第5話 悪魔vs虫
「悪魔……ですか」
厨二病君に殴られ体を壁に叩きつけられたトノサマだが、すぐに力づくで壁から体を引き剥がすと体についた瓦礫や石ころやらをはたいていた。
余裕があるようなそぶりだが、水晶みたいにばかでかい眼には明らかに焦り様なものが見えた。
たぶん、反撃されるのは予想していたけど、思った以上の反撃がきてびっくりしたってことかしらね。
ざまあみろ…………でも、
トノサマのふいをついた厨二病君のすごいパンチ。それを見ても私は安心できなかった。いや、それを見たからこそ私は不安になった。
なぜかはわからないけど厨二病君の腕は治っていた。けど治ったということはダメージをちゃんと受けていたってこと、でもトノサマは厨二病君のパンチを受けても全然ダメージを受けたようには見えない。
これって……厨二病君がかなり不利なんじゃ……
「悪魔ですか。神様の存在は私も肯定します。もちろん悪魔も。ですがあなたは私が知っている悪魔とはかなり似ていませんね。悪魔とは容姿も醜悪ならば性格は最悪というゴミ屑のような存在なんですがね。」
トノサマも厨二病君が悪魔であることに懐疑的らしい。
私もミンチになった警備員さんを食べたり、右腕の紋様が光っているのを見せられた時は確かに悪魔だと思った。でも落ち着いてみればどっからどう見ても厨二病君は普通の顔のいい男の子、とても悪魔だなんて思えない。
右腕の紋様もブラックライトで光るハンコとかもあるくらいだしそんな特殊な塗料を使えば光らせることぐらいはできそうだし、人のお肉を食べたのはまあ、それくらいお腹が空いてたから…………んなわけないか。
「俺が何者かなんてどうでもいい。そんなことに興味はない。」
「ほう、自分を知ると言うことは大事なことですよ、幸せを掴むためにも、戦場で生き残るためにも……ね」
生徒を窘める先生のような口調でそう言うとトノサマの体が一瞬で消えた。
「へ、どこに」
私はすぐに辺りを見回したがトノサマの姿はない。代わりに太鼓のようなドゴンと言う音が部屋中から聞こえてきた。まるで部屋自体が叫んでいるように。
「これって、もしかして」
叫びのような声に共鳴するように部屋中の壁や床、天井までもが何か強い衝撃を受けたかのようにへこみ始めた。
「厨二病君、危ない」
私が音の正体に気付いた時、厨二病君の体は上空に吹き飛ばされた。
「ぐ」
うめき声をあげた厨二病君の顔はとても苦しそうだった。コガネムシの突進を受けても涼しい顔をしていたのに。
「厨二病君」
私が呼ぶよりも早く、厨二病君の体は空中を瞬間移動した。いや、瞬間移動させられた。
「ぐふ、ぐは」
厨中二病君の体は空中をいくども移動していた。まるでハリケーンに飲み込まれた人のように。
トノサマは室内を囲む鉄壁や床、天井を足場にして高速でジャンプしている。ジャンプと言って高く飛んでいるんじゃない。水泳のターンみたいにひざをばねにして加速させている。
そうやって加速させたスピードはもう常人の目では残像すら見えないほどに速くなっている。
「ぐはあ」
とうとう厨二病君の口から私たちと同じ赤い血液が飛び出した。
「っ、厨二病君」
まずい、足場のない空中じゃ。どんなに厨二病君がバカみたいな腕力の持ち主でも踏ん張りのきかない空中じゃ存分に力をふるえない。それどころか、動くのだってやっと……
最初の頃は何とかトノサマを捉えようとがむしゃらに振っていた腕もさっきからずっと防御のために使っている。
「ふうむ、これで終わりですか、意外と歯ごたえがなかったですね」
空中で何もできず自分ののいいようにもみくちゃにされる厨二病君を見てトノサマは勝利を確信した。必然あのむかつく余裕ぶったえせ執事みたいな態度も復活した。
さっきまでちょっと焦ってたくせに。
正直、私が厨二病君を助ける理由はない。彼は人を食べる。なぜだかわからないけど。コガネムシから私たちを助けてくれたしさっきもトノサマに攻撃される私を身を挺して守ってくれた。
ただ自分の獲物を捕られたくなかったからかも知れないけど。
後で私やセイラをおいしくいただくつもりなのかもしれないけど。
けれど、それでも彼は私たちを助けてくれた。
それは、嘘じゃない。
だから、
私は気絶してるセイラにゴメンって言った後、さっきまで彼がいた場所、ミンチになってしまった警備員さんの所目掛けて全力で走った。
パンプスは邪魔だったから途中で脱いで捨てた。
普段なら私みたいな美少女がこんな必死な形相になって走ることなんて一度もない。
遅刻しそうな時でも、急ぎ歩きするだけで、絶対走らない。
だって必死で走ってる顔はかわいくないから。女の子はかわいくなくちゃ意味がないから。
それでも今は走る。恩人を助けるため、友達を守るため、スカートめっちゃ短いけど私は必死に走った。
高速移動するトノサマとぶつかったら私は恐らく、というか間違いなく時速百キロの大型トラックにひかれたように全身の骨をこなこなに砕かれて死ぬ。即死確実。
それでも私には確信があった。トノサマにぶつからない確信が。
作戦があって、確証に近い自身もある、あと必要なのは勇気だけ。
私はありったけの勇気を振り絞って、足を前に動かした。トノサマから見たらカタツムリのような速度だろうけど、それでも私はあるだけの力を全部使って走った。
私の予想通り、トノサマは走る私の事なんか眼中にせず、空中にとらわれたままの厨二病君を痛ぶり続けている。
勝利を確信した時、相手を格下と蔑んだ時、そこに油断が生まれる。それは人でも虫でも変わらなかった。
ずっとランダムに細かくルートを変えて厨二病君を攻撃していたトノサマの動きが勝利を確信し始めた時から、厨二病君が防御に専念し始めた時から徐々に単調に、一定のルートをとって厨二病君を攻撃するようになっていた。
私はそのルートを避けるようにして、警備員さん元へ向かった。
もちろん一定、といっても必ずそのルートを通るわけじゃない。時たま違うルートを通って厨二病君を攻撃していた。
もしその気まぐれが今起こったら、ある場所へ一直線に走る私を危険視したら、私は間違いなく殺される。
「もう、今日はこんなことばっかり。」
ついさっきまで平穏な日常を退屈と言っていたんだけど、そんなことは完全に棚に上げて、私は自分でもよくわからない怒りで無理やり恐怖を押し殺して走った。
時間にして五秒、体感では永遠と思える時間、想像の私はもう十回は死んでいる。それでも現実の私は走り抜けた。私は生きて目的の場所にたどり着くことができた。
生きて目的地に到着した達成感を味わう余裕もなくすぐ地面に落ちているそれを拾い上げた。
「もう何もできないようですし、そろそろ終わらせましょうか」
私の存在を蚊帳の外に厨二病君を仕留めるためトノサマはさらにスピードを加速させていった。
「ぐはあ」
空中でぼこぼこにされながらも厨二病君はずっと致命傷だけは受けないように防御していた。しかし、とうとう厨二病君の体力が限界に達してしまった。
ずっとガードしていた両腕がはずれ、無防備な頭がトノサマに晒される。
「ふん」
絶好のチャンスをトノサマが見逃すわけもなく、彼の頭部を粉々に打ち砕こうと鉄壁を足場に超スピードで移動。
肉眼では見えないけれどスピードを上げるために今までよりも強く床や壁を蹴って移動しているのが、砕ける床や鉄壁のへこみでわかる。
そしてその軌跡をつないでいくと、さっきから一番多く通っているルートになることも。
「案外、あっけなかったですね」
高速移動するトノサマがついに厨二病君の目の前に到達。ついにトノサマの拳が厨二病君を捉えようとした。その時、
トノサマのくすんだ緑色の体がファンシーなピンク色に塗り替わった。
「な」
私は警備員さんが残してくれた形見のペイント銃をトノサマ目掛けてぶっ放した。
トノサマ目掛けてといってももちろん私が高速で移動するトノサマに狙いを定めて撃てるわけがない。
それでもルートの予測はできる。
私はトノサマが通るルートを予測、前もってトノサマが通るだろうルートにペイント弾を撃ち込んだ。
高速で移動するトノサマの視界も当然高速で移動している。そんなめまぐるしく動いている世界で私の撃ったペイント弾が見えるはずもなく
トノサマは自分でも知らないうちに自らペイント弾に向かってぶつかっていったのだ。
「これは」
虚を突かれた攻撃にさしものトノサマもさっきまでの張り付けたような冷静さを失い、厨二病君に拳を叩きつける直前で動きを止めた。
勝ちを焦ったトノサマが見せた千載一遇のチャンス、当然厨二病君が見逃すわけがなく、
「ぐは」
空中で器用に重心を移動させ体を回転、トノサマの頭を思いっきり蹴り飛ばした。
「やった」
首をありえない方向に折られたトノサマは空中をすごい勢いで回転しながら鉄壁に思いっきり吹き飛ばされた。
トノサマに空中回し蹴りを放った厨二病君は背中から地面に墜落、久しぶりの地面を堪能する間もなくすぐに起き上がりトノサマが激突した壁を睨みつけた。
見た感じ、トノサマには厨二病君みたいな超回復?的なヒール機能はない。
だから、一回致命傷を与えられればそれだけでいい。
あまりにも遠くまで吹き飛ばしたせいでわかりづらかったが徐々に目のピントが合い、トノサマの様子が見て取れた。
鉄壁に全身をぶつけ、ピクリとも動かず鞭うちになったトノサマの姿が、
「………………かっ」
その姿に私は厨二病君の勝利を確信した……だけど
「なかなか、やりますね」
吹き飛ばされたトノサマは何事もなかったように立ち上がった。
ごきごきと気味の悪い鈍い音を鳴らしながらぐちゃぐちゃになった首を元に戻すと、一瞬私の方を見たトノサマは肩から深く沈み込むと再び厨二病君へ突進する構えをとった。
その姿はさっきまでの余裕しゃきしゃきのえせ紳士じゃなく、目の前にいる敵を全力の元に跡形もなく屠る戦士の構えだった。
「……」
すでにトノサマのラッシュを受けてぼろぼろになった厨二病君も戦士の顔になったトノサマの一撃を真っ向から迎え撃とうと構えた。
「「…………」」
私の存在は完全に二人の意識の外に追い出されて、向かい合う二人にしかわからない戦いのゴングが鳴るのを二人は静かに待った。
二人の気迫に完全に呑まれた私は金縛りにあったようにその場から動けず、ただ二人から視線を動かすことが出来ない。
一秒、二秒、三秒……
もう少しで音の鳴らない戦いのゴングが鳴るはずだったそのとき、
室内を強い光で照らしだされた。
「う、何」
目を刺すような光に私はたまらず目をつぶった。
視界が完全に白で埋められる中、機械を通した声が外から飛び込んできた。
「伏せろ」
その声がして間もなく室内に向かって数えきれないほどの銃弾が撃ち込まれた。
「いやああああああああああああああああああああああ」
恐怖と恨みが入り交った私の奇声も、とめどなく打ちこまれる銃撃音にかき消される。それでも、私は叫ばずにはいられなかった。
「中に人がいるのに何、撃ってきてんのおおおおおおおおおおお」
喉がかききれそうなほどの叫びだけど、当然外の人たちに届くはずもなく、銃撃の嵐が去るまで私はその場で頭を抱えてうずくまっていた。
「おわっ……た」
この世の終わりかのような銃撃の嵐が終わったとき、目の前には私が勤める大帝銀行第一支店の面影はほとんどなく、床は抉られ、壁は蜂の巣のように穴だらけになっていた。
「…………は、厨二病君は」
あまりの惨状に茫然としてた私が気づいた時にはさっきまで目の前でにらみ合いをしていたはずの二人の姿はなくなっていた。
何が何だかわからず、私はその場で惚けていると
いつの間にか鉄壁が解かれていた壊れた入口からぞくぞくと気持ち悪いぐらいにそろった足音が室内へ入ってきた。
その足音は迷いなく、この悲惨な現場で唯一立っている私を即座に囲み込むとそのまま手に持った機関銃を私に向けた
「へ」
ヘルメットをかぶっているため一人一人の顔は分からないが、恐らく機動隊、みたいな人たちに私は囲まれた。
よく事情はわからないが、私は全身武装した人たちに四方八方から銃を突きつけられた。
いや、なんで。
間違っても撃たれたら困るのでとりあえず胸の前まで手を上げると、突然モーゼのように囲む機動隊が通り道を作り、そこから一人の男が現れた。
短い黒髪をワックスで固め、いかにもインテリですというような黒縁の眼鏡をかけたオーダーメイドのスーツをぴしゃりと着た、ザ・公務員風の男。
「やれやれ、仕事とはいえ、なるべく面倒事には巻き込まれたくないのですが」
心底嫌そうな顔をしながら私の目の前までやって来た男は、
「事態把握のため、しばしお手間をとらせてもらってもよろしいでしょうか」
そう言って、私が返事をする間も与えずに自分の部下らしき人達に指示を出し始めた。
そして私は、その人たち、対虫専門部隊、殺虫課に連行された。
コガネムシを屠った、謎の危険人物として。
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