第7話 蠢く影
「ふうむ」
この町で最も天界に近いとされる鉄塔、天国へ続く塔(ヘブンズタワー)。一昔前までは日本のあちこちに展望台のような鉄塔があったらしいが、今ではこの町にあるこのヘブンズタワーが唯一となってしまった。
そのヘブンズタワーも今では老朽化のため入場禁止に。かつてのように展望デッキでこの町の景色を見渡すことはできなくなってしまった。
そんなかつての人々が町を眺めていた展望デッキの上、冷たい風に高揚した全身を撫でられながらトノサマは眼下に立ち並ぶ大小さまざまな建物を冷めた目線で見下ろしながら、物思いに耽けっていた。
「あの少年はいったい、何者だったのでしょうか」
ついさきほど拳を交えた少年。トノサマの頭の中は彼のことでいっぱいであった。
生まれてこのかたトノサマは自分と言う自我が目覚めてから一度として人間と言うものに興味を持ったことはなかった。
なぜなら、人間は自分よりも弱いし自分よりも幼い、そのくせ自意識だけは一丁前でいいところなど探そうとしても見つからない滑稽な存在であると、トノサマは認識しているからだ。
礼儀正しい口調なのもあくまで弱いものをいびり散らすような浅ましい人間と同じようなことをしたくないだけ。自分の品性が人間と同等と思われるのが嫌なだけだった。
人間と仲良くする気もなければ、人間たちのことを知りたいとなんてこれっぽっちも思っていない。
そんなトノサマでも、先との少年との出会いは鮮烈であり、久しぶりに血肉湧き踊る戦闘ができる好敵手であった。
「ふ、人間が好敵手であるのは少し気がかりですが、彼は普通の人間ではないようですし、まあ構わないでしょう」
口調こそ落ち着いた紳士のようだが、トノサマの本質は戦士。虫の中でもかなりの戦闘狂いで腕に覚えのある同類を殺したことも多々あった。
トノサマが戦闘を挑んで敵わなかったのは唯一、一人だけ。そのものに敗れてから、トノサマの闘争心は息を吹きかけた蝋燭のように鎮火。
それ以降は淡々と無味無臭な日々を送ってきたのだが……
「退屈な国でしたのでずっと先延ばしにしていましたが、そろそろこの国も我々がいただくことにしましょうか」
トノサマがそうつぶやくと、何も合図をしていないのにも関わらず高度四百メートル上にある展望デッキに突然二人の虫が現れた。
「イナゴに、ショウリョウ、よく来てくれましたね」
「いえいえ、トノサマ様のためならたとえ火の中、水の中。殺虫課本部の中でさえも単身乗り込んで見せますよ。」
イナゴ、と呼ばれたトノサマとそっくりな外見ながら体格は一回り小柄な茶色の虫は飄々とした口調でそう言うとトノサマへ向けて膝をついた。
トノサマ同様筋骨隆々のボディビルダー体系だが、イナゴの筋肉はトノサマのようなブロック肉のような硬さのあるものではなく、胸肉のような柔軟性のあるしなやかな筋肉をしていた。
「…………」
そしてもう一人ショウリョウは、トノサマと体の色こそ同じ緑色だがボデイビルダーのように強靭な肉体を持つトノサマやイナゴに比べ体はやせ細っており、手足の指はツタのように細長かった。ショウリョウはイナゴのようにひざを折ることなく、無言でつった立ったままその細長い体を風に揺らめかせていた。
ショウリョウは体の中で一番太いウエストでさえ三十センチもないほどの細さで遠目から見たら笹の木にしか見えないほどのがりがり体型であった。
「待たせてしまって申し訳ありませんでした。あまりにも面白みのなかった国でしたのでついつい先延ばしにしてしまいましたが、ついさっきその楽しみもようやく見つかりました。さあ、時は来ました。我々の侵食を始めましょう。」
場違いとも思えるほどにかしこまったトノサマの開戦宣言。
それにイナゴは御意と返し、ショウリョウは無言のまま風に揺られ首を前に倒した。
「待っていて下さいね、私を楽しませてくれる道化さん。」
この国の人々が誰も知る由のない開戦宣言をしたトノサマの体は静かに、しかし確かに熱を増してきていた。
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