第2話 人類最大の脅威

 「ぐぎゃ、ぐぎゃ」


 コガネムシ、と厨二病君に呼ばれた虫は球体から二足歩行モードへ移行すると辺りを見回し始めた。


 どうやら、自ら望んでこの場所に入ってきたと言う訳ではないらしい。


というかなんであの子はこの虫の名前を知って……


 「大丈夫ですか……何だこの化け物は」


 騒動を聞きつけた警備員さんが目の前の黒い巨体を見て大声を上げた。その声を聞きつけたコガネムシは辺りを見回すのをやめ警備員さんの方へ、私の十倍は太い足を持ち上げ……


 ぐちゃ、


 「ひっ」


警備員さんとコガネムシ、その間でコガネムシに下敷きになっていた男性の頭をいともたやすく踏みつぶした。スイカ割りのスイカのように赤い液体をまき散らせて。


 「きゃあああああああああああああああああああああああ」


 お客さんの誰かが悲鳴を上げた。その声が号令だったかのように全員がパニックに。我先にこの建物から出ようとするが自分だけ助かろうと他者を押し合っているためになかなか外に出られていない。


 扉はコガネムシにより破壊されているため比較的広いスペースが空いているため譲り合っていけば速やかに外に出られるはず。


 コガネムシを前に恐怖で何もできない私と違ってお人よしで正義感の強いセイラは大声を出して彼らに譲り合って外に出るよう促している。


 大声を出せば、虫に狙われるかもしれないのにセイラは勇気を振り絞って彼らに声をかけ続けた。しかし、そんなセイラの勇気もむなしく彼らは譲り合いなどせずむしろ他者をののしり合って時間を浪費している。


 そんなことしている間に世界最高峰のセキュリティ装置が作動、室内を囲むように上から鋼鉄の鉄壁が下りてきてしまった。


 本来は泥棒を閉じ込めたり、クーデター時のシェルターなんかのために使う機能なのだが、その機能のせいで私たちはみんな閉じ込められた。人類の害悪である虫と一緒に。


 「きゃああああ、だして、だしてよ」


 唯一の逃げ道が失われお客さんの怒号が店内に響く。もちろんその声はコガネムシにも届いていて。


 「な、何を……」


 警備員さんの方を見ていたコガネムシは緩慢な動作で警備員さんに背を向けると罵詈雑言の方、お客さんが集まっている方を向くと、頭をお腹につけるようにしてうずくまった。


 何をしているの。


 入口を突き破った時と同じ球体に変化するコガネムシ、その行動意図がわからず、私はただ黙って様子を伺っていた。しかし、大玉になったコガネムシを見たセイラは焦ったように受付の机から身を乗り出し客が密集する方へ向かって叫んだ。


 「逃げて」


 その叫びもむなしく、球体は目にも見えないスピードで、一切回転せずに密集するお客さんの方へ猛突進していった。


「きゃ」


 お客さんに押しのけられ最後尾にいた女性客の短い叫びを最後に、入り口付近に多お客さんはみんなコガネムシにつぶされてしまった。


 辺り一帯におびただしい血しぶきをまき散らせていたが、鉄壁はコガネムシの突撃を受け止め、わずかにへこんだだけだった。


 あまりにも突拍子のない出来事の連続に私の脳はもう処理落ちしてしまった。


 なに、これ…………


目の前の光景をどこか他人事のように思っている私は現実から自分の感情が切り離されていくのを実感していた。


 ああ、これは夢だ、そうだ、そうに違いない。そうでなきゃおかしい、だって昨日まで普通だった、さっきまでだってそう。何の変哲もない、いつもの退屈な、にちじょう……


自分の意識が希薄になっていく中、コガネムシは自分ですりつぶしたミンチを手に取ると、そのまま自分の口に押し込んだ。


 にちぁにちゃにちゃ、


イソギンチャクのようなコガネムシの口から聞こえる咀嚼音。


 自然と私の視線は音のする方へひきつけられ、そして見つけてしまった。


 ぐちゃぐちゃのミンチの中から、真っ赤に染められた自分が来ている者と同じ制服を、さっきまでうっとうしくセクハラしてきたエロオヤジが自慢げに見せびらかしてきたゴールドの時計を。


 私は見つけてしまった。これが現実であることの証拠を。


 コガネムシは残った衣類や金属を気にすることなく、それごとミンチと一緒に頬張っていった。


……バタン、


突然何か大きなものが倒れる音が聞こえ、私はようやくコガネムシに引き付けられた視線を動かすことができた。


 動かした視線の先には床に倒れたセイラが、


 「っ、セイラ」


私はセイラに駆け寄るため走った。球体からふ再び二足歩行になったコガネムシの視線が視界を横切る私を捉える。


 セイラの元へやってきた私はコガネムシのことを忘れて、セイラの安否を確認した。


 「呼吸もしてるし心臓の音も聞こえる。よかった、気絶してるだけね。」


 セイラの無事を確認した安堵で胸をなでおろした私の視界にこちを向いてうずくまろうとするコガネムシの姿が映った。


 やばい、セイラも私も動けない。殺される。


 コガネムシは手足を亀の甲羅のように大きい図体に折りたたんでいく。


 動きはゆっくりだけど、あと少しでまたあの球体になる。そうしたら私もセイラも助からない。


 無意味とわかっていても、私はセイラを必死に抱きしめてかばった。その時、


 「動くな、撃つぞ」


今まで私と同じく恐怖で立ちすくんでいた警備員さんがコガネムシ目掛けて銃の引き金を引いた。


 その姿を見て私は、言ってることとやってること……違くない、と思ってしまった。しかし、すぐに首を振ってコガネムシの方を見ると見事に警備員さんの弾は命中。


 あんなに手が震えてたのにすごい。


 心の中で警備員さんに称賛を送る私だったが、


 「ぎゅる」


コガネムシは全くの無傷だった。


 まあ、そりゃあ、ねえペイント弾だからね。そりゃあ効かないわな……


全身にべっとりついたピンク色のペイントをうっとおしそうに拭い取ったコガネムシは標的を警備員さんに移して、うずくまる動作を始めた。


 ちょ、がんばって警備員さん。日頃心の中でしょぼくれたおっさんとか言って馬鹿にしてたけど。何とかして。何とかしてくれたら一日ぐらいデートしてあげてもいいから。


 私の心の中の応援も、警備員さんは完全に恐怖で竦んでしまった。唯一の武器、になりそうなペイント弾も落として、足をガクガク震わせている。


 がんばって警備員さん、私とデートできるのよ。がんばって、こんなチャンス一生に一度あるかないかよ。だから……


私の声にならない声援も虚しく、警備員さんもまたただのミンチになってしまった。


 「そんな……」


 警備員をミンチにしたコガネムシは再び二足歩行になるとゆっくり私とセイラの方へそのずんぐりむっくりの真ん丸ボディを向け、再びうずくまるような動作を始めた。


 警備員さんと同じように私たちをミンチにしようと、二足歩行から球体へなろうとするコガネムシを見た私は、全身の力を振り絞ってセイラを引っ張った。


  今がチャンス。このチャンスを逃したら私たちも警備員さんの二の舞。


 たぶん、この虫の本当の弱点は球体じゃ真っ直ぐにしか直進できない事。たぶん突進の勢いが強すぎて自分じゃ方向転換が出来ないんだと思う。だから、いちいち二足歩行になって突進する標的の方へ体の向きを変えてる、球体でそのまま突進した方が早いのに。


 あの球体の無回転突撃を避けることはできない。けど、突っ込んでくる向きがわかってるなら。元々動きがゆっくりなのもあるけど、二足歩行から球体になるのに結構なタイムラグがある。たぶん無理やり体を内側に押し込めて球体になってるせい、だからずっと球体にはなれないし、球体になるのにも時間がかかる。


 二足歩行から球体になる時コガネムシの顔はお腹の方を向いてる。だからこの間にセイラと一緒にコガネムシが突進するであろう軌道から避けられれば私でもあの高速無回転突撃を避けられるはず…………なんだけど、セイラ重い!


 本人が聞いたら完全に喧嘩になる発言だけど、今はそれどころじゃない。さっきからずっと必死に引っ剥てるんだけど、ちょっとしか動いてない。


 「セイラこんなに重かったっけ、私と一緒でスタイルはいいはずだけど」


 セイラの体を下から上へ見ていくと、人の頑張りをよそにぽよんぽよんと揺れる小玉スカイが……


 「だああ!このくそ贅肉か!」


引きずってる間にブラジャーが外れたみたいで、セイラのおっきいオッパイが我が物顔でばゆんばゆんしていた。


 「これだから駄肉の塊は!こんなときまで私の足を引っ張りやがって!」


 内から湧き出る怒りを力に変え、私はセイラを思いっきり引っ張る。心なしかさっきよりはセイラを動かすことはできたけど、それでもまだコガネムシから近い。もっと離れないと。


 コガネムシの無回転突進を避けるため、私は必死にセイラを引っ張った。けれどもコガネムシは私が予測した突進ルートから離脱するよりも早く球体への変化を完了させた。


 「っ」


 間に合わないと思った私は咄嗟にセイラの前で腕を広げた。


 こんなことしても無駄なことは分かってる。逃げるお客さんをまとめてミンチにしたコガネムシの破壊力を前に人間一人が肉壁をしたところで何の慰めにもならないことも。でも、それでも殺されそうな友達を前に何もできないなんて嫌だ。せめて、セイラの顔が、死んだセイラの顔をセイラのお父さんお母さんが見られるように。


 球体となったコガネムシは私目掛けて高速突進、今まで二度コガネムシの高速突進は見てきたけれども早すぎてほとんど瞬間移動にしか見えなかった。けれども、ここで私は初めて球体となったコガネムシの高速突進を目でとらえることが出来た。


 スローモーションで私に迫る黒い塊、これだけ遅ければ簡単に避けられそうだが、スローなのはコガネムシだけじゃない。私の体も。


 いや私の体の方がコガネムシよりさらに遅い。


 ナメクジの速さで迫るコガネムシに対して、私の体はタニシ。


 ああ、これが走馬灯というやつか……いや、ちょっと違うか。走馬灯は昔の出来事がどんどん頭の中を駆け巡ってくるけはずだけど、今の私の頭の中は真っ白。


 思い出すほど大切な思い出がないってことかしら。だとしたらかなりむかっ腹の立つ話ね。


 コガネムシが少しずつ迫ってくる中、私の頭の中はどうでもいい思考が駆け巡っていた。


 ああ、もうだめね。ごめんね、セイラ。


 視界のすべてを黒に覆われた時、私は目を瞑った。


 すぐに自分の体はぐちゅぐちゅのミンチになって食われる。それでもせめてセイラだけは、


確実に迫る死の恐怖を私は唇をかみしめて必死に押し殺した。


 「………………」


しかし、いつまでたっても私がぺしゃんこにされることはなかった。


 いくら時間が遅く感じるっていってもそろそろ、つぶされてないとおかしいんはず……なんだけど。


 恐る恐る目を開けてみると、そこには華奢な背中が。


「っ、厨二病君」


 つい私は失礼な呼び方をしてしまった。けれど今はそれどころじゃない、私は目の前で起こっている信じられない出来事に言葉を失ってしまった。


 大の大人を何十人もぺしゃんこにしてしまうコガネムシの突進、それを受けてもなお厨二病君は体をミンチにされず、そこに立っていた。


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