外伝:蝮と虎と油売り④

 「くっそ」

 最近の信秀は何もかもが空回っている感がある。それは家臣たちにも何となく伝わってきている事だ。今の彼の悩み事の主だったところは専ら対外戦争についてだったが、もう1つ大きな問題を抱えていた。


 「今日も信長は川狩りに」

 信広がそう言って、はぁとため息を着く。嫡男信長のことだ。信秀もまだまだ盛りといえ、人間いつしか老いるものだ。そのために子を育てるのは当然と言えるのだが少々ヤンチャというか。


 「もうお前に家督を譲りたいくらいだよ、本当に……」

 この頃の信秀は少し精神を病んでいた。ストレスと言うやつだろう。日々の激務と後継者問題……考えるべきことは山積みだった。

 「私は家督を継げません。せめて信勝に」

 「やはり、そうなるか」


 信広は長男ではあるが側室の子だ。信勝は正室の子だが信長よりは年下だ。しかし信勝を後継にする、という選択肢も無いわけではなかった。信長には那古野城を与えて政秀をつけて後継としての自覚を持ってもらおうとしたのだが、それも成功していない。


 これが現信長と拓海のタイムスリップの一年前のことだ。信秀の苦悩は膨らんでいた。


 「乾杯!!!!」

 美濃国の国人の一人、久々利くくり頼興よりおきの邸。正義は彼に招かれて宴会に参加していた。その日は頼興も頼香側に着くとかで共に気持ちを合わせようと決起の宴会だった。頼興は最近勢いのある若者でか彼が着くとなるとかなり心強くなることが期待できた。


 それもあって宴会は大盛り上がりとなった。


 「いやあ、それにしても頼芸様の最近の事には困ったものです」

 「ここだけの話ではありますが、私はやはり頼純様の急死……利政が一枚噛んでいると思うのです」


 正義は何となく分かっていた。利政の自信に満ちた表情が薄らと気味悪いとさえ思えてきた。

 「利政が頼純様を? まさか」

 「いえ、その"まさか"が起こってるんです。私は本当に怖くてたまりませんよ」

 「なるほどね……あ、盃が空いておりますよ。新しい酒をお持ちしましょう」

 「あ、ありがとうございます」

 

 頼興が家臣に持ってこさせた新しい酒瓶を慎重に正義の盃に注ぎ込んでいく。正義は歓談に笑いながらそれを喉の奥へ流し込む。



 


 「正義が死んだな」

 利政がニヤリと笑った。彼にとって目下邪魔なのは頼香側の存在だ。その第一有力者の正義が消えたのはありがたい。久々利に暗殺を頼んで良かった。彼は酒の席で毒殺されたということだ。


 これで頼香側の体制は崩れた。彼自身は美濃での地位を下げていき、数ヵ月後には死体となって利政の目の前に転がることになる。誰が仕向けたか? そんなこと言うのはもう野暮だろう。

 「あと潰さないといけない人間は……」

 美濃守護、土岐頼芸よりのりと美濃守護代、斎藤利茂とししげといったところか。利茂はまだいい。けど問題は頼芸だった。大桑城攻めの時の頼純の時と同じになる可能性があるからだ。つまり信秀達に擁立される可能性。




 



 利茂が死んだ。え? うん。死んだ。コロッと殺った。利政は斎藤家の人間として斎藤の名跡を継ぐこととなった。それを機に出家した。名をとする。国盗り、あと一手の王手にあった。

 「織田信秀から同盟の提案が来ております」


 そう告げられる。信秀は現在、かなりまずい状況にあった。最近戦が負け続きだったのだ。道三と松平まつだいら広忠ひろただ、両者に敗北を喫していた。それで道三との戦いは一旦諦め、広忠との戦いに集中しようという。それが狙いで、それは後々の織田と松平の同盟に繋がってくるのだがそれは別の話だ。


 「信秀からか……いいな」

 道三に次のプランが頭に浮かんだ。かくして織田との婚姻同盟は果たされたのである。



 天文十八1549年十一月、斎藤道三は土岐頼芸を美濃国から追放。

 頼芸方の家臣が多く道三に帰順した。

 「頼芸様は報復してこないのでしょうか」

 「無理に決まっておろう。絶対に報復なぞ出来ない時に追放してやったわ」


 織田は既に道三側にある。朝倉は元々頼純側の人間だったので頼芸の味方なんてするはずもない。浅井・六角とはずっと前から協力関係にあった。

 「国盗り物語、完成だな」

 斎藤道三、父子二代に渡る美濃国奪取。遂になし得たのだった。


 多くの人間を殺した。謀略によって散った者も戦で散った者もいた。とは悪事に秀でた英雄のことを指す。確かに美濃国の版図を塗り替え、信長に大きく影響を及ぼした点で言えば道三は英雄とも言い換えられる。


 ただその行った悪事と言うべきこと、それだけは歴史の足跡にしかりと刻まれて行った。

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