陽向の心の綺麗さに気付きもしない人間など、付き合うに値しないと思ったからだ。


「でも、陽向は私に言ったの。友達が欲しいのは、寂しいからでも、構って欲しいからでもない、優しくしてあげたいからだって。家族や私がしてくれたみたいに、自分も誰かを助けてあげたいって……」


 なんて馬鹿な子なんだろう。みんな裏で、孤独なあんたを嘲笑あざわらっているのに、揶揄からかっていたのに、どうしてあんただけが優しい人間にならなくちゃいけないの。そんなのあんたが損するだけだ。何度もそう言ったのに、陽向はかたくなに譲らなかった。


「……そういうわけだからお願い、陽向のこともっとちゃんと見てあげて。ネットの向こう側にいるあんたちには、人の心なんてわからないのかもしれない。想像もできないかもしれない。でも、ほんの少しでいいから、あの子のこと見守ってあげてよ……」



コメント

:画面が見えない

:あれ、おかしいな部屋の中なのに雨が

:こっちも大雨なんだが

:結婚式会場はここでしたか

:ゆうひなてぇてぇ

:そこにてぇてぇがあると聞いて駆けつけました

:てぇてぇ

:ゆうひな最高

:てぇてぇ

:馬鹿、そういう設定だろ……裏では……男と……

:設定おじさんも泣いてんじゃんw



「あんたらさっきから何よ? てぇてぇってどういう意味?」


 コメントが私には理解できない言葉で埋め尽くされていた。これが俗に言う炎上という奴なのか。もしかしたら私が陽向のVTuber人生にとどめを刺したのかもしれない。


 急に視界がぼやけ始める。長く乗り移りすぎたのだ。交代を長時間続けると勝手に体を離れてしまう。


「クッ、もう限界ね……いい、今から陽向が戻るけど、陽向は何も覚えてないから。とにかく大目に見てあげてね」


 目を閉じて、もう一度開いた時にはまた陽向の傍に戻っていた。言い知れぬ疲労感が押し寄せてくる。交代した時はいつもこうだ。ほんと、なんで私はただのイマジナリーフレンドなのに、こんなことができてしまうのか。


「あれ、終わった? ゆうちゃん?」


 陽向が目覚めて、周りをキョロキョロ見回した。


 陽向、今日はもう疲れて交代できないから、今度は一人で頑張りなさいね。


「へ? え? あ、うん。わたし頑張るよ!」


 陽向は間抜けな声をあげて私に笑いかける。果たして配信は上手くいくのだろうか。後半戦もカオスにならないといいけど。

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