外伝:蝮と虎と油売り②

 新左衛門尉死去から数年。ニヤニヤしながら町を睥睨している男がいた。

 「景弘かげひろが死んだのは残念としか言いようがないが」

 斎藤道三。今の名は長井ながい規秀のりひでだが彼は父とは違った思考の持ち主だった。父は確かに出世を狙っていたし、一介の僧侶から土岐の有力家臣まで上り詰めたことを考えると素晴らしい出世ぶりだ。


 無精髭を蓄えたその顔には幾らかの皺が入っている。歳は既に40を迎えた中年男だ。体を重そうにして体重をかけ座っているが、常に目を真っ直ぐと構えて何かを考えている様子だ。


 新左衛門尉の出世は堅実なものだった。戦働きをして、認められて、地位が上がる。それとは全く違う。


 「戦乱の世は下克上こそ必定。どんな手を使おうとも……な」

 彼は野心持ちだった。この時代だと特別珍しいわけではなかったが、大きく出世した父を持つプレッシャーもあったのだろう。

 「倒すべき人物はいくらでもいるな」


 今しがた屠ったのは長井長弘の嫡男、景弘。若輩者で付け入る隙しかなかった。

 だが、規秀の立場は土岐家臣。出来ることにも限界はある。

 「暫くは機を伺う。いずれはこの規秀のもとに美濃国、いやもっと多くを……」


 

 雨がザーザー降りになっていた。その歳の雨は異常と言ってもいいほどで、連日降り続け遂には周囲の河川が氾濫。作物や建物に多くの被害が出た。川沿いの集落に水が流れ込み、流されたとかで人死にも出ていた。典型的な災害だが、少々悪かった。


 「土岐様が朝倉・六角の援軍を得て侵攻してきた様で」

 「まことか」

 かつて、父の頃に越前国へと追いやった頼芸の兄。それがタイミングを狙ってやってきたのだ。災害でまともに兵が出せない。兵糧も心細い。かなり絶望的な状況だ。


 「どうすればいい!? 朝倉、六角……いずれも強大だ。今攻められたら一溜りも無いぞ!!」

 軍議でそう頼芸は動揺した様子だった。彼なりに危機感が頭を支配していたのだろう。不安げな様子で家臣たちを見つめる。

 「何だろうと討つべきです。そこで退いては恥というものでしょう」


 そう進言するのは頼香よりたか。政房の息子の一人で……つまり頼武・頼芸の弟ということになる。劣勢だから、そんな理由で戦わず退くは武士としてやってはならない。確かに。確かに、なのだが。その言葉を聞くと頼芸は顔を歪ませた。

 「ならば、こういうのはどうでしょうか」


 ぽん、と膝を叩いて流暢に話し始めたのは規秀だ。

 「朝廷に献金を致しましょう」

 「は?」

 頼芸が素っ頓狂に声を上げた。現状ただでさえ金がないこの状況で、朝廷に? 軍議の場にぴりぴりとした空気が走るのが分かった。


 「正気か?」

 「寄付の代わりに、美濃国守護の座を確約してもらいましょう。すると最初こそ勢いづいて攻めてくるでしょうが、じきに退いていくはず」

 「あー……」

 実は頼芸は正式に美濃守みののかみという官職を持っているわけではなかった。そこで金を引っさげて朝廷と取引してさっさと大義名分を得よう。そういう狙いだ。


 その案には頼香も「よろしいかと」と賛成の意を示した。

 「ではそれで行ってみようか。寄付するものは後に。もし失敗した場合……規秀」

 「分かっております」

 「頼むぞ」

 



 

 「いや、ダメだろ」

 美濃国で戦が続いたある日。頼武のもとに手紙が届いた。送り主はもちろん頼芸。「私は美濃守となったからこれ以上の戦は双方にとって得策では無い」と言うような内容だったが、意味がわからない話だった。


 「私が土岐の跡継ぎとなる者ぞ。なあそうであろう?」

 頼武の息子、頼純よりずみ。彼の美濃国への野望はまさしく自身のことだ。父の頼武が美濃守護を継げば……いや、父はもう老いる身なので地位を得られれば、自然と自分も次の後継者となる。しかし頼芸が継いだ場合自分の番は永遠に回ってこないだろう。


 「とりあえずこれは和議の申請ということになるのか? ん?」

 頼武が怪訝とした表情で尋ねる。

 「まあそうなりましょうな」

 「そして私に再び越前へ行けというのか? とんでもない」


 頼武は和議に条件を出した。自身とその息子が美濃で勢力を持つことを良しとすること。もっというと頼芸の後釜を狙っていた。頼芸は相当渋ったようだったが最終的には認めた。この父子の入国はさらなる混乱を美濃にもたらしていくことになる。


 大桑おおが城、頼武・頼純父子。

 稲葉山城、長井規秀。

 川手かわて城、頼芸。


 協力、敵対関係こそあるものの心の奥底を見れば三すくみといっても良い状況だ。

 

 さてそれに対抗してか、はたまた別の狙いがあってか。長井規秀は名を変えた。斎藤さいとう利政としまさ、と。一般的にもかなり知られている名だ。利政のはたちまちと各地で動乱を巻き起こしていく。



 ーーーーー天文十二1543年ーーーーー

 大桑城は兵に包囲されていた。誰の? 利政の。そう、頼芸の許可を貰って……というか実質的には命令で大桑城を落としにかかっていた。


 要因はふたつある。

 一、頼武が病死したこと。これで家督争奪戦に一応の決着が着けられた。結果に納得していないのは頼純だけということになったのだ。

 二、六角氏との同盟が成った。よって頼純を攻めた際の不安要素が軽減された。これによってリスクリターンを鑑みたとき、大桑城を攻めても問題ないという結論に達した。


 最終的に結論を下したのは美濃守護代の斎藤さいとう利茂とししげだったが、そんなことは取り敢えず置いといて。その将として利政は選ばれたということだった。


 兵がどどどどっと大桑城の中に入っていったと思えば、押し返されて。そんなことを何回か繰り返した後、頼純が利政の前に縛られた状態で現れた。命令通り生け捕りは成功したらしい。

 「約束を違えたな!!!」

 「約束……? はて、なんのことか」

 「ふざけるな! 頼芸の後に私が守護になる!! そういう話だったはずだが!!」

 「あー、そんな話があったような? 無かったような?」

 

 しかし仮にもこの男は土岐家の人間。表立って殺してもあまり良い事は無い。

 「というわけで、土岐頼純!! 貴様は美濃から追放する! どこへでも行け!!」

 しかし越前へ送ってもまた朝倉の援軍が来るだけだ。この件について、朝倉は反応しそうだがその場に頼純がいるとまた面倒くさいことになる。

 

 「尾張の国境付近まで送らせる。その後はどこへでも行け。もう二度と帰ってくるな」

 「は?? 侮辱するのも大概にしろ!」

 頼純は尾張へと流れていくことになる。古渡ふるわたり城主、織田おだ信秀のぶひでのところへと。

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