第166話 一服の清涼剤


『赤き左手』のナンバーワンが俺の目の前に現れた。大通りでの立ち回りのためすでに数人の通行人が立ち止まって俺たちに注目している。娯楽のあまりない世界だもの仕方がない。


 この男、暗殺者としての腕は確かかもしれないが、俺たちを襲うということ自体で既に詰んでいる。俺たちの弱点と言えば、この国の女王になったマリアくらいしか思いつけない。女王陛下マリアの身辺警護にはトルシェの召喚したブラックスケルトンナイトたちも控えている。そうそう突破はできないだろう。食べ物などに毒を混入される恐れはあるが、さすがに王宮内、女王の食べ物に毒が入った状態で供されることはないと思う。


 そんな手間暇かけるより、直接の復讐相手かつ見た目無防備な俺たちをターゲットにしたのだろうが、俺たちの後ろを歩いているメイドの黒ちゃんでさえ、こんなアサシンに後れを取ることはありえない。というか、黒ちゃんも毒は効かないし、刺突や斬撃も無効だ。


 ナンバーワン本人は今の状況を理解しているのかしていないのか分からないが、針を握った右手をもう一度突き出してきた。これも難なく躱して、余裕ぶってニヤリと笑ってやったのだが、ヘルメットの中だったので誰も気づいてくれなかった可能性が高い。


 さすがに一瞬のうちにカッコいいまがまがしい全身鎧を纏った俺にはかなわないと思ったのか、毒が効かないことをやっと理解したのか分からないが、先ほどの一突きを引いた後、男はバク転で俺から距離をとった。そうしたら男のすぐ後ろにアズランが立っていた。


 そのアズランが、着地を決めた男の肩を後ろからポンッと叩いた。男はぎくりとして、今度は側転して、アズランから距離をとった。アズラン自身は先ほどまで抜いて身構えていた短剣『断罪の意思』をもう鞘に収めている。武器を使うほどではないと見切ったのか?


「『赤き左手』のナンバーワン、あなたの本当の名前を私は知らないけれど、アズラン・レイって名前覚えてるかな?」


「……」


 あの顔は覚えていると言っているようなものだな。さっきまで焦ったような顔をしていたくせに急に無表情になった。今まで不利な状況下で問い詰められたことがないようだ。この男、荒事以外では全くの素人に違いない。


 アズランが男に向かって話しかけているうちに、フェアは男の頭上を舞っている。最初から詰んではいたが、まさに、十重二十重だ。しかも、俺の後ろにいるトルシェが何かをしでかす可能性もある。俺の背後で、いつもの放電現象が起きているようで、ときおりバシッ! バリバリ! とか音がして、明るい日中でも青白く地面が照らされる。いつもの、ホーミングファイヤーボールだと思うが、まず逃げられないだろうな。


 じりじりと後ずさる男。周囲に一瞬目を配った! こいつ逃走するのか? それとも人質をとるつもりか?


「ダークンさーん、こいつどうしますー?」


 俺の後ろからトルシェの声。大分じれてきているようだ。この男にとって一番幸せな死に方は、やはり俺のエクスキューショナーで首チョッパだと思うが、一応暇だしアンケートでもとっておくか。


「おい、お前、ここから逃げてもいいが、5メートルも行かないうちにファイヤーボールで木っ端みじんだぞ。アズランに挑めばおそらくお前はその前に状態異常になって動けないところを切り刻まれる。俺に向かってきて首チョッパされるのが一番と思うがどうだ? おっと、俺たちには人質は全く意味ないから、人質がいればいたでウェルカムだ。死なば諸共なら構わんぞ、そこらの見物人を試しに人質に取ってみろ」


 俺の言葉を聞いた見物人たちが我先にと逃げ出し始めた。深淵をのぞき込めば深淵もまたお前たちを見ているのだ! 意味は分からんがな。戦いを近くで見物したいという気持ちは分からんではないが、やはりかなり危険なものだ。俺とアズランだけなら手加減もできるのでそこまで危険ではないが、なにせトルシェがな。


 かく言う俺の『神のうにゃらら』も近くにいれば相当危ないが、さすがに街中では出さんよ。普通は。先日の『神の裁き』もやったのはリンガレングだったしー。



 どうでもいいが、この男これからどうするつもりなんだろ? 知らぬ間にトルシェが何かへんてこりんな魔法をかけたのか、フェアが状態異常系の鱗粉を落としたのか、じっと固まって動かなくなってしまった。


「ダークンさん、こいつどうします?」


「いちおうちょっとは楽しませてくれたからこのまま放っておくか?」


「でも、ダークンさんの大事な余所行きの服、こいつ、ダメにしちゃいましたよ」


「忘れてた。それじゃあ、腕の一本でも切り取ってやるか。面倒だから、コロちゃん、よろしく」


 俺の腰から髪の毛ほどの細い触手が男に向かって伸び、男の右手に接触した。あっという間に男の二の腕の中ほどまでが消えてしまい、残った二の腕の上半分の先っちょから血が噴き出てきた。


 この刺激で男も再起動したようで、切り口の手前を左手で押さえ、血を盛大に垂らしながら走り去っていった。あれはもう5分ともたないな。


「それじゃあ、行くか」


「はーい」「はい」


 とんだハプニングが起こったが、一服の清涼剤のようなものだったな。




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