第3話 人を救い、人を食らう
「どうして……」
状況がわからず、言葉を失っている私に、厨二病君は一瞬、目線だけを私たちの方向へ動かすとすぐに前、さっきまで私に迫ってきていたはずがなぜか私が目を瞑っている時よりも遠くでしかも球体を解除しているコガネムシの方へ意識を戻していった。
「ぐりゅりゅりゅ」
地面から聞こえているんじゃないかと思うほど低い唸るような声。
明らかにコガネムシは怒っていた。
再びコガネムシが球体へフォームチェンジするためうずくまり始めた。
それを見た私はすぐに厨二病君の耳に口を寄せた。
私が目を瞑っている間に何が起こったのかはわかんない。わかんないけど、厨二病君は信じてもいい人。だってセイラを庇った私を身を挺して虫から守ってくれた。
「あの虫はまっすぐにしか球体で突進できないみたい。だから……」
厨二病君と一緒にセイラを担いでもらって、あの虫の突進を回避しよう、と言おうとしたのだが、厨二病君は私の話を最後まで聞くことはなかった。
「え、ちょ、どこに……」
厨二病君は私が話をしている途中にすたすたと歩き始めてしまった。
最初は意味の分からなかった私だが徐々にコガネムシに近づいていく厨二病君を見てたまらず大声を上げた。
「まって、厨二病君危ないよ」
しかし、遅かった。私の静止が届くよりも早く、コガネムシが球体へのフォームチェンジを完了させた。
コガネムシが完全に球体となっても厨二病君は足を止めることはなかった。
そんな厨二病君の姿がわかっているのか、コガネムシは球体となってもすぐに突進を仕掛けなかった。
一歩、また一歩と着実にコガネムシへ近づく厨二病君。
厨二病君とコガネムシの距離がどんどん短くなっていき、
最も突進にスピードと威力をのせられる地点まで厨二病君が近づいた時、黒い大玉が中二病君に襲い掛かった。
命がけで私たちを守ってくれた恩人がミンチになる姿なんて見たくなかった私は黒い大玉が厨二病君にのしかかる寸前に目を反らしてしまった。
真っ暗な視界の中でさっき聞いた警備員さんがミンチになる音が頭の中で響いた。
「…………」
しかし、響いたのは私の記憶の音だけだった。
「……えっ」
恐る恐る目を見開いてみるとそこには変な黒い紋様の入った右腕で丸くなったコガネムシを持ち上げる厨二病君の姿があった。
「うそ」
厨二病君の腕の先には彼の何倍も大きい黒い大玉。
厨二病君は高速で突進をしてきたコガネムシを体だけで受け止め、片手で持ち上げたのだ。
とても人間業とは思えない。
軽々と持ち上げたコガネムシを厨二病君は部屋の奥、入口から反対の方向へ投げ飛ばしてくれた。
「おわ」
球体のコガネムシが地面に着いた瞬間、部屋全体がぐらっと揺れた。その振動が私にコガネムシの重さを教えてくれた。
一瞬、実は見かけ倒しで中は空気ですっかすっかとも思ったけれど、やっぱり違う。あれは工事現場で使う鉄球と同じでとてもじゃないけど人間が受け止められるようなものじゃない。
あんなものを受け止めただなんて。持ち上げるのだって男の人が何人いるか分からないのに。厨二病君は高速で突進してきたコガネムシを受け止めたうえで片手で持ち上げていた。
何者なの、この子。
私は厨二病君の素性を探り始める思考を即座に首を振って制した。
いや、今はそんなことを気にしなくていい。今気にするべきなのはセイラと私、そして厨二病君がどうやって死なずに目の前の虫を追っ払うか。それだけでいい。
幸い、厨二病君は見ず知らずの私たちを助けてくれるいい人みたいだし、何かしら不思議な力を持ってるっぽい。
これなら無事この窮地から脱することも……
「ぐりゅああ」
突然の雄たけび。気づくと厨二病君に投げられたコガネムシが球体を解除して二足歩行モードになってこちらを怒りの形相で睨みつけていた。
虫の表情とかよくわからない私でもわかる。めちゃくちゃ怒ってる。殺意むき出しって感じだ……
「ぐぎゃああ」
二度の突進失敗で厨二病君には球体での攻撃は通じないと学習したのかコガネムシは球体にならず、二足歩行のまま厨二病君に殴り掛かってきた。
「ふん」
球体になる動作の遅さから予測した通り、コガネムシの動きはかなり緩慢。厨二病君は上から振り下ろされる拳をいともたやすく避けると、一回転してコガネムシの背中に回し蹴りを叩き込んだ。
「よし……え」
よろめき、地面に膝を折るコガネムシ。しかし、思いっきり蹴りを叩き込んだ背中には傷一つ入っていなかった。それどころかコガネムシの拳が振り下ろされた床はコンクリートを突き破っておおおきな穴が開けられていた。
「ち」
わずらわしそうに舌打ちをする厨二病君。初めて彼が感情を露わにするところを見た気がする。
でも、今はそれどころじゃない。あの固い甲羅には厨二病君の謎のバカ力も聞かないみたいだし、いくら動きが遅いって言ってもあの破壊力のあるパンチがあったら甲羅に覆われてない正面からコガネムシを攻撃するのも難しい。
あの強力なパンチを一度でもまともに当たっちゃったらいくら厨二病君でも……
やっぱり、ここはどうにかして逃げることを考えた方が、コガネムシの硬い甲羅はダメでも、私たちを閉じこめてる鉄壁なら何とか。
そうこうしている間も厨二病君はコガネムシのパンチをかわし続け、背中を攻撃していた。
「ふ、く、はあ」
厨二病君が休みなく繰り出している全力の攻撃も、コガネムシの背中には傷一つ入っていない。
「無理だよ、君の力じゃ、その虫の甲羅は壊せない。このまま続けても体力が無駄に減っちゃうだけだよ。それより、部屋を覆ってる鉄壁に穴を開けられない、そうすればここから脱出することが出来るんだけど。」
さっきまで考えていたプランを私は厨二病君に大声で伝えた。けれども、厨二病君はコガネムシを攻撃するのを止めなかった
虫は人の言語がわからない、けれども厨二病君は当然理解できる。
つまりこれは……
「え……無視」
嘘でしょ、虫に襲われてるこの状況で、無視
女の子にとって一番ショックなことをされた私は厨二病君に対して怒りのようなものがこみあげてきた。
心なしかコガネムシを攻撃しまくる厨二病君がなんだか鍛え上げた自分の力が全く通じなくてむきになっているように見えてくる。
「ち、ちょっと、私の話聞いてる。あなたじゃその虫は倒せないよの。いい加減諦めて逃げることに協力してよ」
さっきとは違い、声を荒げる私。しかし、厨二病君の反応は変わらず……無視。
コガネムシですら私の荒げた声に一瞬反応してくれたのに。
「もういい加減に……」
もうここまできたら反応してくれるまで言ってやろうとしたその時、コガネムシの巨体がぐらっと揺れ、お腹を厨二病君に晒して倒れ込んでしまった。
「え、どうして」
意味が分からなかった。しかし厨二病君はやれやれと言った足取りでコガネムシに近づいていくとコガネムシにまたがり思いっきりお腹を殴った。
硬い皮膚が砕ける音と共にぶしゅという音が聞こえた。それは虫の体液、私たちとは違う青い血液が体から噴き出る音だった。
「やっぱり、硬いのは背中だけで中はそこまで硬くないのか」
そういうと厨二病君は今までの憂さ晴らしといわんばかりにマウントポジションからコガネムシを殴りまくった。
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る。
その度に青い血液が飛沫となって厨二病病君と床を青く染めていった。
「うっ」
あまりにも凄惨な光景に、胸の奥からこみ上げてくる胃酸を私は必死で押しとどめた。
お昼ごはん前でよかった、お昼食べる気なくなっちゃったけど……
コガネムシを殴り始めて数分後、ようやく厨二病君はコガネムシを殴るのをやめた。
「倒したの……」
私が近づくと、コガネムシの全身はぼこぼこにゆがめられて、少し体がしぼんでいた。
殴るのをやめてもコガネムシにまたがったままだったが、
「うん、たぶんね」
ピクリとも動かないコガネムシを見て、厨二病君はやっとコガネムシにまたがるのを止めた。
普通の人間では到底勝つことが出来ない人類の害悪を厨二病君は何の道具も使わずに素手のみで倒してしまった。
まさしく偉業、目の前で一部始終を見ていた私ですら信じられない出来事も、当の本人は温度を感じない無機質な目で私を見つめていた。
「……………………」
厨二病君の意図がわからず、ただ美少年に見つめられ体をもじもじしてしまうが、何も言わない彼の代わりに、お腹が厨二病君の気持ちを教えてくれた。
「ぐう」
「お腹、空いたの」
「うん」
素直に頷く厨二病君を見て、私はなんだかほっとした。
やっぱりなんだかんだいってもまだ子供ね。
「ふふ、ちょっと待っててね」
そう言って私はスカートのポケットに手を入れて、小袋に入った飴玉を取り出した。
規則ってわけじゃないけど子供連れのお客さんに渡すと喜ばれるのよね。お腹が空いた時の非常食にもなるし。
「って、あれ」
さっき自分たちを守ってくれたお礼も兼ねて飴玉を渡そうとしたが、すでに厨二病君の姿が目の前からいなくなっていた。
「ど、どこ」
急いで辺りを見回していると、厨二病君は少し離れた床にしゃがみこんで何かしていた。
何してるのかしら。
私は厨二病君の方へ歩いて行った。厨二病君は私に背中を向けているので何をしているのかはわからない。けれども厨二病君に近づくにつれてにちゃにちゃと何か気色の悪い音が聞こえ始めた。
柔らかいものをすりつぶすような音が厨二病君に近づくにつれ大きくなっていく。
私の体から温度が消えていく。
心が不安でいっぱいになって呼吸がどんどん激しくなっていく。
それでも私は足を止められなかった。
「何、してるの」
自分のすぐ後ろで突然、私に話しかけられても厨二病君が慌てることはなかった。
今までと同じ、機械的に、何でもない事のような顔で厨二病君は私の方へ振り向いた。
口のまわりを真っ赤に染めて。
厨二病君はさっきまで警備員さんだったミンチを口いっぱいに頬張っていた。
「うっ」
それを見た私は、その場に倒れ逆流する胃酸を全部床にぶちまけた。
なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ。
厨二病君が普通の人じゃないのはわかっていた。
コガネムシの突進を受けても平気な顔をしていたし、何より素手で虫を倒せる人間なんてこの世にはいるはずがない。
それでも、厨二病君は私たちを無視から守ってくれた、身を挺してコガネムシの突進からセイラを庇う私を助けてくれた。
だから、信じてた。きっとこの人は、この子はいい人だって。優しい人だって信じてた。
でも、まさか……人を食べるなんて。
「………………」
もう吐きだすものがないほど、全部吐きだした私は恐る恐る顔を上げた。
厨二病君は目の前で私が胃酸をぶちまけていても食事を続けていた。私の見た彼の目は何も変わらない、何も感じることのないはずの目なのに、私は厨二病君の目がどこまでも暗く、どこまでも冷え切った目をしているような気がしていた。
厨二病君のどこまでも続いていそうなほど空虚な目に私の意識を飲み込まれそうになったその時、
「へ」
突然爆音が室内に響き渡った。
鼓膜がやぶかれそうなほどの爆音に私は金縛りが解かれたように音のした方へ振り向した。すると私たちを取り囲んで拘束しているはず鉄壁の一部が吹き飛ばされ大穴が開けられていた。
「そんな……嘘でしょ」
鉄壁に開けられた大穴から現れたのは、新たな虫だった。
「驚いた。まさか、コガネムシが人間に倒されるとは」
「っ」
しかもその虫は、私や厨二病君と同じ人の言葉を話すことが出来る、新種の虫だった。
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