第2話 血の味がする
……暗い部屋の中で薄く光る時計は七時を表示している。
もうすぐバイト予定の時間。
「もう少しだけ」
ペットボトルをテーブルに戻し、少しだけ目を閉じてベッドに横たわる。
「もうすぐバイトの時間。また怒られるだろうなあ……行きたくない」
人との接触が苦手な僕は、夜のバイトを続けている。
家族にさえ触れあう事が、僕には億劫に感じられる。
出来れば、誰にも会わない生活が望ましい。
でもそんな事が出来るのは、お金持ちか、丈夫な身体で、自然を愛する人だけだろう。自然な暮らしは好きでは無いし、当然お金も無い。
高校を卒業する時、大学に入る程勉強も出来なかったし、特に目的も持っていなかった。すぐには働きたくもなかった。それだけで専門学校に入学した。
専門学校でも、人との接触が苦手なのは相変わらずだった。
二年間の学校生活でも、朝と帰りに挨拶する人すら、僕には出来なかった。
でも別にそれでも僕は困らなかった。
今までのリアルの友人は僕に命令や指示をするだけで、僕の気持ちなど考えもしない。
専門学校の種類も、目的を持たずに適当に決めたから、授業は当然、退屈なだけ。
それでも、僕の唯一の取り柄である「なんとなく続ける」事で留年などせずに、二年でちゃんと卒業出来た。
この取り柄は、子供の頃から発揮されており、その事が一度も問題を起こさず、そして一度も褒められた事もない、目立たない僕の生き方の資質になっている。
専門学校を卒業した僕は、何の目的も持っていなかった。
そのまま就職するのは嫌だった。
正社員になり、一択の指示を受けるのはうんざり。
親の元へ戻るのも億劫で、専門学校へ通うために借りた、古いアパートに住み続けている。
この部屋の良い点は、家賃が安い事だが、その分古くて日当たりも良くなかった。
でも、誰も呼ぶ事もなく、昼間は殆ど家の中にいてゲームか寝ている生活。
カーテンは閉じられたままでも、特に問題は無かった。
ベッドの上に敷かれた布団が、湿り気を持ってしまう以外は問題無い。
窮屈な実家に帰らない為に、最低限の生活費は自分で稼ぐ必要がある。
しょうがなくバイトをする事にした。
幸いな事に、ここから三十分ほど歩くが、コンビニのバイトの募集に受かった。
バイトは人が少ない夜の時間、夜八時から深夜零時までを担当させてもらう。
本当は殆どお客が来ない、二時以降の深夜の時間帯が良かったけど、午前二時からは、僕の唯一の趣味ネットゲームの時間。
ネットの親しいフレンドと集まって、毎日クエストをこなす。
ゲーム内にギルドと呼ばれる、チームがあり、僕のギルドは二十名程。
全員、仲がいいフレンド。リアルの友達と違い、その素性は知らないが、その方が僕には良かった。
一日のうち五、六時間、休みの日だと二十時間近くフレンドとは一緒にいる。
起きている時間の半分を一緒に行動するネットのフレンド。
ネットだけの遠いけど、強い結びつき。
僕が唯一、僕らしく自由に生きられる時間。
そして僕が必要とされるネットの空間。
ゲームの中で、僕の魔法使いのキャラがいなければギルドのフレンドは困る。
僕は大事な戦力なのだ。
リアルの世界で人に触れない僕には、ネットゲームの世界が人と触れあう唯一の場所。
なにより、ネットの世界ではフレンド達は僕を必要としてくれた。
朝方までネットでゲームをしていた。
やっとパーティが決まり、眠った後だった。
次の日、愛田美鈴と会った。
いつもの待ち合わせに使うコーヒーショップ。
ミルクだけ入れたのコーヒーを半分くらい飲んだ時、美鈴は僕の前に座った。
年齢は20代後半くらい短めだが艶のある髪は左右に綺麗に分られている。
少し派手目の化粧、だがどこか落ち着いた感じがある男好きのする身体。
もしかして既婚者かもしれない。
性格は明るく、男っぽくアッサリしている、はるかに昌治より男らしい。
それが、本当の彼女の本質かどうかは、分らない。
でも、そんな美鈴は女としては、肉体が欲する対象として上出来だ。
「新しい携帯を買ったのね?紅 くてカッコイイね」
「うん、オークションで安かったんで、ついね」
「そう、私も今度はそのタイプがいいかな」
「うん、いいよ、特にこの機種は画面も大きいし、ただ……」
「え? 何か問題でもあるの?」
「いや、ちょっとOSが聞いたことのない、ARV、普通の機種だと使われていない……」
「おーえす?」
「オペレーティングシステム(Operating System) 」
「なにそれ?携帯電話に必要なもの?」
「うん、複雑なシステムを簡単に、ユーザーに利用してもらう為に必要な基本的なソフトだな」
「ふーん、ますます分らないけど、それがないと携帯は動かないのね?」
「そうだね、まあ携帯だけじゃなくて、難しそうな機械には殆ど入っている」
「じゃあ、いいんじゃないの? それに入っていても」
僕が持っている紅いスマートフォンを指す美鈴。
「世界で使われている、スマートフォンのOSは数種類しかないんだ。各々有名なメーカーが提供している」
説明に飽きてきている、美鈴の顔を見ながら僕は疑問を話した。
「ARV、こんな名前のOSは聞いたことが無い、しかもメーカーの記述がまったく書かれていない。コピーライト、署名がないものは、世界で版権を主張できない、だから……」
美鈴は僕の手をソッととり、力を込めてくる。
「もういいから、あなたの主張は、もっと静かなところで……二人でしましょう」
顔を上げた僕の目に、真っ赤な口紅が強く欲求を主張していた。
家に帰った時、既に十一時を廻っていた。
だんだんと、美鈴と会う時間が、長くなってきている。
「もしかして、彼女と愛が生まれた? クク、普通の恋愛は知り合い、話をして手を握り、キスをして身体を求めて……今の僕とは、まるっきり手順が逆だな」
愛しているから身体許すのではなく、セックスしてから、手を握るだなんて……男は困った生き物だ、
さっきまで、彼女の胸に脚にその中心に、触れた感触が指に残り、その女の薫りが心地良かったのに、欲情が収まれば想い出すのは、行為の前のたわいない話や、触れた手の感触。
彼女とコーヒーショップで初め手を握った……心が揺れた。セックスは、回数を重ねても、同じ記憶しか残らない。特に同じ女との記憶は薄くなっていく。
「三十歳の男が言うと、赤面ものだな、純愛だって?」
昌治にも初恋はあった、そして赤面するような純情な時も。
現代の愛にいたるプロセスは、簡略化されている。
いや、愛ではないのか? 身体が欲する欲情を満たす行為だけかも。
でも、それなら、本当の愛とはなんなのか? 心を満たす事? “愛している”この言葉がどれだけ、今の世界では、簡単に使われているか。
言葉により、実行される真実の行動なんてあるのか?
「バカバカしい。本当の恋愛なんてもう、この現代には無いだろう……いや獣のように、欲望に従う、今の方が、自然なのかも知れない」
身体の欲求が満たされて、心と脳は解放された昌治はまるで哲学者のように考えた。そして襲ってくる強烈な眠気、満足した身体は休養を欲していた。
ベッドに服を着たまま横になると、すぐに意識は遠くなった。
「そういえば、美鈴が、おかしな事を言ってた。今日撮った近所のレストランの写真……」
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「……これ写真とか、撮れるの?」
美鈴がホテルのベッドで俯せになりながら、紅いスマートフォンをいじっていた。
「ああ、カメラがついているから、撮れるよ。でも君の携帯の方が綺麗に写るけどね。日本のガラパゴスタイプの方が、付属する機能は豊富だよ」
「ふーん、そうゆうものなのねえ……写真フォルダ? のへんの扱い方はパソコンみたいね……うぁあ、美味しそうなご飯、今度私も連れって行って……え?」
言葉が止まった彼女の方を見ると、一瞬こわばった表情が見えた。
「あ、その店、小さいけど美味しいんだ。あとね、女将さんの接待がさりげなく良くて……どうしたの?」
振り返った美鈴はニヤリと笑っていた。
「そう、いいわね……しかも、こんな可愛い娘と一緒に行けるなんて。あなたこんな歳の子供がいるの? 親戚の子なんていいわけは無しよ」
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昼に美鈴に言われた事が少し疑問に変わった、写真のフォルダを開こうとした時。
ピ、ピ、ピ、ピ……う…ん…?何の音だろう……
紅いスマートフォンが鳴っていた。
「バージョンアップ?」
それは、OSのバージョンアップを伝える、ARVのメッセージだった。
昨日は新しいゲームが楽しかったが、目を覚ました僕は元気ではなかった。
夢を見た後は、時々発作のように頭痛と、赤いビジョンが浮かぶ。
見るそれは、病院の中で何かの治療を受ける内容だった。
部分部分しか覚えて無くて、意味は良く分からない。
夢なのだから、元々意味なんて無いのだろうけど。
痛む額に右手を当てて、しばらく頭痛が治まるのを待つ。
いつものように五分くらいで、頭の痛みは引き始めた。
口に残った鉄を舐めたような冷ややかな苦み。それを消そうと、上半身をゆっくりと起こし、左手でべッドの側のペットボトルを掴み、なまぬるい水をがぶ飲みする。
口の中に残る鉄の味と血の匂いも薄まった。
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